商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 岩波書店 |
発売年月日 | 2018/02/01 |
JAN | 9784000292122 |
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ダダイズム
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ダダイズム
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ダダの現代性、ということを言っている。しかしダダは、予め自らの内に、ダダそれ自体の否定と超越の契機を内在させていたのではなかったか。ダダとは、いわばひとつの閉包(closure)ではないか。ダダが遂行しようとした「否定の大事業」というもののうちには、当然のことながらダダ自身に対す...
ダダの現代性、ということを言っている。しかしダダは、予め自らの内に、ダダそれ自体の否定と超越の契機を内在させていたのではなかったか。ダダとは、いわばひとつの閉包(closure)ではないか。ダダが遂行しようとした「否定の大事業」というもののうちには、当然のことながらダダ自身に対する自己否定も含まれていたのではなかったか。則ち、ダダ以後、一切の新しさは不可能なのではないか。全ては予め為されてしまっているのではないか。1958年、アメリカからやってきたビート・ジェネレーションの作家と面会したときに、齢六十を超えたトリスタン・ツァラはこう語ったという。「私たちは全部やったんだ。ダダ以後はなにも前進していないぞ!」(p238)。 私にとって唯一興味深いのは、自己関係的機制がダダという運動に内在しているのではないかという点にある。この自己矛盾的な機制が現実においてどのように展開されてきたのかを(反)芸術運動という具体的な事象を通して観察することで、自己関係性というものの論理的構造について少しでも示唆を得たい、という動機が私の中心にある。だから、現代的関心からダダの意味付けを更新しようとすることには、特に意義を見出せない。 ツァラが提唱した「ダダの作詩法」の眼目も、決して、作詩に偶然性を導入することで作者の主体性を無化しようとした、という点にあるのではないだろうと思う。そうではなくて、言語=理性=論理=自己意識=意味の否定とそこからの超越をどれだけ志向してみたところで、その志向それ自体が言語=理性=論理=自己意識=意味を通して為される以外に在り得ない、というダダの営みに本質的に孕まれている自己矛盾=自己関係的機制へのダダ自身によるアイロニカルな自己批評がそこに含意されている、という点が重要なのではないだろうか。それは、「ダダは何も意味しない」という文句にも同様に見出される、自己批評=自己対象化の機制である。 □ ダダとシュルレアリスムとの差異を、唯名論と実念論との対比で考えたことがある。則ち、意識以前=理性以前という境位を実体化してそこへ回帰しようとするシュルレアリスムを実念論に喩え、飽くまで無意味という否定性=不定性に留まり続け何ものかへ回帰することを徹底的に峻拒するダダの態度を唯名論に喩えた。本書では、「無意識」への回帰を志向するシュルレアリスムと、「無意味」のうちに留まり続けようとするダダとの対比について、エルンストとアルプ二人のコラージュ作品を比較することで言及している。同様の対比は、ブルトンの自動記述とツァラの作詩法とのあいだにも見出されるだろう。 レトリスㇺの詩人モーリス・ルメートルは、ツァラを追悼する詩のなかで、次のように書いている。「だが今日、人びとは彼が同世代の他の詩人たちをはるかに乗り越えていたことを理解しはじめた。妥協も「〔なにものか〕への回帰」もしなかった彼――彼は彼自身に忠実であり続けたのだ」(p62)。
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ダダのガイド本。全体の流れを知って、個々の作品に触れたい。時々時系列的に行ったり来たりするので、年表にしながら再読したい。
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