商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 原書房 |
発売年月日 | 2020/04/25 |
JAN | 9784562056996 |
- 書籍
- 書籍
地図で見る イタリアハンドブック
商品が入荷した店舗:店
店頭で購入可能な商品の入荷情報となります
ご来店の際には売り切れの場合もございます
お客様宅への発送や電話でのお取り置き・お取り寄せは行っておりません
地図で見る イタリアハンドブック
¥3,080
在庫あり
商品レビュー
3
1件のお客様レビュー
イタリアについては歴史も現状も案外何も知らなかった、というのが分かった。海外ニュースとしても米英仏よりは量は少ない気がする。イタリアの都市といえばまずはローマ、と思っていたが、1871年に統一イタリアの首都になった時点では停滞に沈んだ平凡な都市にすぎなく、その首都に見合ったレベル...
イタリアについては歴史も現状も案外何も知らなかった、というのが分かった。海外ニュースとしても米英仏よりは量は少ない気がする。イタリアの都市といえばまずはローマ、と思っていたが、1871年に統一イタリアの首都になった時点では停滞に沈んだ平凡な都市にすぎなく、その首都に見合ったレベルに達したのは1980年代初頭になってからだ、とある。それまでは北部のミラノが顔だったらしい。そういえばミラノファッションとかあるなあ。旅行でローマに行ったのは1982年。古代遺跡に魅了され街並みもきれいだった・・ 著者はオーレリアン・デルビルー、地理学の教授資格、空間計画・都市計画博士。パリ都市計画学部(パリ大学エスト)の准教授の著。ほかにステファヌ・ムルラーヌ、エクス=マルセイユ大学現代史准教授。 歴史家と地理学者の視点から、イタリアの19世紀以来の現実の複雑さを解明する。 ・3つのイタリア? 以前は北部、南部と2者だったが、現在は進んだ北部でもなく、遅れた南部でもない、第3のイタリアの存在が確認されたことと、ローマの勃興がイタリア半島の地理の再編につながる。 ・2つの首都? 人口:ローマ280万人、ミラノ130万人 ローマの人口は1930年代から増え1950年あたりでミラノを抜き、1970年には230万人位となる(グラフ) ・100の都市のイタリア 国内各地の都市が、今日でもなおガンパニリズモZ(郷土愛)という形で強固な帰属意識を保っていて、いまもイタリアのアイデンティティの中枢であるといえる。 ・南部問題 半島南部の、統一後のイタリア経済の変化への適応の困難さを言う ・苦い土地イタリア 多くの火山。アドリア海プレートが長靴の縦にに中央からアドリア海対岸を楕円に囲む。 ・言語の問題 少数派の言語と多様な方言は今も健在。現在のイタリア語はトスカーナ(ローマに接した北部)地方の方言を豊かにした形。 ・老いるイタリア 65歳以上の割合は2017年22%位でヨーロッパ諸国中1位。欧州連合での合計特殊出生率は2016年1.32位で最下位。 ・イタリア式家族 家族はいまもイタリア社会を構成する中心的要素。 18歳から34歳で少なくとも両親の一方と同居している% EU平均が男性55%、平均50%、女性45%弱なのに対し、男性73%、合計67%、女性60%とだいたい15%くらい同居率が高い。 ・国外への移民 1900年あたりがピークで年900千人、1950-70あたりでまた上がり年30千人前後、それが1990年あたりからは10千人位の低位が続く。(グラフが小さいので数字はパッとみた概数) ・1876-1914はアメリカへが400万人、次いでフランス200万人、スイス、ドイツ各100万人、アルゼンチン200万、ブラジル100万 ・1919-1939は、フランスへが200万、アメリカが100万、アルゼンチンが50万 ・1946-1980はスイスが200万、ドイツ、フランスが100万、アメリカ、カナダ、アルゼンチンが50万 ・イタリア国内の外国人 2018年 ロンバルディア地方110万人、ヴェネト、ピエモンテ、エミリア=ロマーニャ、ラツィオ地方が各50万人・・ここまでは北部と中部。南部にも各所いるが北部よりはずっと少ない。 〇入国元国 2018年 1位ルーマニア1200千人で断トツ1位。2位がアルバニアで410千人、3位モロッコ405千人。4位中国290千人、5位ウクライナ220千人(数字はグラフからのおおよその数字) ・外国人は2001年あたりから伸び2010年まで右上がり。2016までも微増で5000千人。 2020.5.10第1刷 図書館
Posted by