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アナザー1964 パラリンピック序章
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アナザー1964 パラリンピック序章

稲泉連(著者)

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アナザー1964 パラリンピック序章

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 小学館
発売年月日 2020/03/18
JAN 9784093887403

アナザー1964

¥1,870

商品レビュー

3

3件のお客様レビュー

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2024/06/20
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※このレビューにはネタバレを含みます

『タラント』を読んで。 医師中村氏のはパラリンピックは序章の扱いだったが、本作は正にパラリンピックにどう障害者を収集したかなど、タイトル通りの作品。 タラントで祖父のスカウトの件、そんな簡単に、と思ったが本作を読んで本当に寄せ集めだったことに驚いた。 祖父も施設など同体験者がそばにいたら、ひょっとして出場したのでは?? なかなか正直な出場者たちのインタビューが面白い。 けれどその後に関し、資金集めなど尽力した方もいて、彼らの努力で日本のスポーツは継続できているのだな、とも。 選手宣誓の青野繁夫氏が同郷で驚いた。学校で特に習わなかったし。。けれど走り幅跳びの選手の同郷で、調べたら引退してしまっていたが、現在でもオリンピックとパラリンピックでは知名度が違うのだろうなぁ。。 上皇様と美智子様の姿勢も初めて知った。 海外選手の自信さと自由さ、日本人の違いは現代でも払拭出来ていないように思う。 けれど、それまでスポーツとは無縁の人がパラリンピック出場となるにが不思議だったけれど、本作を読んでスポーツの意義というのは感じられた。 身体を動かすことがリハビリになり、それがスポーツであった方が、人によってはやる気が出ると思う。 明るくなった人のいるというし、記録、とか目標があった方が良いのは戦時中に水泳で記録大会を行ったエピソードでも感じられたので。 橋本祐子氏。 「奉仕とは、暇があるから、金があるから、物があるからする、というような余り物をくれてやる偽善ではない」 「単なる継続は停止以外の何物でもないのよ」 プロフェッショナルでも継続しつつも、より良いものを、という向上心がセットとよく言うしなぁ。。 『すごく伸びやかで明るい外国人選手に比べて、日本の選手たちは確かに借りてきた猫のように最初は見えました。』 中村医師 「休日に私が当直をしていると、ふらりと立ち寄る家族連れがいる。…(家族の面会や見舞がない患者に)見舞いに来た。これからピクニックに行くが、ここに立ち寄るつもりで一時間早く家を出た。弁当の患者に食べてもらうために余分に作ってきた。…こういうことが、ごく当たり前のことになっている国である。」 作者後書きが2020年2月で、当時はまだオリンピック延期の事実はしらなかったのだろうなぁ。。

Posted by ブクログ

2021/07/06

1964年、日本を熱狂させた東京五輪の後に、あまり多くの注目を集めることもなく開催されたパラリンピック大会は、日本が障害者スポーツというものに初めて接する場になった。それがどのように実現され何を残したか、選手をはじめ関係者の証言からたどるノンフィクション。 五輪とともにパラリンピ...

1964年、日本を熱狂させた東京五輪の後に、あまり多くの注目を集めることもなく開催されたパラリンピック大会は、日本が障害者スポーツというものに初めて接する場になった。それがどのように実現され何を残したか、選手をはじめ関係者の証言からたどるノンフィクション。 五輪とともにパラリンピックのホスト国にもなることが決まり、なんとか面目を保つために奔走する日本政府。選手たちの間には「見せ物にされるのでは」という不安さえあったが、障害者のリハビリと社会復帰に一生をささげた医師中村裕や、若者たちにボランティア精神を広めた橋本裕子、その橋本と親しく接した皇后美智子ら関係者の熱意、また前向きな海外選手との交流を通じて、パラリンピックは日本における障害者福祉発展の基礎を築いた――これが現在も語られる公式のストーリーだ。そこからはみ出し裏切る出場選手らの語りを拾っていることこそ、本書の大きな功績といえよう。実際、各地の療養所からかき集められた患者たちは、やったこともない複数の競技にわずか1年程度の練習で駆り出されることになったのだった。 なかでも驚かされるのが、「わたしには(パラリンピックに出る以外の)選択肢はなかったの」という笹原千代乃の証言。国際イベントに日本もなんとか女性選手を出さなければという圧力の中、彼女はパラリンピックに出るのなら箱根の療養所に入れてやるがダメなら荷物をまとめて帰れと告げられたのだという。箱根療養所はもともと戦争負傷者のための「廃兵院」に起原をもつ国立施設。だから「国の意向には従う必要がある」とはもうひとりの選手の発言だ。療養所の壮行会では事務長が「なにがなんでも勝たねばならぬ」と歌って選手たちを送り出したという。 これまで障害者に見向きもしなかった国の突然の関心を圧力と感じつつ、選手たちの多くは気乗りしないままに参加した大会だったが、実際にパラリンピックは彼らの人生を大きく変える転換点となった。はじめて「自分たちこそが主役だ」という感覚を得、明るく人生を楽しむ他国の選手たちの様子に衝撃を受け、療養所で一生を送るだけの人生しか描けなかった者たちの多くが、ここから社会的自立への意欲や職を得ていくことになる。 とはいえ、いろいろ問題はあってもパラリンピックには日本の障害者権利のうえで意義があったとまとめてしまうことには慎重であるべきだろう。彼らにとっては競技への参加よりも、他国の障害者たちの様子や彼らが使う機能的な車いすを目にしたこと、パラ後における企業での体験などの方がずっと重要な意味をもっていた。実際、障害者の権利のための運動は、一過性のイベントよりもずっと広い社会のなかで根強く闘われてきたのだ。 その点で著者の筆は十分に慎重であり、医師や療養者、ボランティアたちの気持ちと、出場した選手たちの気持ちとの微妙なズレや、選手たちの中での経験の消化のしかたの違いにも注意を払って書き留めている。だからこそ、本書の最初と最後を皇室のエピソードでまとめていることには首を傾げざるを得ない。

Posted by ブクログ

2020/07/24
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

パラリンピックの黎明期、日本でどのように前回東京オリンピックの後にそれが開催されたのか、そこに携わった人たちの証言や取材で著されたノンフィクション。 今ではオリンピックの後に必ず開催されるパラリンピック、しかしその歴史はオリンピックに比べれば、まだ浅い。 前回の東京オリンピックの後に開催されたパラリンピックは、障害者の社会的立場と生き方をかえていくことになるものだった。 それまでは障害者は社会と遮断され、病人として看護される人、自分では社会活動はできない人と思われていた。「リハビリテーション」という概念すらなかった時代である。 その時代に日本でパラリンピックが開催された意義は大きい。 障害者も健常者と同じように社会生活を送れる、またそのように社会制度もかえていくという分岐点になった大会だとも言える。そこに皇室、特に現上皇后の尽力が大きかったことがわかる。 前回東京大会から50年以上が経つが、障害者スポーツの進歩は目を見張るものがある。それと同時に障害者に対する社会的認識はどれだけ変わったか。また生活環境はどれだけ改善されたのか、今一度考える時なのだろう。

Posted by ブクログ

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