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ベンヤミン 破壊・収集・記憶 岩波現代文庫
1,892円
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 岩波書店 |
発売年月日 | 2019/03/16 |
JAN | 9784006004002 |
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ベンヤミン
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ベンヤミン
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商品レビュー
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フランクフルト学派の批判理論は難解である。とりわけベンヤミンは難解だ。解説者自身が本当に理解してるのかあやしい解説が多いが、さすがドイツ語の読解力には定評のある三島憲一、実に平易にベンヤミンの思考のエッセンスを解き明かしてくれる。初版は1998年だが、2010年の講談社学術文庫に...
フランクフルト学派の批判理論は難解である。とりわけベンヤミンは難解だ。解説者自身が本当に理解してるのかあやしい解説が多いが、さすがドイツ語の読解力には定評のある三島憲一、実に平易にベンヤミンの思考のエッセンスを解き明かしてくれる。初版は1998年だが、2010年の講談社学術文庫に続いて二度目の文庫化というのも納得だ。だがベンヤミンに限らずフランクフルト学派はその難解さゆえに必要以上に崇められている。本書を読めば意外にワンパターンであるとわかる。一言で言えば一切の偶像の破壊であり、それ以上でも以下でもない。いかにその破壊が魅惑的であろうとも、破壊は破壊でしかないがゆえにそこからは何も生まれない。そもそも何かを生むことを意図してもいない。文学として読めば確かに面白い。知的刺激に満ちたスリリングなテクストであると言ってもいい。だがいかなる意味においてもそれは思想ではない。本書で改めてそのことを確信した。 三島はベンヤミンの思考の「アクチュアリティ」は「自己撞着」とでも言うべき「決定しないままのラディカリズム」にあるという。ものは言いようだと感心するが、そんなものはラディカルでもアクチュアルでもない。何かを決定することは何かを否定することだ。そこに暴力とそれを隠蔽する神話が不可避であることなどわかりきった話だ。だが暴力と神話を回避して非決定のうちに無垢なるポジションを留保することが許されるのは観念の世界だけである。現実の世界では何も決定せずには社会は存続すらできない。そればかりか人間が人間であることも覚束ない。批判理論が文学であって思想でないというのはそういうことだ。評者は文学に大なる敬意を表するが文学と思想の混同には反対である。 言語にしてからがそもそも暴力なのだ。ベンヤミンは言語の持つ暴力と神話を回避しようと象徴ではなくアレゴリーに固執するが、生身の人間は一切の神話的象徴を排した無味乾燥な世界に耐え続けることなどできない。プルーストの無意志的記憶にせよ、ロートレアモンの解剖台上のミシンと傘の出会いにせよ、ベンヤミンが好む文学的アイデアが魅惑的なのは、それが瞬間的であるからだ。いかに一瞬の輝きに満ちていようとも、現実の時間的持続の中では程なく神話と暴力に絡めとられる。これを回避するには、アドルノのように「否定」を反復するのでなければ、非決定の宙吊りの中で未来の可能性をオープンにする他ない。三島はこれを破壊と断絶の弁証法と呼び、アドルノが陥った否定の全体化を免れていると言うが、目糞鼻糞を笑うとはこのことだ。いずれも現実逃避の夢想を希望と取り違えているに過ぎない。全共闘世代の三島は今だにその夢想を引きずってるようだがバブル世代の評者は到底ついてゆけない。 付け加えることがあるとすれば、ベンヤミンのユダヤ的体質だ。その思考を支えているのは、一切の人間的なものを消し去る神的理念、それとして語ることのできない純粋なイデー、恩寵によってしか実現不可能な共同体といったユダヤ神秘主義に由来する極めて特異な知的確信なのだ。そこをふまえないとベンヤミンの本質を見誤る。ベンヤミンがカントに惹かれたというのもそうした文脈で理解する必要がある。おそらくベンヤミンに影響を受けたであろう柄谷行人あたりのカント理解とはおよそ異質なものだ。それがわかったのは本書の収穫だ。
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