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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 偕成社 |
発売年月日 | 2022/03/31 |
JAN | 9784038142505 |
- 書籍
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エーリッヒ・ケストナー こわれた時代
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エーリッヒ・ケストナー こわれた時代
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商品レビュー
3.8
6件のお客様レビュー
ケストナーの評伝。 はじめの少年時代については先日読んだ『ぼくが子どもだったころ』の引用が多く、「これなら『ぼくが…』を読んだ方がずっといいじゃないかと思った。ケストナーの実父については以前聞いたことがあったので特に驚かなかったが、証拠はないので断言するのはどうかと感じた。 しか...
ケストナーの評伝。 はじめの少年時代については先日読んだ『ぼくが子どもだったころ』の引用が多く、「これなら『ぼくが…』を読んだ方がずっといいじゃないかと思った。ケストナーの実父については以前聞いたことがあったので特に驚かなかったが、証拠はないので断言するのはどうかと感じた。 しかし、この本の一番素晴らしいところは、第二次世界大戦中から戦後のケストナーを詳しく描いたところにある。 焚書・発禁の対象作家はほとんどが海外に亡命したか、変節したか、死んだ(処刑含む)。ケストナーはドイツに残り、変節はせず、しかし処刑されるような危険な真似はしなかった。これがいかに大変なことであったかが、きちんと書かれている。三十代後半から四十代という、作家として一番脂がのっているときに書きたいものを書くことができなかったというのは、いかに苦しいことであったか。しかも、友人たちはいなくなり(亡命、変節、死)、読者以外の理解者も数えるほどだったのだ。戦中に思うような作品を発表できなかったせいで、戦後には「娯楽小説の作家」「児童文学の作家」とみなされ、鋭い観察眼と優れた描写力を持つ時事評論家であったことは忘れられてしまう。 戦後には数々の賞を受賞し、ゆるぎない名誉を得たが、作家としては忸怩たるものがあっただろう。 著者コルドンがケストナーの作品の欠点も書いているので「だけど、ケストナーの作品みたいな感動が得られる作品が他にありますか⁉」という気持ちで読んでいたのだが、結局コルドンもケストナーを愛し、彼の作品が正当に評価されていないことに怒っていることがわかった。 本書にも書いてあったことだが、昔子どもの本は「二流の作家」が書くというイメージが色濃くあった。内容も大人に都合のいい道徳的なものが多かった。ケストナーは知識人から高い評価を受けていていた一流の作家だが児童文学を書き、そこには「ほんものの子ども」が描かれていた。これを1920年にやっていたということは高く評価すべきだと思う。(チャペックとも似ていると思った。ミルンは一般書・児童書どちらも評価されているが、児童書は息子がいたから書けたのでちょっと違う気がする。) 私自身も児童文学しか読んでおらず、ケストナーがこれほど優れた批評家・文学者であったことは知らなかった。これから児童文学以外の作品も読んでみたいと思う。
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300ページを超す本だけど、読みやすい。ケストナーは、1899年2月生まれ1974年に食道癌で他界。第一次世界大戦があり、ベルリンの壁の崩壊も見ている。それだけでも、どんなに困難な時代を生きたことか。
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読み応えたっぷりのケストナーの伝記。戦争の時代、不穏な方向へ向かう人々を、ケストナーは文学の力で導こうとした。ナチスが台頭すると、多くの作家が亡命を図る中、彼は国内に残り、上層部に目を付けられながらも、この国の行く末を観察し続ける。ドイツの歴史はもちろんだが、彼がどんなに人々に訴...
読み応えたっぷりのケストナーの伝記。戦争の時代、不穏な方向へ向かう人々を、ケストナーは文学の力で導こうとした。ナチスが台頭すると、多くの作家が亡命を図る中、彼は国内に残り、上層部に目を付けられながらも、この国の行く末を観察し続ける。ドイツの歴史はもちろんだが、彼がどんなに人々に訴え続けても、過ちを犯してしまう人間の愚かさ、集団の恐怖を感じ、考えさせられる。晩年の彼が、結局自分は少数派なのだと諦めの境地に居たというのは、今の時代にも言えそうで、自分の頭で考え、行動する人というのはどうしても少数派になり得る感じがある。今の日本と、このナチスが台頭していく時代のドイツの空気は少し似ているものがあると感じ、怖くなった。自分の国や周囲の人々が危ない方向へ行きかけた時、自分は冷静で居られるか?過ちを犯さずに、見極められるか?
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