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オスマンvs.ヨーロッパ 〈トルコの脅威〉とは何だったのか 講談社学術文庫
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 講談社 |
発売年月日 | 2021/03/11 |
JAN | 9784065228456 |
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オスマンvs.ヨーロッパ
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オスマンvs.ヨーロッパ
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商品レビュー
3.5
4件のお客様レビュー
昨年トルコ・ギリシャ旅行をした関係で、トルコの歴史としてオスマン帝国を知りたいと思い、購入した一冊。世界史なんて高校生ぶりで正直大して頭に入っていない気がするけど、この新鮮な感じは読んで楽しかった。 旅行したときも、建物とか人の顔とかご飯とか、ちょっと移動するだけでヨーロッパとア...
昨年トルコ・ギリシャ旅行をした関係で、トルコの歴史としてオスマン帝国を知りたいと思い、購入した一冊。世界史なんて高校生ぶりで正直大して頭に入っていない気がするけど、この新鮮な感じは読んで楽しかった。 旅行したときも、建物とか人の顔とかご飯とか、ちょっと移動するだけでヨーロッパとアジアを行き来しているような多様な雰囲気を感じて、地理的に境界だからと理解していたけど歴史的な背景が大いに絡んでいることを知れた。もとを辿れば匈奴(モンゴルの方)から西方に色んな文化を"取り込み"ながらたどり着いた先がヨーロッパの手前でだったらしい。政教分離で、異宗教・異文化を否定しない、●●人の国ではなく、オスマンの名のもとにある地域すべてがオスマン帝国。各々の利益は確保されつつ、親元には大国がいて、なんかビジネスのモデルになりそうな、、こういう分野に聡くないけど今の時代にもいい考え方のような気がした。 よくもわるくも人生まだ長いので旅しながらインプットも増やしながら、世界のことを知っていきたい。 トルコ・ギリシャ旅行記↓ https://note.com/shinoote/n/naa28ae1b8368
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トルコ系遊牧民の興亡を前史として、10世紀半ば以降のカラハン朝、ガズナ朝に代表されるトルコ族のイスラム化、そしてセルジュク朝によるアナトリアのイスラム化という歴史が語られる。 14世紀からオスマン朝の発展が始まる。ビザンツ領への進出、さらにバルカンへの進出。このような軍事的発...
トルコ系遊牧民の興亡を前史として、10世紀半ば以降のカラハン朝、ガズナ朝に代表されるトルコ族のイスラム化、そしてセルジュク朝によるアナトリアのイスラム化という歴史が語られる。 14世紀からオスマン朝の発展が始まる。ビザンツ領への進出、さらにバルカンへの進出。このような軍事的発展を支えたものが、有名なイェニチェリであった。ティムールに一敗地にまみれるが、何とか復興し、これまた有名な1453年のコンスタンティノープル征服となる。 壮麗王スレイマン大帝の治世、同時代ヨーロッパにはカール5世やフランソワ1世がいて、敵対、協調関係が繰り広げられ、ウィーン包囲に至る。帝国最盛期とも言われる時代であったが、後継者選びの失敗から、徐々に下降期に入っていく。 そしておよそ150年後の第二次ウィーン包囲の失敗により、オスマン帝国とヨーロッパとの力関係が逆転し始める。ここからはロシアの南下やバルカン諸国の自立化といったヨーロッパ史の良く知られた時代になっていく。 特別に新しい知見が得られるという訳ではないが、オスマン帝国の栄枯盛衰がコンパクトにまとめられており、特に神聖ローマ帝国、フランス、ベェネチア等イタリア諸都市、ローマ教皇等との関係が比較的分かりやすく叙述されている。トルコ史を知るための最初の一冊として薦められる。 詳しいことは知らなかった行政の仕組み、軍事的奉仕義務の代償に徴税権が与えられるティマール制からイルティザーム(徴税請負制)への移行についても分かりやすい説明があり、勉強になった。
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オスマン帝国の成立以前、遊牧民であった頃からのトルコ族(とその他の民族の共同体)の強みであったのが「柔軟性」。人種や宗教の違いを柔軟に受け入れ、交易などで実をとった。柔軟性が帝国の拡大と停止とともに失われ、硬直した体制になっていったことが、オスマン帝国の衰退の要因。一方のヨーロッ...
オスマン帝国の成立以前、遊牧民であった頃からのトルコ族(とその他の民族の共同体)の強みであったのが「柔軟性」。人種や宗教の違いを柔軟に受け入れ、交易などで実をとった。柔軟性が帝国の拡大と停止とともに失われ、硬直した体制になっていったことが、オスマン帝国の衰退の要因。一方のヨーロッパは中世こそ硬直したカトリック体制だが、トルコの脅威を受け近代化、そして逆転。 組織が停滞したときに、硬直的な勢力が出現して組織が停滞してしまうのは、いつの時代でもあることのようだ。
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