商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 岩波書店 |
発売年月日 | 2024/02/20 |
JAN | 9784004320098 |
- 書籍
- 新書
ジェンダー史10講
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ジェンダー史10講
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商品レビュー
3.9
10件のお客様レビュー
ジェンダーとはなんだろう。 本書は女性史について10個のポイントを挙げて解説する。 自分自身がイメージしていたものが歴史的に見るとある種思い込みであったことに気づかせてくれた。 例えば、一言で「フェミニズム」といっても母性主義に則ったもの(日本では平塚らいてうなどが代表)であっ...
ジェンダーとはなんだろう。 本書は女性史について10個のポイントを挙げて解説する。 自分自身がイメージしていたものが歴史的に見るとある種思い込みであったことに気づかせてくれた。 例えば、一言で「フェミニズム」といっても母性主義に則ったもの(日本では平塚らいてうなどが代表)であったり、 ウーマンリブに否定的であったりと、決して一枚岩ではないことは興味深い。 また、かつて私が学んだ歴史教科書においては、女性が入っていようがいまいが、人々は一緒くたに「個人」「民衆」との記載であった。その上で女性参政権は〇〇年、などの注釈だったと記憶している。 しかし現在の歴史総合ではジェンダー配慮記載になっているとのことで、改めて勉強をしたいと感じた次第である。 意外だったのは第9講の「労働」である。 女性の労働というと、『女工哀史』に代表されるような受身的存在の犠牲者、という印象が強かった。 (「ああ飛騨が見える、飛騨が見える」と言って亡くなった女工のイメージあるいはインパクトが強い) しかし実際は時間管理改善など抵抗の側面もあり、必ずしも可哀想で搾取されてばかりだったわけではないようだ。 とはいえ、繊維工業では、男性が親方、職人としてアイデンティティを保っていたのに対し、女性は普及品の作成、良き嫁としてのあくまで一技能という位置付けに置かれていたことは変わらぬ現実としてあることも忘れてはならない。 第10講は本書の中で最も興味深い。 端的にいえば女性は必ずしも戦争中の被害者としての側面のみにあらずということ。 著者の専門とするドイツ社会、第二次大戦中は自ら戦争に協力をしていた女性たちの存在も指摘する(当然日本でもだ)。 男性独裁だけではない負の側面もまた見つめる必要があるだろう。 一方で、戦争中の性暴力はプロパガンダでもある。 この国は女を守れない国、弱い国であるというアピールができるからだ。 今なお続く紛争を思い、女性や子供のために何かできないかといつも考えている。 社会を考える上で、男対女ではなく、フラットに見つめることは大切な要素だ。 それぞれの言葉を丁寧に読み解くこと、結論ありきで研究をしないこと、その難しさと必要性を感じる本であった。
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★★★ 読めてよかった この本では、主に元来の「男性の視点のみ」から語られてきた歴史を批判して登場した女性史の成立・女性の権利の歴史などを追っていくものだ。例えばルネサンスは従来の歴史では芸術の復興などとポジティブな見方をされているが、女性の視点から、特に富裕層の女性からすると...
★★★ 読めてよかった この本では、主に元来の「男性の視点のみ」から語られてきた歴史を批判して登場した女性史の成立・女性の権利の歴史などを追っていくものだ。例えばルネサンスは従来の歴史では芸術の復興などとポジティブな見方をされているが、女性の視点から、特に富裕層の女性からすると、恋愛・結婚の自由を取り上げられた、『不幸な』歴史だった。 意外性はあり、また現代のジェンダー観は近代以降に急速に作られたものだったという指摘は大変興味深い。しかし一方で、女性史は女性視点での資料があまり残っていないために推論で語られやすいという特徴も見受けられた。この点を解消できなければ筆者の、女性史はもっと重視されるべきという主張には賛同できないと思った。
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「ジェンダー史」の成立までと、それが明らかにしてきたものを10章に分けて説いている。 実は本書を読む前、ちょっと誤解していて、ジェンダー研究の歴史のかと思っていた。 が、そうではなく、歴史学の中で、ジェンダーがどのように主題化していくのかということだった。 ならば、どうして「ジ...
「ジェンダー史」の成立までと、それが明らかにしてきたものを10章に分けて説いている。 実は本書を読む前、ちょっと誤解していて、ジェンダー研究の歴史のかと思っていた。 が、そうではなく、歴史学の中で、ジェンダーがどのように主題化していくのかということだった。 ならば、どうして「ジェンダー史学」とか「ジェンダー歴史学」という言い方ではないんだろう? 「ジェンダー史」という言い方が、歴史学業界では普通なのかなあ? 前半4章は、歴史学の研究の流れが紹介され、この整理はとても分かりやすかった。 ジェンダー史は、第一波フェミニズム、第二波を経て、生まれた。 第一波では、これまで歴史学が顧みてこなかった女性を歴史学の対象とする「女性史」が成立し、第二波フェミニズムの時には、既存の歴史学が男性に偏向したものだと批判する「新しい女性史」が成立する。 しかし、いずれも女性という周縁的な内容を扱ったもので、既存の歴史学の幅を広げたもの、として済まされることになる。 そこでジェンダー史が現れる。 知と権力の関係の中で、どのように性差が意味付けられ、どんなメカニズムで社会の中に組み込まれ、はたらいていくのかを分析するもの(主にJ.スコットとその影響にある人たちの立場)だ。 つまり、社会構造を作り出す力として、ジェンダーを捉える。 ジェンダー史とは、その歴史的過程を跡付けていく学問ということのようだった。 著者はドイツ近現代の労働史を専門としてきた人というだけに、本書の中にある、「生産領域だけに注目する」だけでなく、家との連関を考えないと労働の全貌は把握できない、という指摘は説得力がある。 たしかに、労働や生産は、経済の問題となり、それは従来の歴史学でも主要テーマであったはずだ。 ある時期まで女性の姿がその領域に見えないのは、近代家族が成り立っていくのとセットで、女性が補助的な労働を担うものという役割が成り立っていったからであり、女性が労働に関わっていなかったわけではない。 これがごっそり「見えない」存在になっていたとすれば…と思うと、そら恐ろしい気持ちになる。 後半はジェンダー歴史学が明らかにしたものが取り上げられていく。 筆頭は家と家族。次に身体と性、福祉、労働、植民地、レイシズム、戦争と続く。 この辺りは、それぞれ1冊以上の本になっても不思議でない、問題が山積する領域。 (最後の章は、なんか突然終わってしまった感もある。) 権力機構の中で、女性が、社会的地位などにより、被害者にも加害者にもなるという錯綜が見られる。 単純なものが好まれる雰囲気も感じられる昨今だが、こういう社会の複雑さに向き合えるか。 読み終わってから、考えてしまった。
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