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HEROINES(ヒロインズ)
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HEROINES(ヒロインズ)

ケイト・ザンブレノ(著者), 西山敦子(著者)

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 C.I.P.Books
発売年月日 2018/07/01
JAN 9784990997106

HEROINES(ヒロインズ)

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2020/06/14

結婚を機に編集の仕事を辞め、夫の職場に合わせ住居を転々としてきた「私」は、現在の居住地・オハイオ州アクロンで非常勤講師をしながら悶々と過ごしている。どこまでも夫の付属品という扱いを受ける妻という役割に屈辱を感じ、本を書きたいと思いながらも〈女性的〉で〈感情的〉なものを見下げる世の...

結婚を機に編集の仕事を辞め、夫の職場に合わせ住居を転々としてきた「私」は、現在の居住地・オハイオ州アクロンで非常勤講師をしながら悶々と過ごしている。どこまでも夫の付属品という扱いを受ける妻という役割に屈辱を感じ、本を書きたいと思いながらも〈女性的〉で〈感情的〉なものを見下げる世の中で自分には何が書けるのかと悩む日々のなか、「私」はモダニズム作家の妻としてしか語られてこなかった約100年前の女性たちに共鳴し、憑依(チャネリング)する。ヴィヴィアン・エリオット、ゼルダ・フィッツジェラルド、ジェイン・ボウルズを皮切りに、ジューン・ミラー、デューナ・バーンズ、アナイス・ニンらに次々とチャネリングし、パーソナルな語りの声を用いて怒りと悲しみを表明した女性たちが〈男性的〉な理性と冷笑に捻り潰され、書くことを抑圧されてきたのか。その抑圧がいかに現在まで続いているかを、文字通り怒りに満ちたスピーディな筆致で、思考のドキュメンタリーのように書いた文学論。 本書の中心的なテーマは、スコット・フィッツジェラルドやトム・エリオットといったモダニストの夫に言葉や人物像を「素材」として勝手に使われながら、自らペンを握ると「才能がない」「精神異常者」と抑え付けられた女性たちへのどうしようもない共感であり、やるせない怒りだ。テーマ自体は重たく深刻である。けれど、怒りを駆動力に語るザンブレノのリズムは勢いがよく、だんだん読み手の感情もシンクロしてドライブしていく。怒りだけではなく、自身の生活とゼルダたちの生涯をまぜこぜにしながら、そんな自分をふと客観して笑う視点も持っている。 だから本書はめちゃくちゃ勉強になるものの、けしてお勉強の本ではなくて、ザンブレノという作家が自分を奮い立たせる姿を追ったドキュメンタリーなのだと思う。第二部後半では、個人ブログを通して自身の声とコミュニティを獲得したザンブレノが、個人的(パーソナル)で感情的ですなわち〈女性的〉な作品を下に見る〈普遍性〉の権威に、勢いよく噛みついていく。スコットやトムたちだって自分の結婚生活を下敷きに小説を書いたくせに、夫が書いたものは「作品」で、妻が書くものは「日記」としか見なされないなんておかしくない?とザンブレノも散々書いているが(そもそも日記文学もあるしね)、そういう自伝忌避の傾向は、ザンブレノのようにブログをプラットホームにしてデビューした作家たちや、あるいは音楽シーンにおけるヒップホップの台頭などによって、最近少しずつ薄まってきている気がする。 また女性たちのなかでも、ヴィヴやゼルダのように〈感情的〉な書き手と、ウルフやハードウィック のように〈理性的〉な書き手の対立構造がある。ヴァージニア・ウルフはブルームズベリー・グループの中心人物だったが、トムの味方をしてヴィヴを排除した。名著『自分だけの部屋』では、怒りは〈両性具有〉の声を持つ作家にふさわしくないと言った。だがザンブレノが言うとおり、ウルフ作品には怒りや悲しみを原動力に書かれた素晴らしいものがたくさんある。『オーランドー』なんて男性優位社会への激しい怒りがなかったら書かないでしょ。『オーランドー』といえば、最近柴田元幸が雑誌のSWICHに新訳を載せていて、そのあとがきに「難しいことは考えずにまずは楽しんで」(ニュアンス)的なことを書いていたのが本当に腹立たしくてガッカリだった。ウルフがオーランドーをはちゃめちゃなエンタメとして書いたのは、どう考えても男女差別の問題と向き合うことにポジティブになってもらうためだと思うんですけど。 まぁこんな風に男性の批評家はたやすく女性の社会的な問題を「横に置いておく」ことができるし、「男性と同等」に語ることをプライドにしている女性はそれを内面化している。これは現在進行形のガールズ・エンパワメント運動の中でも見かける対立構造だ。男性と張り合える〈強い女〉を自負する女性が、ピンク色を好んだりお姫様に憧れたりする女性を旧時代的な存在とみなしてしまう。後者の女性は恋愛体質で男性に都合が良いとも思われやすく、それこそゼルダのように〈ファム・ファタル〉のステレオタイプにはめ込まれ、貶められる。そんな分断は、男性が奮う権威を内部に持ち込むだけで何も解決しはしない。 歴史、文学、世論が形作ってきた「かくあるべし」に耳を貸さず、自己検閲する内なる声と闘い、書き続けよ、とザンブレノは己と無数の「私たち」を鼓舞する。そんなのは私たちが作ったルールじゃないんだから。感情的で、不安定で、過剰で、個人的な、〈私たちの物語〉を祝福しよう。それから話をはじめよう。

Posted by ブクログ

2019/11/05

この本は一体何なのか。著者ケイト・ザンブレノのログをまとめた書籍だというが、小説におけるフェミニズムを題材とした、「世界女性作家文学ガイド」のように思える。いや、そうではなく、女性作家のリサーチを基にしたフェミニズム論の本だとも言える。読み終えてみると、ザンブレノが執念で描いた骨...

この本は一体何なのか。著者ケイト・ザンブレノのログをまとめた書籍だというが、小説におけるフェミニズムを題材とした、「世界女性作家文学ガイド」のように思える。いや、そうではなく、女性作家のリサーチを基にしたフェミニズム論の本だとも言える。読み終えてみると、ザンブレノが執念で描いた骨太の小説という答えも見えてくる。 また、この本は、ゼルダ・フィッツジェラルド、ヴィヴィアン・エリオット、ジェイン・ボウルズという、偉大な小説家を夫に持っために、その才能を世に放てなかった女性たちの物語でもある。 長くなるが、ブラックストーンが1765年に説明していた英国の法を引用する。 “結婚によって、夫と妻は法律上1人の人間になる。つまり女性の存在そのもの、もしくは女性の法律上の存在は、結婚が継続する間は保留となるが、少なくとも夫の存在に組み入れられ、統合されるのである。夫の庇護の下、覆われるようにして守られた状態で、妻はあらゆることを執り行う。それ故我々が使う法律用のフランス語では、既婚女性を「覆われた女性」と呼ぶ。また女性は、貴族や君主のような上位者である夫の保護と影響のもとにある。そうした既婚女性の状態を「覆い」とも言う。こうした理由から、男性は妻には何も譲渡することができないし契約を結ぶこともできない。譲渡と言う行為は、妻が独立した存在であることを前提としているからである。“ このように妻は夫の一部であるという考えは法として存在していた。才能を妻が持っていたとしてもそれは夫の一部なのだ。 その古い慣習や考えに対してNOを唱えるのが、フェミニズムであり、ゼルダやヴィヴィアンやジェインの戦ってきたことでもある。それを病気や狂気だといって抑圧するのが権利側であり男の側である。いま2018年においても、まだまだそれは根強く残り(とくに我が国では後退すらしていることは言うまでもない!)、ザンブレノのこの本はインターネット時代の新しい戦いの話でもある。「誰がなんと言おうと、私たちこそ私たちの物語のヒロインなんだから」という最後の一文は、自身へのそして次の世代へのエールであり、ザンブレノ流のシンプルで力強いマニフェストだ。 凄まじい熱量で書かれた本作は、本文に登場する小説を知っていればいるほど感情移入度があがるだろうし(私は半分くらいしか読んでない!)、読んでないとしても、この本の面白さが減るなんて事はないだろう。ヴァージニア・ウルフ、アナイス・ニン、ジーン・リースの未読作品をどんどん読みたくなる読書沼のスタート本でもある。一つ前に紹介した、ソルニットの新作とのシンクロ度合いも半端ではないので合わせて読むことをおすすめする。

Posted by ブクログ

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