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世界文学の古典を読む 放送大学教材
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世界文学の古典を読む 放送大学教材

村松真理子, 横山安由美【編著】

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 放送大学教育振興会/NHK出版
発売年月日 2020/03/20
JAN 9784595321887

世界文学の古典を読む

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2021/02/03

2021/2/3 オデュッセイア、オイディプス王、アエネイース、神曲、デカメロン、エセーをパラパラと概観。 以前ヨーロッパを旅した経験から、特に『エセー』に対する興味が沸々とわいてきた。旅は人生の縮図である。どこかの街に行くことを目的とする旅は終着点としての死を恐れて生きる人...

2021/2/3 オデュッセイア、オイディプス王、アエネイース、神曲、デカメロン、エセーをパラパラと概観。 以前ヨーロッパを旅した経験から、特に『エセー』に対する興味が沸々とわいてきた。旅は人生の縮図である。どこかの街に行くことを目的とする旅は終着点としての死を恐れて生きる人生でしかなく、目的なく歩くために歩き、生きるために生きる。先々にある深淵なる闇ではなく、足元の光に目を向けろ、ということか。 15章「テクストと旅」における横山安由美先生の旅についての話にも大変共感した。 モンテーニュは徒歩や馬で移動する中で土地土地の言語や文化のグラデーションを楽しんだ。つまり一体化する世界を感じ取っていた。これはソクラテスが「あなたはどこの人か?」と尋ねられた時に「アテナイ人だ」と答えずに「世界人だ」と答える感覚と近いと思われる。 一方、島国の日本は異国に行く際にはグラデーションを楽しむどころか、急激な変化に恐怖したり孤立感を感じさせるという一節には共感せずにはいられない。 また引用されているジョアシャン・デュ・ベレーによる旅先の失望体験も非常によく分かる。横山先生は「一方的な思い込みと激しい自己嫌悪。この落差は若者固有の情熱や主観性を感じさせ、どこか痛々しい。だがこの体験は無駄ではなかった。外に向かったことで、自分の内面に回帰できたのだった」と言う。 僕自身も、ヨーロッパという憧れの地を旅することに大きな憧れを長年抱いていた。ただ憧れが現実になった途端に希望の色は褪せていた。東京→ワルシャワ便で着陸寸前に憧れのヨーロッパという土地を見た瞬間に、旅は終わったような感覚に陥ってしまった。それから憧れという虚飾ではなく、自分の内面に意識が向かい始めた。今こうして読書しているのも、自分の内面を耕すという側面が非常に強い。そのため、「外に向かったことで、自分の内面に回帰できた」というのは心の底から共感した。

Posted by ブクログ

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