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日本という不思議の国へ
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日本という不思議の国へ

赤坂憲雄(著者)

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 春秋社
発売年月日 2018/07/01
JAN 9784393424599

日本という不思議の国へ

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2019/02/09
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ローエルはこの『神々への道』のなかでも、「日本人は芸術家であって科学者ではない」ことをくりかえし指摘していた。神の憑依もまた、ほかの物事と同じように、科学ではなく芸術であった。それを認めながら、しかも、ローエルその人は徹底して科学的アプローチをおこない、ほとんど参与観察にひとしいやり方で、日本人による宗教的な憑依現象について、いわば神秘というものについて、その肉体と精神をめぐる「技術の原理」を明らかにしていったのである。(pp.48-49) 旅とは、異邦からの旅人にとって、まさしく自画像を描き換える現場であった。と同時に、その紀行を読むわれわれ自身もまた、アイデンティティに揺さぶりをかけられる。紀行を読む快楽はかぎりなく深い。(p.91) われわれイタリア人にとって、海というものは、大地を取り巻き、大地をそこで終わらせている不信に満ちた自然の要素であるが、日本人にしてみれば、陸地は海の続きのようなものなのであって、動きを止めた大きい波頭が列島になったのである。(マライーニ、p.95) 日本の自然はもっと不思議なもので、幻想的で、まさしく「神」がただよう聖域でした。タヒチにあるような火山性の山と、豊かな「雨林」のために、日本は多分、世界で最も美しい国であったと思います。その自然が、もう過去のものになりつつあります。しかし、僕にとってはその日本の自然の美しさが心に深く残っていて、たとえ80歳になっても、100歳になっても、山々の美しさは永遠に僕の心から消え去ることはないでしょう。(カー、p.169) 日本と中国は大きく違います。中国の場合、孔子、孟子をはじめ、哲学者と文人が高貴な思想を巧みに文章にして後世に残しました。一方、日本文化の歴史の中に哲学者と、はっきりした「思想」を探しても、驚くぐらい見当たらないのです。極端に言えば、日本は思想のない国です。…… 日本では文化のエッセンスは言葉として本に書かれていませんが、目に見えないところに日本の「思想」がやはりあったのです。伝統芸術に流れたのです。だから、日本には孟子、孔子、朱熹はいませんでしたが、定家。世阿弥、利休などがいました。彼らは日本の真の哲学者だったと思います。(カー、pp.180-181) 外国人になるとは、未知の世界の一歩を踏み出すことである。覚悟が必要だ。魅力的なことでありながら、ちょっと恐怖もある。足下の地盤がすぐにでも崩れそうな、不安定な世界。すべてがゆれてくる世界。私は生まれ育った国から離れ、家族や友達から離れ、母国語から離れることで、仮面を脱ぐことになった。外国人として他者と出会うことで、子どものころからつくっていた壁がこわれて、見知らぬ自分と向き合わざるをえなくなった。(p.198) 掃除を体験したことによって、私の庭の見方は大きく変わった。基本的には高いところから低いところへとゴミを集めるので、手箒で掃いていると庭の全体の構造とその地形、微妙な高低差までわかってくる。また、普段なら絶対見えない石の裏も覗くことができる。石を据えた人がどの部分を見せ、どの部分を隠すことにしたのか。大変な時もあったけれども、こうして舞台の裏を垣間みることができた。(マレス、p.220)

Posted by ブクログ

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