商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 講談社 |
| 発売年月日 | 2018/04/12 |
| JAN | 9784062903745 |
- 書籍
- 文庫
内省と遡行
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内省と遡行
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哲学は内省からはじまる。つまり、そこでは始原はいつも結果でしかない。しかし、「意識に問うこと」をやめるのは、外的な事実に直接訴えることを意味するのではない。逆に、外的な事実に訴えることこそが、つねに、内省の結果でしかないからである。フッサールは、そこに超越論的な主観性、いいかえれ...
哲学は内省からはじまる。つまり、そこでは始原はいつも結果でしかない。しかし、「意識に問うこと」をやめるのは、外的な事実に直接訴えることを意味するのではない。逆に、外的な事実に訴えることこそが、つねに、内省の結果でしかないからである。フッサールは、そこに超越論的な主観性、いいかえれば相互主観的な規則を見出す。しかし、ヴィトゲンシュタインは、あくまでそこに「不確実性」を見出すのである。差異的な形式体系を、“外部性”に訴えることなくその内部で瓦解させようとするならば、われわれは、いわば自己言及的な形式体系、あるいは自己差異的な差異体系というべきものを基底に想定するほかない。われわれは、二者択一に追いこまれている。「意識」から出発することで、形式的な体系の内部に閉じこめられ、それを“脱構築”したりまたは“観念的に”それを破砕してしまう方向をたどるか。それとも、バフチンのように客観的(外在的)な視点から言語の社会性を考察し、モノローグ的な意識=単一体系を批判するか。しかし、このいずれも、マルクスのいう神秘=社会的なものに触れてはいない。ここでマルクスが、のちに至って物象化されてしまうという、「社会的性格」が何であるかは、すでに明らかだろう。「社会的」とは、たんに「関係的」ということではない。むしろ、それは、交換 (=等置)という「行為」に存する、盲目的な跳躍を意味するのだ。「規則」によって、等置という行為の仕方が決定されるのではない。その逆である。等置という行為があったあとで、そのつど規則が見出されるにすぎない。言語の規則体系を考察する言語学が、それ自身のなかで外部性としてある言語(テクスト)を隠蔽してしまうのと同じである。そして、それは、「意識」すなわち「聞く=買う」立場から出発するかぎり不可避的である。
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21 43 79 94 105 118 形式主義 123 148 155 フッサール 生活世界 158 170 193 198 220 293 ☆
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