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コロナという「非日常」を生きる WAC BUNKO
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | ワック |
発売年月日 | 2020/10/09 |
JAN | 9784898318287 |
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コロナという「非日常」を生きる
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コロナという「非日常」を生きる
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B29の空襲から、コロナの恐怖まで 「死」に直面した時、人は何かを学ぶ とある。 地に足をつけた、著者のひとこと、ひとことは、理屈ではなく、感情であり、考え、経験し、行動をともなった氏の事実なのである。 気になったことは、次です。 ・子供の時から、私の中では「世間は予想され...
B29の空襲から、コロナの恐怖まで 「死」に直面した時、人は何かを学ぶ とある。 地に足をつけた、著者のひとこと、ひとことは、理屈ではなく、感情であり、考え、経験し、行動をともなった氏の事実なのである。 気になったことは、次です。 ・子供の時から、私の中では「世間は予想された筋書き通りにはならない」という思いが人一倍強いように思える。 ・つまり世の中が、論理ではなく、予想しがたい現実によって或る決着を見ると、私の本性の一部はいきいきと反応した。 ・穏やかな日常より、如何ともしがたい運命の荒波の中に置かれた人間の方が、より明晰な人間らしさを見せるのだ。 ・教育というものは、すべて長い時間がかかる。ほとんど一代かかって、体で覚えさせる他はない ・(東京大空襲をしめして)その時すでに、自国の首都が「一夜にして焦土に帰する」攻撃をうけても、日本軍には反撃をする力はなかったのである。 ・うっかり真心をこめて或ることに、「仕え」たりすると、それに応えない相手に逆に恨みを持ちそうな気がしたのだ。反対に自分がそのことに真心をこめないと、自分の方が常に負い目をもって暮らす。真心を込めなければ、人を恨むこともない。だから誠実一本槍の人はおっかない、と考えるようになったのだ。 ・生きるということは、刻々に自己責任による決定をし続け、しかもそれが決して正しい選択ではなかったことが立証されていたのである。 ・人間は、自分の冷静な選択で生き延びているなどとは思わないことだ。思考によって身の安全を図っていることも事実だ。しかし偶然に助けられることもある。 ・私は今でも始終、若さを、輝かしさとしてでなく、許しがたい未熟さとして苦々しく考えてしまう。 ・私は、「お受験」に強い秀才よりも、その手の動物的感覚をもつ人の方を信用していた。人間はまず生きるのに有能な強い本能をもった動物でなければならない。その上で文字や記号を使った抽象的分野の理解もできることが望ましい。 ・ここで問題になるのは、二つの両極である。つまり作られた規則を守る、という人間の姿と、規則を破り、周囲の人間をあざむいて自分の行動を強行するという意欲との、実は双方を兼ね備えて物事は考えられなければならないのが普通である。だから、制度、装置などの外的な装備は、すべてこの二面性に対して有効なものでなければならない。 ・若いうちから、私は生涯の予定を立てる癖があった。恐らく予定通りにならないだろうと思いながら、それでも予定を立てるのである。 ・私たちの多くは、死を意識せず、死から学ぼうともせず、死ぬまで愛を示すこともなく、死ぬまでの時間を有効に使おうとも考えず生きている。 ・私はカトリックの学校に入れられたのだが、その私立学校の偉大さは、子供の頃から私たちに「死」を教えたことであった。 ・人生は、無限ではなく、有限である。 ・学校など行けなくても、つまりその人は、「文盲」などではなかったうえ、むしろ秀才であった。私が常日頃言っていることだが、学問というものはほとんど独学である、ということを立証してくれているような人柄だった。 ・私は、人生が公平であることを信じたことがなかった。 ・聖書には「あなたの敵を愛しなさい」とある。私のように「敵は愛せません」と思ってもいいのだ。なぜなら愛というものは、「自然にそうなる感情」ではなく、無理して理性で、そのように感じるべきであるように自分を納得させることなのだと教えらえた時から、私の気持ちは楽になったのである。 ・友情の手始めは尊敬である。そのためには、国民一人ひとりが、尊敬に値する人間にならなければならない、ということを意外と忘れられている。 ・多くの外国人は、日本人よりももっと不平等に慣れている。 ・私は昔から、一つのことに尽くす人の生き方に、深い尊敬を抱いてきた。あの道も、この仕事も、どれもこれも皆やってみて、それなりにうまくこなす人も世間にはいるが、それとは、正反対に、恋なら一人の相手、物でも一つの物に深い愛着を抱いていく心の姿勢に、惹かれ続けるのである。 目次は、以下の通りです。 第1章 コロナという「非日常」 第2章 人生の持ち時間 第3章 家族の体温 第4章 二番手の愉しみ あとがき
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※このレビューにはネタバレを含みます
1931年生まれ、曽野綾子さん「コロナという非日常を生きる」、2020.10発行。コロナという非日常、人生の持ち時間、家族の体温、二番手の愉しみの4つの章立てです。さらっと一読しました。印象に残ったのは、2017.2.3に亡くなった三浦朱門さんの12万円のへそくり?で2匹の猫(直助と雪)を買ったことでしょうか。
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戦中からコロナ禍まで、苦難の時代を冷静に見つめ生きてきた著者の記憶に先ずは感心。癩病との関わり等、宗教心に裏付けられた生き様に憧れるようになったのは、自分自身が信仰を求めているのだろうか。
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