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星の時
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星の時

クラリッセ・リスペクトル(著者), 福嶋伸洋(訳者)

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星の時

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 河出書房新社
発売年月日 2021/03/26
JAN 9784309208190

星の時

¥2,695

商品レビュー

4.1

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2026/06/02

タイピストとして働くマカベーアはこれまでの履歴だけを見ると不幸であると分類されてしまう環境に生きているが、無知である彼女は不幸であることを知らず、幸福さえ感じながら日々を過ごしていた。 物語の語り手であるロドリーゴが描く彼女の輪郭は始まりの時、絵画のように平面の人物として登場す...

タイピストとして働くマカベーアはこれまでの履歴だけを見ると不幸であると分類されてしまう環境に生きているが、無知である彼女は不幸であることを知らず、幸福さえ感じながら日々を過ごしていた。 物語の語り手であるロドリーゴが描く彼女の輪郭は始まりの時、絵画のように平面の人物として登場するが、「ぼくはいまこの瞬間、こんな他人ごとの、あからさまな話であなたがたの領分に入り込んでしまうことに、恥じらいを先取りしながら書いている」と宣言し、視線を先回りして読者を解剖し、用意周到に彼女を立体化させる準備を整えてゆく。 私たちの表層で語られていたはずの物語は気づけばロドリーゴ視点に取り込まれ、肉付けされてゆく彼女はついに息遣いさえ聞こえるように肉体をともなったマカベーアとなり、私たちは出会う。モブのように平坦に書かれる彼女にくっきりとした色彩が与えられ、人生が大きく動き出すのは霊媒師の元を訪れる場面。 霊媒師の話に耳を傾け、自分は不幸だったのかとマカベーアは蒙を啓かれ、幸せだと思っていた日々は崩れ去った。そして現実を知ったその時、霊媒師から彼女の未来の幸福が予言として無責任にも確約される。 答えは自分の中にあるのに人に相談し、自分の決断を肯定してほしいという感情に似て、無責任で根拠のない約束であっても人は弱いが故に救われることがある。「星の時」はアガサ・クリスティーの「春にして君を離れ」のような味わいの「気づき」の物語であり、彼女との出会いを通して読者も深い所にいる自分の本質と出会うことになる。 マカベーアのように本人は幸福のうちに生きているのに、「かわいそう」という視点で見ている人たちの真理も浮き彫りにし、読者の心の傲慢さや差別感情の根っこを開いて見せるリスペクトルのドS精神も物語の中心に太く根付いている恐ろしい物語でもある。冒頭に、「あなたがたの領域に入り込んでしまう」と書いているように、著者リスペクトルはこの物語を通じて、読み手の心の深い部分を揺さぶり、それぞれの心の形を読もうとしているところも恐ろしい。 アレグロ・コン・ブリオ(陽気に速く)語られる物語の先で見つけた自分は、認知していた自分と綺麗に重なるだろうか。自分の心の慢心さを問う鏡として、これから先も長く読み継がれるだろう傑作。読むほどに輝きも鋭利さも増す、居心地の悪さの頂点。「春にして君を離れ」とセットで是非。

Posted by ブクログ

2025/11/16

作品紹介・あらすじ 23言語で翻訳、世界的再評価の進む20世紀の巨匠が生んだ奇跡の文学。 「20世紀のもっとも謎めいた作家のひとり」(オルハン・パムク) 「カフカやジョイスと同じ正殿に属する」(エドマンド・ホワイト) 「オブライエン、ボルヘス、ペソアと並ぶ20世紀の隠れた天才」...

作品紹介・あらすじ 23言語で翻訳、世界的再評価の進む20世紀の巨匠が生んだ奇跡の文学。 「20世紀のもっとも謎めいた作家のひとり」(オルハン・パムク) 「カフカやジョイスと同じ正殿に属する」(エドマンド・ホワイト) 「オブライエン、ボルヘス、ペソアと並ぶ20世紀の隠れた天才」(コルム・トビーン) 「ブラジルのヴァージニア・ウルフ」(ウォール・ストリート・ジャーナル) 荒野からやってきた北東部の女・マカベーアの人生を語る、作家のロドリーゴ・S・M。リオのスラム街でタイピストとして暮らし、映画スターに憧れ、コカコーラとホットドッグが好きで、「不幸であることを知らない」ひとりの女の物語は、栄光の瞬間へと導かれてゆく――。 ***** ウクライナ生まれで、ユダヤ人迫害から逃れるため生後2ヵ月で家族とともにブラジルへ移住したクラリッセ・リスペクトルの遺作。 語り手ロドリーゴ・S・Mが書くマカベーアという少女の物語、というメタフィクション的構成になっている。このマカベーアは無垢で無知、何も持っておらず自分が不幸であることさえ知らない少女。作者のクラリッセによればマカベーアは「踏みつぶされた無垢」であり「名もなき悲惨」ということになる。 僕は読み進めていくうちにそんな少女に対してどんどんと形容し難い感情を持った。恋愛感情や同情、慈悲、憐憫といった感情とも違う、あるいはそれらすべてが一体となった「名もなき感情」といったもの。ロドリーゴの語りを通してではなく、物語の中で生きるマカベーア自身に対してそのような感情を持った。 そして物語のラスト、彼女が辿り着いた人生の末路を知るに及んで、(ある程度この結末は予想がついたにも関わらず)この得体の知れない感情をどう処理していいのか、しばらく唖然としてしまった。 ちなみに本作は映画化されているのだけれど、その映画ではロドリーゴの語りに関しては完全にオミットされている(YouTubeで全編視聴可能)。賛否があるかもしれないけれど僕は正解だったように思った。 僕は初めて彼女の作品を読んだのだけれど、物凄く印象に残った作品となった。最初の数ページはとっつきにくさを感じたのだけれど、途中から読むことをやめられなくなってしまった。他の作品も機会があれば読んでみたいと思っている。

Posted by ブクログ

2025/05/02

作家ロドリーゴが持たざる女の子マカベーアの物語を物語ることについて物語る小説(をリスペクトルが物語る)。ロドリーゴは人格としてはあまり成熟していないような印象を受ける一方、美しく難解なアフォリズムめいた言葉を書き、またマカベーアの物語をはじめる前の準備運動を散々見せてくれるので、...

作家ロドリーゴが持たざる女の子マカベーアの物語を物語ることについて物語る小説(をリスペクトルが物語る)。ロドリーゴは人格としてはあまり成熟していないような印象を受ける一方、美しく難解なアフォリズムめいた言葉を書き、またマカベーアの物語をはじめる前の準備運動を散々見せてくれるので、マカベーアはなかなか登場しない。ようやくマカベーアの物語が始まると、その痛ましさや世界とのずれから生まれる哀しいユーモアに魅せられるが、これは魅せられていいものなのかとも思う。 マカベーアは「私は誰?」という問いを発する愚かさを持っていなかったと語られるが、この問いはナジャを思い出す。私とは誰か、それは私が誰とつきあっているのかを知ること。私はナジャを理解できず、なぜブルトンがナジャという作品を書いたのかがよく理解できなかったが、この作品を読み終わった時も少し似たようなことを思った。自らのアイデンティティのためにある人物を言葉を素材として造りあげようとすること、そして彼らの物語に終わりを与えること、その傲慢さ。 もちろんリスペクトルはその傲慢さを自覚しているし(ロドリーゴの時々見せる鼻持ちならさよ)、読み手の私も共犯者だ。私も物語られるマカベーアとして、マカベーアを物語るロドリーゴとして、その言葉に私をゆだねることで、私の中の私ではない何か、あるいは誰かを探りあてようとしている。なぜ書くのかということとなぜ読むのかということに大した違いはないのかもしれない。

Posted by ブクログ

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