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問はずがたり・吾妻橋 他十六篇 岩波文庫
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問はずがたり・吾妻橋 他十六篇 岩波文庫

永井荷風(著者)

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問はずがたり・吾妻橋 他十六篇 岩波文庫

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 岩波書店
発売年月日 2019/08/21
JAN 9784003600368

問はずがたり・吾妻橋 他十六篇

¥891

商品レビュー

4.3

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2024/03/02

メモ→ https://x.com/nobushiromasaki/status/1763753581927366743?s=46&t=z75bb9jRqQkzTbvnO6hSdw

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2022/05/15

永井荷風の終戦後の心情が反映された短編集。特に秀逸なのは、死んだ思っていた主人が帰ってきたのはいいものの、すでにその主人の弟と再婚をしていて、さてどういう身の振り方をしようか、といったときにその女性がとった行動を描いた短編。

Posted by ブクログ

2022/01/02

 文庫オリジナル編集2017年刊。執筆年代1944(昭和19)年から1953(昭和28)年の小説・随筆が収録されている。荷風が亡くなったのは1959(昭和34)年で79歳であったから、この執筆年代は65歳から74歳に当たる。昔は50代で老人と呼ばれていたから、相当の高齢だ。  当...

 文庫オリジナル編集2017年刊。執筆年代1944(昭和19)年から1953(昭和28)年の小説・随筆が収録されている。荷風が亡くなったのは1959(昭和34)年で79歳であったから、この執筆年代は65歳から74歳に当たる。昔は50代で老人と呼ばれていたから、相当の高齢だ。  当時から戦後の荷風は往年の傑作群と比べて全然良くない、と悪評高く、あちこちで貶められているが、2017年に川本三郎さんが『老いの荷風』を出版してから、「戦後の荷風文学を再評価する気運が高まりつつある。」と本書巻末の岸川俊太郎氏の解説に書かれている。  1945年3月10日の大空襲により、「偏奇館」と称し25年間住んだ東京の麻布市兵衛町(現在は港区六本木らしい)の荷風自宅が全焼。その後は知人を頼って放浪し、岡山で敗戦を迎える。1946(昭和21)年からは千葉県市川市に住み、人生の最後を同市で過ごす。  あれだけ東京を愛した荷風が、自宅焼失と共に東京を去ってしまったのか、と思ったが、市川市は地図で調べてみると結構東京に近く、1948(昭和23)年からはやたら頻繁に浅草に通ったようだ。しかし東京を離れたことと敗戦を迎えたことは、荷風の環境世界にとっては非常な激変であったと思う。かつて得意とした花柳界の描写は消え、それはもしかしたらいったん東京の花柳界自体が消滅したためなのかもしれないが、1948年以降の浅草通いで荷風が親しんだのは、戦後見る見る広がった劇団・ダンサー・街娼などの若い女性たちの活躍する世界であったようだ。  本書巻頭に収められた「問とはずがたり」は前半が戦時中の昭和19年に書かれ、終戦後に書き加えられて昭和20年11月に脱稿している。少々性的に見境のない男性の遍歴を物語り、結局はずっと孤独であり女性たちに去られて包まれるその寂しさの感じが、読んでいて胸に迫った。が、最後の方で突然語り口やトーンが変わり、岡山に着きいきなり「老後」な様子にになって、戦後という時代の変遷を見つめる。 「兎に角に二十世紀も半ばになろうとしているこの現代ほど呪うべく憎むべく恐るべき時代はあるまい。・・・(略)・・・人の世の破滅はまさにこれから始ろうとしているのではなかろうか。果敢ない淋しい心持は平和の声をきいてから却て深く僕の身を絶望の底に沈めて行くように思われる・・・・・・。」(P.117)  しかしラストでは穏やかな日を迎え、「何事をも思わず、惘然としてただ日にあたることを楽しんでいる。」という老境が綴られて本編は終わる。  この辺りは、当時の荷風の実感が吐露されているのではないかという気がする。  1950(昭和25)年の掌編「老人」には、 「臼木老人には戦争中に成人した男や女がさほど今の世の中を悲観していないように見えるのも、これまた不可思議の一つであった。」(P.242) 「臼木はあの女達ももう若くないのであるが、自分ほどには戦後の生活について底知れぬ恐怖を抱いていないらしく見られるのは、これを要するに年齢の相違に依るばかりで、外に仔細はないであろう。そう考えると、七十を目の前にひかえた自分にはもう生活と戦って行く活力のすっかり消耗している事がただ情なく思い知られるばかりであった。」(P.243)  という叙述があってこれも荷風の実感ではなかったかと思う。  1945年から荷風が見舞われたのは、自宅や蔵書の焼失、江戸情緒などみじんもなくなった東京の変貌、世相の激変、ジェネレーションギャップ、そして自らの老いの痛感であった。  しかし、荷風はそのまま沈黙に陥ったわけではない。戦前と同様に、荷風は東京の若い女性たちを愛し、観察し、理解しようと求め続けた。娼婦などになりながら、うらぶれるわけでもなく溌剌と逞しく生きてゆく彼女たちに、荷風は感嘆したに違いない。本書に収められた諸作品にはそれが十全に現れており、筆致にはかつての瑞々しさは消えむしろ枯淡な趣が見られるのも、単に老いたというよりも、世相の変容を体現しているようにも思われる。  そして、これら戦後の作品はそうそう悪いものでもない。いや、1953(昭和28)年の「吾妻橋」など、なかなか良いものがたくさんあった。ただ、俗悪な舞台のために書いたらしいミニ戯曲「渡鳥いつかへる」(1950《昭和25》年)は良くなかったが、それ以外の諸編は終戦後の人びとの逞しさを描いて価値ある作品群と思う。  最後の方に数編入っている短い随筆も、「冬日の窓」(昭和20年)などには突然来襲したアメリカ文化の波が日本を席捲する様への考察など、興味深いものがあった。  総じて、戦後の荷風は悪くない。平和な遊郭を描いた往年の作品とは情緒が著しく異なるが、それとは別の文学的営為がここに表れていると考える。 

Posted by ブクログ

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