商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | エトセトラブックス/トランスビュー |
発売年月日 | 2019/11/09 |
JAN | 9784909910011 |
- 書籍
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痴漢とはなにか
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痴漢とはなにか
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商品レビュー
4.5
10件のお客様レビュー
非常に有用な本だった。 特に為になると思ったポイントは以下。 ・【痴漢の統計について。痴漢の見えにくさ】 痴漢検挙の罪名は強制わいせつか迷防条例違反。多くは迷防条例違反の検挙となるが、これは刑法犯認知件数には含まれない。 一方条例違反は、相談件数は統計として存在せず、あるのは検...
非常に有用な本だった。 特に為になると思ったポイントは以下。 ・【痴漢の統計について。痴漢の見えにくさ】 痴漢検挙の罪名は強制わいせつか迷防条例違反。多くは迷防条例違反の検挙となるが、これは刑法犯認知件数には含まれない。 一方条例違反は、相談件数は統計として存在せず、あるのは検挙件数のみ。したがって、相談されないがゆえの暗数が多いだけでなく相談件数の実態すら明らかにならない。 ・【迷防条例違反の構成要件】 条例では、卑猥な言動によって「羞恥させること」と記されている。したがって警察も被害者の供述調書をとる時、「恥ずかしいと思った」旨のことを話させようとする。 この要件がある為、小さい子供など「羞恥する能力がない」と見なされる者にはこの要件が適用されず、いっしょにいる親などが被害者として扱われることがある。 このような「間接的な被害者」が想定されていることからは、条例は痴漢被害を、個人の性的自由の侵害行為ではなく公的空間の性的秩序を乱すものとみなしているのでは? →実態を把握していなさすぎておかしい。痴漢されたら、恥ずかしくなるんじゃなくて、気持ち悪いという嫌悪感と怒りが生じる。 ・【痴漢冤罪の語られ方】 2000年代に無罪判決が相次いだことによる。 大抵は被疑者の人違いによるものとみられる(?) これにより、「多くの男性は痴漢なんかしないのに、勝手に犯人に仕立て上げられて男性が痴漢の「被害者」である」かのような語られ方がされるようになってしまう。 それまでの言説では、「男は性欲があり誰でも痴漢になりうる」という語りを男性自身がしていたにもかかわらず。 →筆者は「痴漢冤罪は警察や検察の捜査訴追の杜撰さの問題である」「映画『それでもぼくはやってない』は日本の司法や刑事手続の問題として描かれたものだが」としている。 捜査がどのようにずさんで、刑事・司法手続のどんな点に問題があるのか、具体的に知りたい。 捜査側からすれば、確かに痴漢の立証は難しそうにも思えるため。
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本書の執筆は、辛い作業だったと「あとがき」に書かれている。 ほんとにそうだろう。痴漢が深刻な性暴力だという認識が生まれてくる以前、それがいかに男たちの気軽な娯楽としか考えられていなかったか、読んでいるだけでも辛くなるのだから。1988年には衝撃的な御堂筋事件が起きていたにもかかわ...
本書の執筆は、辛い作業だったと「あとがき」に書かれている。 ほんとにそうだろう。痴漢が深刻な性暴力だという認識が生まれてくる以前、それがいかに男たちの気軽な娯楽としか考えられていなかったか、読んでいるだけでも辛くなるのだから。1988年には衝撃的な御堂筋事件が起きていたにもかかわらず、有名作家や週刊誌記者が「通勤時の息抜きだ」「女だって楽しんでいるはず」と放言してはばからないありさまには吐き気がしてくる。痴漢とは、まさに男性中心的な日本の「性文化」だったのだ。 それでもしだいに、痴漢は性暴力の一種であり犯罪であるという認識が生まれてくるとともに、鉄道会社も、女性専用車両の導入や警察との連携に前向きになってきた。 ところが被害者の視点に立った議論は、しっかりと根を張る前に、すぐに激しいバックラッシュにさらされることになる。2000年代に、検挙された被疑者が無罪となる事例が相次ぎ、痴漢冤罪を描いた映画のヒットもあって、まるで痴漢問題=痴漢冤罪問題であり、男性こそが最大の被害者であるかのような風潮がまたたく間に作られてしまった。むろん冤罪は問題だ。だがその責任は警察の捜査にあるはずだし、犯人の取り違えがあったとしても、それは被害がなかったことを意味しない。にもかかわらず、痴漢冤罪をめぐる男たちのファンタジーの中では、「男をはめる女」像が作り上げられていく。かつての「女だって楽しんでいる」ファンタジーと地続きのこの身勝手な想像力が消し去るのは、女性被害者だけでなく、男性被害者も同様である。 「文化としての性暴力」を実態的に明らかにした本書はまた、近年有力になってきている「病としての痴漢」言説にも批判的目を向けている。加害者を病的な他者とするこの解熱もまた、多くの男性たちを、痴漢という性文化の主体的担い手であることから免罪し、自らを楽々と被害者の位置に置くことを許しているのだ。 この差別的文化の根は深い。それを正すにはやはり、女性男性を問わずすべての人の基本的権利の一部としての性的権利を侵すものとして痴漢を含む性暴力を位置付ける対抗文化を創り出していくしかないのだろうと思う。
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※このレビューにはネタバレを含みます
年代別にニュースや週刊誌のインタビュー記事などの媒体をもとに「痴漢」はどのように捉えられているのかを読み解いて、日本社会でどのように認識されているのかがまとめられている本。 1980,90年代は痴漢=娯楽という風に捉えられていて、欲望を抑えられない男たちという風に話されていて、あまり悪いことという認識は薄い。(中には今だったら炎上しそうな発言をしている著名人もいたり) そして2000年代に入ってくるとそれが少しずつ変わり、痴漢として捕まると逮捕されてしまう、など男性は脅かされる。そして冤罪などのニュースが大きく取り上げられ、「それでもボクはやっていない」という痴漢の冤罪で巻き込まれてしまう男性についての映画が話題となる。その映画の本来の目的は日本の裁判についてフォーカスしているものの「冤罪」という部分が世の中にはフィーチャーされてしまう。 そして2005年ごろから少しずつ増えた女性専用車両について、最初は女性が股を開いて淫らになっている、などと取り上げられていくが徐々に男性差別だ!と訴える人が出てくる。 この本を通して感じたのは、マジョリティの男性は何か損になること、脅かされること、怯える対象が出てきた時にすぐに揚げ足を取る。 個人的には最後の方の女性専用車両のことが身近で面白かった。 作者自身は警察官の経験があり、1年目の頃に痴漢を捕まえた話が入ったとあとがきがとても印象に残った。
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