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感染症としての文学と哲学 光文社新書1183
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 光文社 |
発売年月日 | 2022/02/16 |
JAN | 9784334045913 |
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感染症としての文学と哲学
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商品レビュー
4.5
7件のお客様レビュー
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※このレビューにはネタバレを含みます
そうそう、この3年くらい、こういう本を読みたかったんだった。 さらに映画も追記していきたい。ex.ヴェルナー・ヘルツォーク「ノスフェラトゥ」、ジョージ・A・ロメロ「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」etc... さらに読み継ぐなら、平凡社ライブラリーの「病短編小説集」「疫病短編小説集」「医療短編小説集」。 @以下、コピペしたものに、目次に反映した人名のみを●で追記。 ◎目次 序章 パンデミックには日付がない 第一章 治癒・宗教・健康 【1】癒すこと、患うこと 【2】疫病と宗教 【3】健康の哲学 ●イマニュエル・カント 第二章 哲学における病 【1】古代――プラトンからルクレティウスまで ●プラトン ルクレティウス ヒポクラテス 【2】近代I――デカルトとその批判者 ●ルネ・デカルト パラケルスス アンドレアス・ヴェサリウス ウィリアム・ハーヴェイ 【3】近代II――カント・ヘーゲル・ニーチェ ●イマヌエル・カント ヴォルテール ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル フリードリヒ・ニーチェ 【4】近代III――フロイトの精神分析 ●ジークムント・フロイト アンドレ・ブルトン ジャック・ラカン 第三章 疫病と世界文学 【1】古代――ホメロス・ソフォクレス・ヒポクラテス ●ホメロス ソフォクレス ヒポクラテス 【2】ペスト――額縁・記録・啓示 ●ジョヴァンニ・ボッカッチョ ダンテ・アリギエーリ ダニエル・デフォー エドガー・アラン・ポー アルベール・カミュ 【3】コレラ――西洋を脅かす疫病 ●フョードル・ドストエフスキー ミハイル・バフチン ブラム・ストーカー トーマス・マン ギュスターヴ・フローベール ガブリエル・ガルシア=マルケス 【4】結核――ロマン主義の神話とその終焉 ●フランツ・カフカ トーマス・マン 梶井基次郎 堀辰雄 【5】エイズ以降――疫病と文学の分離 ●ドミニック・フェルナンデス 第四章 文学は医学をいかに描いたか 【1】小説は薬か? 毒か? ●ミシェル・ド・モンテーニュ フランソワ・ラブレー ジャン=ジャック・ルソー 【2】解剖学的想像力――ラブレーとフローベール ●フランソワ・ラブレー ギュスターヴ・フローベール 【3】解剖学的SF――H・G・ウェルズとJ・G・バラード ●クロード・ベルナール エミール・ゾラ メアリ・シェリー ハーバート・ジョージ・ウェルズ ジェームズ・グレアム・バラード 【4】病院としての社会 ●安部公房 ウィリアム・シェイクスピア イワン・ツルゲーネフ アントン・チェーホフ イワン・ソルジェニーツィン 終章 ソラリスとしての新型コロナウイルス 【1】感染モデルと衛生モデル ●エルンスト・テオドール・アマデウス・ホフマン レフ・トルストイ 【2】ソラリスとしての新型コロナウイルス ●ジャン・ボードリヤール スタニスワフ・レム 【3】病という戦略 あとがき
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〇新書で「コロナ」を読む⑮ 福嶋亮大『感染症としての文学と哲学』(光文社新書、2022) ・分 野:「コロナ」×「人文学」(哲学・文学) ・目 次: 序 章 パンデミックには日付がない 第1章 治癒・宗教・健康 第2章 哲学における病 第3章 疫病と世界文学 第4章...
〇新書で「コロナ」を読む⑮ 福嶋亮大『感染症としての文学と哲学』(光文社新書、2022) ・分 野:「コロナ」×「人文学」(哲学・文学) ・目 次: 序 章 パンデミックには日付がない 第1章 治癒・宗教・健康 第2章 哲学における病 第3章 疫病と世界文学 第4章 文学は医学をいかに描いたか 終 章 ソラリスとしての新型コロナウイルス あとがき ・総 評 本書は、新型コロナウイルスを含めた感染症やそれに対応する医学の進歩について、哲学や文学はどのような影響を受けたのか/与えたのかを分析したものである。著者は立教大学の准教授を務める文芸批評家である。 ペスト・コレラ・結核・エイズ、そして、新型コロナウイルス...これまで何度となく世界を襲ってきた感染症を前にして、人々はどのように世界を描いたのか――そのポイントは、以下の3点にまとめられる。 【POINT①】医学の進歩を「哲学」はどう取り入れたのか 心身二元論を唱えたデカルトが自ら医学的な観察や実験をしていたように、近代哲学は「死体の研究を抜きにはあり得なかった」という。その後、精神(意識)という哲学的思考の前提を解体することを目指したニーチェが推奨したのが「生理学」のモデルであった。また、心の「病因」を特定しようとしたフロイトがモデルとしていたのは「細菌学」であった。このように、医学と哲学には強い繋がりがあったが、二〇世紀以降は、哲学者が人体の究明からも感染症の課題からも遠ざかってしまったと指摘する。 【POINT②】文学は「感染症」をどのように描いたのか いずれも大量死をもたらすペストとコレラは、両者とも「個人の差異」を打ち消す一方で、前者は「〔共同体内部の〕無秩序なエネルギーを覚醒させる」役割を、後者は「〔外部からの〕他者(とりわけユダヤ人とアジア)の悪夢に浸食された」役割を文学によって与えられた。それとは対照的に、結核は「〔近代文学の〕個人主義」の要求に合わせ、特別な感受性を備えた「個」を際立たせる役割が与えられた。しかし、平成以降の文学は「心の病気」へと傾斜し、代わりに映画が感染症を描くようになったと指摘する。 【POINT③】新型コロナウイルスを人々はどう「語る」のか 新型コロナウイルスのように、人類のすべてが標的となる現代のパンデミックでは、文学における「隠喩としての病い」の有効性は失われつつある。特に、コロナは「特徴がないのが特徴」というウイルスであり、何かの意味や象徴というよりは、変化を加速させる触媒として機能したという。それに伴い、人々は元来もっていた思想を、ウイルスに託していっそう強力かつ極端に語るようになった。即ち、パンデミックは世界を一変させたのではなく、すでに生じつつあった変化を極端にしたと指摘する。 今回の新型コロナウイルスによるパンデミックは、第二次世界大戦後の時代が「疫病をつかのま忘れることができた時代」であったことを人々に思い出させた。また、コロナは、世界を変えたのではなく、あくまで「生じつつあった変化」を極端にしただけという指摘も非常に興味深い。コロナという感染症を個別に見るのではなく、人類と感染症の攻防という歴史的な文脈から分析を行うことで、新たな視点を提示する――まさに、哲学や文学といった人文学の面目躍如と言える一冊である。 (1180字)
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ペスト、コレラ、天然痘、結核、エイズなど。文学は疫病のイメージを利用し、変形し、哲学者も文学者も、疫病や医学のイメージを戦略的に操作してきた。個人的には、種痘に対する視点が興味深い。ヴォルテールは種痘を評価し、カントは道徳的に批判した。リスクや確率を基準にして推奨するのか、道徳を基準にして批判するのか。両方とも間違ってはいないだろうが、どちらか一方だけを重視することが最善とも思えない。
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