商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 新泉社 |
発売年月日 | 2020/10/12 |
JAN | 9784787720191 |
- 書籍
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風景と自由
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風景と自由
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『その時に「ウソ・虚構はだめ」と言われた。ホトトギス(写生有季定型)である。それを私は選んだのだ。つまり私が俳句にしているのは、風景でしかない。では風景とはなんなのか? 作句の突破口をひらくため、あるいは世界をそこにとめるため、その目で風景を見ること。そのさい、シャッターを切る心...
『その時に「ウソ・虚構はだめ」と言われた。ホトトギス(写生有季定型)である。それを私は選んだのだ。つまり私が俳句にしているのは、風景でしかない。では風景とはなんなのか? 作句の突破口をひらくため、あるいは世界をそこにとめるため、その目で風景を見ること。そのさい、シャッターを切る心構えで角度や焦点を変えて見るべし』―『はじめに』 ある私家集を読んだら、うっかり天野健太郎氏の思い出に浸ってしまったので、遺稿となった句集を読んでみる。当然のことながら翻訳とはまた異なるその人となりが垣間見える。斎藤真理子による解説がとてもよい。本当に惜しい人をなくしたという思いがしんしんと積もってくる。 生前既に出版を想定して用意してあった第一句集「風景と自由」、そして本人の残した表題「俳句にならなかった風景」の下、実父が編んだ第二句集、更に随筆を合わせた一冊。本人がホトトギス派を標榜するのは、俳句の師匠である叔父の影響もあってのことようだが、斎藤の解説にある通り、何より天野がとても目のよい人であったことがその素地にあるだろう。目の良さとは、単にモノがよく見えるということを意味するだけではなく、コトもまたよく見えることを意味する。そうだろうとその翻訳から想像していたが、並べられた句を読み継ぐと、そこに立ち上がるのもやはりモノだけではなくコトの在り様なのだ。写生というよりはドキュメンタリー。その観察対象の中には俳人自らも含まれ、そのコトから、その人が既に亡くなってしまっていることを知りながら読むものには、その先の書かれてはいない悲しみが、どうしても浮かび上がってしまう。 『 梅雨はいつまでも雨を降らさず ホームレスは完全な一本の煙草を拾う 』―『いつも心に自画自賛』 俳句の勉強をしている訳ではないけれど、ぽつぽつと短い言葉を紡ぐのは好きで季語にこだわらずにやっている。好きなのは、俗な趣味で気恥ずかしいのだが、山頭火。あそこまで破調にする技は持ち合わせないけれど、ともすると五七五の拍から字がこぼれる。そんな趣味も手伝ってか、天野の破調の句に特に惹き寄せられる。行分けして書かれた二つの句は、まるで一つの句のように定型を破って響いてくる。二句目には明確な季語が無いように見えるが、梅雨の季節の中、読まれた句だとするなら、侘しさと小さな幸せが同居する風景が鮮やかに立ち上がる。そしてその行為から目を逸らさずに見届ける天野の視線の柔らかさも同時に感じ取れる好きな句だ。 『 彼岸まで赤字を入れる我が身かな 』―『俳句にならなかった風景』 二〇一八年出版の呉明益の翻訳第二弾「自転車泥棒」に取り組んでいた時は既に病と戦う身であったようだが、そのことを思わせるような句が一つ。残された時間との戦い、焦燥が伝わる。そして、闘病の記録。その出版を見届けるようにしての夭折。 『 蛇口からお薬の水冷ややかに かじかみて筐体の裏薬を探す 』―『俳句にならなかった風景』 自選ではない句集には、天野健太郎の一読者としてはついぞ想像していなかった苦悩が其処彼処に散らばり、読むのが少々辛い。それでも、その苦痛や悔しさをどこかに保留するような芯の強さも句から感じる。そして斎藤真理子も選んでいた一句。恰も昇天した自分を詠んだような句はからりとして、憐憫のようなものはない。 『 秋の雲見下ろしているデジャヴかな 』―『俳句にならなかった風景』 心から、天野健太郎の翻訳をもっと読みたかったという思いが強くなるばかり。
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初めて読んだ台湾の作家さんの小説は呉明益さんの「歩道橋の魔術師」でした。 ストーリーのおもしろさはもちろん、翻訳者である天野健太郎さんの文章がとても素敵で、大好きになりました。 これからもっともっと天野健太郎さんの訳の台湾小説が読みたいと思ったら2年前に亡くなられていたと知りとて...
初めて読んだ台湾の作家さんの小説は呉明益さんの「歩道橋の魔術師」でした。 ストーリーのおもしろさはもちろん、翻訳者である天野健太郎さんの文章がとても素敵で、大好きになりました。 これからもっともっと天野健太郎さんの訳の台湾小説が読みたいと思ったら2年前に亡くなられていたと知りとてもショックでした。 今日は天野健太郎さんのご命日だそうです。 ちょうど今日TAIWAN BOOK FAIRで訪れた本屋さんで、天野さんのこの本に出会えてよかったです。 俳句はそんなに好きではないかな‥と思っていたのですが、翻訳家でもあり俳人であった天野さんの俳句には、天野さんが見た情景、景色が私にも見えるほど、その時の気持ちが伝わってくるほどリアルで素晴らしくて、くすっと笑ったり涙が出たりしながら読みました。 五七五の中にこんなに天野さん自身が詰まっていて、心に響いてくるなんて本当にすごい。 俳句の力を、天野さんの言葉の力を感じました。
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2012年から18年の7年間で12冊の台湾・香港関連の翻訳書を出した台湾文学翻訳者にして俳人である著者の唯一の句文集。季語と風景を読むオーソドックスな形式。17音に切り取られた言葉から、遠くまで見渡すことができるような透明感がある。筆者が訳してきた多くの著書で紡いできた言葉の源が...
2012年から18年の7年間で12冊の台湾・香港関連の翻訳書を出した台湾文学翻訳者にして俳人である著者の唯一の句文集。季語と風景を読むオーソドックスな形式。17音に切り取られた言葉から、遠くまで見渡すことができるような透明感がある。筆者が訳してきた多くの著書で紡いできた言葉の源がこれらの俳句にあったことを改めて知る。だからこそ、もっと生きてもらって多くの本を訳してもらいたかったし、読んでいきたかった…。
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