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大江健三郎全小説(4)
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大江健三郎全小説(4)

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大江健三郎全小説(4)

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 講談社
発売年月日 2018/12/12
JAN 9784065090053

大江健三郎全小説(4)

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2023/03/10

「大江健三郎全小説」は、講談社から2018年から2019年にかけて刊行された15巻構成の、大江健三郎の小説全集であり、本書はその第4巻にあたる。全集に収載されている小説は、基本的に年代順となっている。本書に収められている作品で発表が最も古いのは、「走れ、走りつづけよ」であり、「新...

「大江健三郎全小説」は、講談社から2018年から2019年にかけて刊行された15巻構成の、大江健三郎の小説全集であり、本書はその第4巻にあたる。全集に収載されている小説は、基本的に年代順となっている。本書に収められている作品で発表が最も古いのは、「走れ、走りつづけよ」であり、「新潮」誌に1967年に掲載されているものだ。その他の作品も、1968年から1972年くらいに発表されたものであるが、本書の最後に掲載されている「水死」という長編小説は、その他の小説の発表時期から40年程度の間が空いており、2009年の12月に書下ろしとして発表されたものである。 「水死」が本巻に収載された理由に何故かについて、解説で尾崎真理子が書いている。 【引用】 この第四巻には「父」を主題とした一連の作品が集められている。短編「父よ、あなたはどこへ行くのか?」と「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」、七〇年十一月の三島由紀夫の自決後に発表された中編「みずから我が涙をぬぐいたまう日」、そして二〇〇九年に書き下ろされた大長編「水死」という最終決着。 【引用終わり】 その解説によれば、父親のことは、大江健三郎にとっての「生涯の難問」であり、大江健三郎の三十代前半から、繰り返し父親というテーマで作品が描かれてきた。大江健三郎は1935年の生まれであり、「水死」の発表年である2009年には74歳であり、大江健三郎自身、「しかし、『水死』を書き終えたとき、私は今度こそ自分の長編小説作家としての仕事は確信していたように思います」あるいは「こういう父親と最後に小説の中でめぐり会うために、僕は五十年以上も小説を書いてきた」と語っている。この小説が書けたことにより、「生涯の難問」に対して、一つの解決を得たと大江健三郎自身が感じていたのだ。 私が大江健三郎を読んでいたのは高校生から大学生の頃であるが、実際に読んだのは、本当に初期の頃の作品のみであった。この全集で言えば、第1巻・第2巻に収められている小説はだいたい読んでいたが、第3巻に収載されていた小説は半分程度しか読んでおらず、この第4巻に収載されている小説は、全ての作品が初見であった。 もちろん、「水死」も初めて読む小説であった。初期の1960年代半ばくらいまでに書かれた大江健三郎の小説しか読んでおらず、2009年発表の「水死」までの40年以上に渡る大江健三郎の小説をほとんど知らない私にとっては、「水死」はそれまで読んだ大江健三郎のものと全く違うもののように感じられた。 文体が違うのだ。 1968年発表の「父よ、あなたはどこへ行くのか?」には、例えば、「助手席に坐った僕は、ロックしたドアと背もたせとに斜めに躰をあずけて、雨の降りはじめた前方の街路と、重おもしいほど豊かではあるが、手入れが悪いために粗っぽい藁束めいた金髪を方の上でひとまとめにむすんだ彼女(かれ)が、大きい脣を両すみがぐっと垂れるほど強くひきしめ、赤っぽい肉のついている三角形の顎を極端につきだし、ひどい近眼であるにもかかわらず決して眼鏡をかけない眼でその鼻の直線にそって前方を見ながらあおむいて運転している様子を眺めていた。」というのは、私が初期の大江健三郎の作品で慣れ親しんでいた(初期のものは、もう少し重い感じを抱いていた)文章だ。 「水死」では、例えば「ある朝、"森の家"の裏側で気配がした。小一時間、目ざめたまま横になっていたのを起き上がって降りて行くと、詩を刻んだ丸石を立って見おろしている穴井マサオが目に入った。私はアカリと"森の家"に戻ってから、かれと会っていなかった。」というような文章がある。この文章だけでは分かりにくいが、軽快な印象を受けないだろうか。 文体は、表現上、作家が表したいことを書くのにどういう書き方をすれば効果的かを考えて選択するはずである。初期の頃の大江健三郎の文体は、作品間で共通していたように思うし、それは、そのような文体を使うことによって大江健三郎が表したかったことを、最もうまく表現できたからそうしたのだと思う。上記した通り、大江健三郎の初期の作品以来、私は大江健三郎作品から遠ざかっており、「水死」は初期の作品から40年以上間の空いた作品。その間に大江健三郎の文体が変わったのか、あるいは、「水死」を書くために、この文体を大江健三郎が選択したのかという判断はつかない。 上述した通り、第4巻の「水死」以外の作品は、初期の頃の大江健三郎と文体的には大きく変わっていないように思えたが、作品を読み込むのは段々と難しくなってきている。例えば「みずから我が涙をぬぐいたまう日」、何故、このようなキャラクター設定をし、何故、このようなストーリー・プロットとしているのかを理解するのは難しい。それでも、何故か分からない迫力を感じて読み続けている。

Posted by ブクログ

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