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ドガダンスデッサン 岩波文庫
1,485円
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 岩波書店 |
| 発売年月日 | 2021/11/16 |
| JAN | 9784003256060 |
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ドガダンスデッサン
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ドガダンスデッサン
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商品レビュー
3.3
4件のお客様レビュー
デッサンの本質を探求する本書では、画家ドガの肉声を通じて、芸術と身体の関わりが深く描かれています。読者は、ドガの作品を通じて、単なる形ではなく、見ることそのものの意味を再考させられます。「鉛筆を持って観る」ことの重要性が強調され、視覚と手の協調によって新たな理解が生まれる過程が描かれています。デッサンを通じて、自己の知覚の限界に気づくことができる一方で、芸術家が追求する「大芸術」の理想や、困難を乗り越える姿勢が示され、読者はその奥深さに引き込まれます。ドガの独自の視点と、彼に影響を受けたヴァレリーの考察が交錯することで、芸術の本質を再発見する旅が展開されます。
※この内容はAIが作成したものであり、ブックオフ公式オンラインストアの見解や意図を示すものではありません。
デッサンはデッサン、文章は文章で別々に出したほうが良かったのではと思うぐらい構成に脈絡がない。私が詩を解する人ならまた何か違うものが見えたのかも知れない
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「鉛筆を1本持って、ものを観る」のと、ただ「ものを観る」のと、どこが違うのだろうか。この問いを聞いて、デッサンを試してみようと思わない人は、どうかしている。けれども、素人のわたしにも、その後の展開は理解できるところだ。そんな単純に、ことを知ることはけっして起こらないのだ。「まっ...
「鉛筆を1本持って、ものを観る」のと、ただ「ものを観る」のと、どこが違うのだろうか。この問いを聞いて、デッサンを試してみようと思わない人は、どうかしている。けれども、素人のわたしにも、その後の展開は理解できるところだ。そんな単純に、ことを知ることはけっして起こらないのだ。「まったく違う二つのものを見ているに等しい」とヴァレリーはいうのだ。 画家ドガはここが異なるらしい。「作品はある主題とある才能の幸福な出会いから生まれるように見えるが、それと反対にこの種の深い芸術家、おそらくは賢明な深さを超えてなお深みに降りていこうとする芸術家は、楽しみを遅らせ、困難を創りだし、最短の道を恐れるのだ」というのだ。彼はこのことに気づいていた。 どのような困難だというのだろうか。鉛筆を持って、右目でテーブルの瓶をみて、左目でテーブルの灰皿をみる。ところが、描かれたと思っていた瓶と灰皿が同じテーブルの上に描かれていないのだ。絵がバラバラなのだ。目で見たときにはふつうであっても、いざ描いてみると、はじめに知覚していたもの、よく知っていると思っていたものが「ひどく変形してしまう」ことがデッサンではよく起こる。デッサンを描くには、右目と左目に加えて、手や身体のあらゆる器官の協力が必要であったのに、目は彷徨い出そうとするし、手は勝手に自動的に動き、仮想の世界を創り出そうとするのだ。つまりじつは、わたしが世界というものをまったく知らなかった、部分的な感覚に頼って、誤解していたことに気づくことになるのだ。 このような「障害は両義的な記号であり、それを前に絶望する者もいれば、そこに理解すべき何かがあると理解するものもいる。しかし、障害というものに気づくことさえない人たちもいる」のだ。わたしはたとえ不器用であっても、鉛筆を1本持って、「何かがあると理解する」者になってみたいものだと考えている。
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ヴァレリー氏が目指すところは「大芸術」なんだそうで、その内実はともかく、このネーミングだけで(フランス語の語感ではまた違うのかも知れないが)鼻をつまむ向きも多かろう。迂生もまた、この文字を見つけて、思い切り引いた口である。決して来ない完成を目指して、己の全存在を掛けて描き直しを続...
ヴァレリー氏が目指すところは「大芸術」なんだそうで、その内実はともかく、このネーミングだけで(フランス語の語感ではまた違うのかも知れないが)鼻をつまむ向きも多かろう。迂生もまた、この文字を見つけて、思い切り引いた口である。決して来ない完成を目指して、己の全存在を掛けて描き直しを続ける芸術家を理想とし、印象派もキュビストもシュルレアリストもお気に召さなかった(アーティストとは親しく付合った)とか言われると、こりゃあ、敬して遠ざけるに如くは無いかな、とも思える。縁なき衆生は度し難しとでも言われるかも知れないが、うーん、救われなくてもいいような。 ヴァレリー氏が描くドガ氏もまためんどくさそうな御仁で、十九世紀的で、ロマンティックな芸術家像そのままという気がする。先に触れたヴァレリー氏の芸術観からすると、鵜呑みにしてよいものかとも思うが。
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