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女人政治の中世 北条政子と日野富子 読みなおす日本史
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女人政治の中世 北条政子と日野富子 読みなおす日本史

田端泰子(著者)

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女人政治の中世 北条政子と日野富子 読みなおす日本史

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 吉川弘文館
発売年月日 2022/05/02
JAN 9784642075121

女人政治の中世

¥2,420

商品レビュー

4

4件のお客様レビュー

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2023/06/25

北条政子、日野富子、北政所おねなどの「女人政治」から社会における地位と役割をとらえなおし、中世女性の実像に迫った本です。 どちらも悪女の評がありますが、難しい事態に対処したことは評価しないといけないと読んでいて思いました。

Posted by ブクログ

2022/10/23

中世の女性の政治への関与を描く。北条政子と日野富子は中世の日本で政治に関与した女性の二大人物である。どちらも征夷大将軍の妻であり、母である。どちらも御台所としての役割を果たした。どちらも悪女の評があるが、そこには女性が政治に関与すること自体を否定的に考える昭和の価値観があり、そこ...

中世の女性の政治への関与を描く。北条政子と日野富子は中世の日本で政治に関与した女性の二大人物である。どちらも征夷大将軍の妻であり、母である。どちらも御台所としての役割を果たした。どちらも悪女の評があるが、そこには女性が政治に関与すること自体を否定的に考える昭和の価値観があり、そこは割り引く必要がある。 鎌倉時代初期に畠山重忠が冤罪で滅ぼされた。重忠の遺領は、北条政子が七月八日に恩賞として鎮圧に参加した御家人に配分した。恩賞の配分は御恩と奉公で成り立つ鎌倉殿と御家人の根幹をなすものであり、それを政子が行ったことは重要である。頼朝亡き後の将軍家の家長は頼朝の妻の政子であった。天武天皇の没後に皇后が持統天皇として即位したことと似たパターンである。 本来は将軍である源実朝の役割である。吾妻鏡は実朝が幼いため、代わりに政子が実施したとする。これに対して重忠が冤罪で滅ぼされたという非常時を乗り切るために政子が仕切る必要があったとする見解がある。 「御家人層の動揺をおさえ、難局を乗り切るには、若い将軍の力では収拾しきれなかったであろう。将軍家以上の力を発揮できるのは、頼朝の御台所・将軍生母としての後家すなわち政子の力以外になかった」(田端泰子『女人政治の中世 北条政子と日野富子』吉川弘文館、2022年、39頁) 一方で政子は七月二〇日に自分に仕える女房にも重忠の遺領を恩賞として配分している。女性も領主であった。 政治的には政子は成功し、富子は失敗というイメージがある。しかし、源氏嫡流が途絶えたことを踏まえれば将軍家としては成功と言い難い。政子は自分の実家を贔屓し過ぎた。それでも北条氏以外の御家人達にとっても精神的支柱になったのだから個人のカリスマ性は恐ろしいものがある。畠山重忠を冤罪で滅ぼすなど北条氏が行ってきたことを考えれば承久の乱で「今こそ一致団結して立ち上がれ」と演説しても、「何言っているのか」となりそうなものである。 承久の乱で後鳥羽上皇が命じたことは北条義時の追討であった。鎌倉幕府を滅ぼすとは言っていない。ところが、北条政子の演説で鎌倉幕府の存亡の問題にすり変えられ、御家人達が一致団結して京に攻め上る結果になった。この論理のすり替えは政子の政治手腕を示すものであるが、後鳥羽上皇には無念だっただろう。 富子が足利将軍家を潰さずに大変な時代を乗り切った点は、もっと評価されて良いだろう。富子の悪評の根本原因は将軍家の後継者争いという応仁の乱の原因を作ったことである。応仁の乱は義政の弟の義視と義政と富子の息子の義尚の後継者争いとされる。義視を後継者としていたが、後から義尚が生まれ、富子が自分の子どもを将軍にしたいために横槍を入れたとの歴史観である。逆に義尚が生まれたのに、義視をそのままにした義政の優柔不断を問題視する見方もある。しかし、人間は急死することがあり、二人の後継ぎ候補を置くことは不自然ではない。 「次の将軍候補として義視と義尚の二人があったわけであるが、それは一種の安全装置としての配慮(義政が兄の急死により将軍の位についた前例もあるため)からなされたものであったといえるのではないか」(田端泰子『女人政治の中世 北条政子と日野富子』吉川弘文館、2022年、82頁)

Posted by ブクログ

2022/07/24

権利に於いて男尊女卑と言われる前近代だが、中世の武家社会においては女性も妻・後家・母として本拠地を離れている夫の代わりに権力を行使して社会を動かす存在であったことを解説している。北条政子は頼朝の武家政権樹立において仏事や夫と二人三脚の活躍で存在感を増し、夫の死後や二代目以降の不安...

権利に於いて男尊女卑と言われる前近代だが、中世の武家社会においては女性も妻・後家・母として本拠地を離れている夫の代わりに権力を行使して社会を動かす存在であったことを解説している。北条政子は頼朝の武家政権樹立において仏事や夫と二人三脚の活躍で存在感を増し、夫の死後や二代目以降の不安定な内紛の連続にも御家人の糾合などの役割を演じ、ついには官位を上げて二位家と呼ばれるほどの権威を確立する。日野富子は日野家が京都の商業の中心を所領としていたことから持っていた経済感覚による財力と御台としての権威により、応仁の乱とその後の状況下に夫義政や息子義尚が政治に倦む様なときでも公家社会への援助など立ち回って幕府を支えた結果、尋尊らに守銭奴の様に悪し様に記録され後世の乱の一因と目されるようになった。そして義政や富子に仕える女房らが将軍家と社会を取り次ぐ役割を解説。戦国時代の北政所おねは豊臣家においても政子や富子のような役割を演じていたが後嗣の問題で淀殿と権威を二分して社会との調整に失敗したのが豊臣家滅亡の原因だという。

Posted by ブクログ

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