商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 河出書房新社 |
発売年月日 | 2024/03/27 |
JAN | 9784309420912 |
- 書籍
- 文庫
見ることの塩(下)
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見ることの塩(下)
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商品レビュー
4.7
3件のお客様レビュー
上巻はパレスティナで、下巻はバルカン、旧ユーゴスラビア。 こちらも上巻同様に、簡単な歴史の解説があってかなりわかりやすい。が、かつて「ヨーロッパの火薬庫」といわれただけあって、多様な民族、宗教、歴史の違い、政治情勢が絡みあっていて、かなり複雑で、すぐにわからなくなってくる。 ...
上巻はパレスティナで、下巻はバルカン、旧ユーゴスラビア。 こちらも上巻同様に、簡単な歴史の解説があってかなりわかりやすい。が、かつて「ヨーロッパの火薬庫」といわれただけあって、多様な民族、宗教、歴史の違い、政治情勢が絡みあっていて、かなり複雑で、すぐにわからなくなってくる。 そんな複雑な事情を飲み込んで第二次世界大戦中の反ナチのパルチザン運動を国の起源としてチトー大統領のもとにユーゴスラビアが成立する。彼のカリスマ的なリーダーシップ、そしてソ連とは異なる独自の社会主義を追求することで国をまとめていたのだが、チトーはなくなり、社会主義の壮大な実験もうまくいかなくなると、民族間での対立が高まって言った。そして、対立による暴力の連鎖がさらなる対立を生み出していくという構造なのだろうか。 少なくとも、一時的であれうまくいっていた他民族国家が崩壊していく姿は、ある意味パレスティナ以上に複雑な気持ちになった。 読んでいくと、独自路線社会主義の失敗、他民族を一つにまとめることができるストーリーとヒーローがいなくなったというのも、ある意味、より大きな世界政治の変化の結果であるようにも思えてきた。 つまり、ソ連の崩壊による世界的なパワーバランスの変化だ。米ソの二元的な対立は、他の国にどちらの陣営であるかというわかりやすい位置付けを与えるとともに、中立国にも米そ対立の中での中立国という独特のぽじょションを与える。 が、その対立軸がなくなると、それまでその国を支えてきた位置付け、ストーリーが成立しなくなるというのがベースにあるような気がする。 そう考えると、冷戦終結後の日本という立ち位置の微妙がとても気になってくる。だが、日頃、私たちは、そこに気づかず、ただ失われた30数年を生きているわけだが、ここに大きな危険性があるように思える。 我々は、とても平和な社会に生きているわけだが、何か危機が生じて、追い込まれると突然社会の論調は変わるかもしれない。ある日、突然、私たちはまた虐殺を始めてしまう世界に巻き込まれてしまうかもしれない。 実像は微妙なところもあっただろうが、一度は、他民族が共存する素晴らしい国だったユーゴスラビアの崩壊を見ると、そこ知れぬ恐怖を覚えた。 ユーゴスラビアの現代史ももうちょっと学ばないとな〜。
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元々は、上巻だけ読むつもりだった。イスラエル/パレスチナ問題について色々と読んでいる最中だったので。しかし、上巻を読み終え、まず感じたことは、この本は文庫化する前は一冊の本であったこと。「見ることの塩」を読み終えるには、下巻も読まないと。それに、初めて触れた四方田犬彦氏の文体や言...
元々は、上巻だけ読むつもりだった。イスラエル/パレスチナ問題について色々と読んでいる最中だったので。しかし、上巻を読み終え、まず感じたことは、この本は文庫化する前は一冊の本であったこと。「見ることの塩」を読み終えるには、下巻も読まないと。それに、初めて触れた四方田犬彦氏の文体や言葉の選び方、話の進め方が、私にはとてもしっくりきて、もっと読みたいと思えたから。 正直、セルビア/コソヴォの問題について、私はほぼ無知だった。旧ユーゴスラビア解体、NATOによるセルビア空爆、アルバニアの春、社会主義の始まりと終わり、指導者チトーの死、ミロシェヴィチの民族主義、、 第二次世界大戦の終わりから現在に至るまで、イスラエル/パレスチナ問題と同様の民族間問題が続いていること。大国の介入により進む「オリエンタリズム」の構造。 四方田氏の言葉は、上記のような「情報」的要素と、四方田犬彦本人の紀行としての「体験」的要素を巧みに交わらせながら、ただ読んでいる側の私を現場の感覚に連れて行く。私もそこで、ベオグラードで、コソヴォで、廃墟と化した社会主義時代の建造物を見る。砂埃を浴びる。なかでも特に、ベオグラードの「精糖工場アートセンター」なる廃墟を改造した施設の描写が印象的だった。 「わたしは人づてに聞いて、噂ばかり高いこの謎の建物をついに探し当てたとき、この混沌とした都市が目下企てている自己言及性の意識に、とうとう触れたような気がした。それは廃墟をめぐるメタレヴェルでの廃墟であり、栄光に輝く歴史の観念をめぐる服喪の行為であるという印象をもった。」 体験を思考の領域に押し上げること。 四方田氏は、未知の都市への旅の準備として、その都市に関する書物をできる限りたくさん読んでおくそうだ。 「書物の数は多いほどいい。さまざまに対立する角度や立場から執筆されたものを読むことで、問題の焦点となっている事柄が浮かび上がってくるからだ」 さらには長年の研究対象であるサイードや様々な映画などのアカデミックな知識が混じり合い、とうとう旅の終わりには、体験が思考に上昇し、わたしの側へ流れ込んでくる。 その、調査、体験、思考という流れが、難解な部分もあるが非常にエキサイティングでもあり、生々しさからくる陰鬱をこちら側に投げてくる。 これを読んだおかげで、「石の花」という1980年代に坂口尚氏によって描かれた素晴らしい漫画にも出会えた。 巻末、「記憶の故障」と題された章。 事実とその目撃者と、加害者と被害者と、それら全てが残らないまま断片的に語られるということを、亡命クロアチア人作家、ウグレシィチがケオスの詩人シモニデスの逸話から引いた記述を使って著したものが特に良かったし、恐ろしくもなった。 新しい主観性の到来、それは反復と断片化。 「古典的な記憶・秩序意識から断絶した新しい証言の在り方が認識論的に始まろうとしている事実を指摘している。」 バルカン半島やイスラエルのそれに於いてあてはめられていたが、昨今のニュースを見聞きしていても感じることではあるなあと。 砂の女の主人公のように、掻いては押し戻されながら、塩ばかりの世界に蜜は見えるのか、と自問しながら書く四方田氏の言葉、思いが、いつか私の中で体験と共に思考となる日が来るんだろうか。
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” 民族と宗教の違いが戦争の原因となったのではない。” 他者と比べることで、自分は優れていると思う。自分の存在価値を高めるために、「劣っている」他者を必要とする。 そういう生き方は、誰にとっても幸せじゃない。 多様であることを受け入れるというより、何となくそこらへんでいっし...
” 民族と宗教の違いが戦争の原因となったのではない。” 他者と比べることで、自分は優れていると思う。自分の存在価値を高めるために、「劣っている」他者を必要とする。 そういう生き方は、誰にとっても幸せじゃない。 多様であることを受け入れるというより、何となくそこらへんでいっしょにいる。みんながもっとあいまいに、ぼんやり生きてくのが世界平和のコツなのかもしれない。
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