商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 岩波書店 |
| 発売年月日 | 2017/11/17 |
| JAN | 9784000255745 |
- 書籍
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リンドグレーンの戦争日記
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リンドグレーンの戦争日記
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商品レビュー
4.4
11件のお客様レビュー
よい本です。 叙情的に、戦争が怖いとか、平和が大事だとか、はたまた国防が大事だとか大上段に構える政治家達とは正反対のスタンス。 戦争が起きるとどうなるのか、それは自分にとってどういう意味があるのか。ウクライナやガザに思いをはせながらもう一度読んでみたいですね。
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『リンドグレーンの戦争日記 1939-1945』 #読了 アストリッド・リンドグレーン/石井登志子 訳 岩波書店 ーーーこんな本ですーーー 『長くつ下のピッピ』の著者として知られるリンドグレーンは、スウェーデンのストックホルムに夫、息子、娘と暮らしていた。彼女は32歳で、事務員...
『リンドグレーンの戦争日記 1939-1945』 #読了 アストリッド・リンドグレーン/石井登志子 訳 岩波書店 ーーーこんな本ですーーー 『長くつ下のピッピ』の著者として知られるリンドグレーンは、スウェーデンのストックホルムに夫、息子、娘と暮らしていた。彼女は32歳で、事務員として働いていた。子どもの世話や家事をこなしながら、新聞を丹念に読み、戦況を伝えるラジオを聞き逃さず、家族の日々も細かく記していった。 ーーーーーーーーーー わたしが福岡で暮らしていた子どもの頃、8月15日は、夏休み中の登校日だった。平和集会という名のその日には、原爆のおそろしさを伝える映画をみたり、被災者のお話を聞いたりして、感想文を書いて下校する。 子ども心に、その時間がとにかく苦痛だった。どうか今日は、そんなにこわい話じゃありませんように。 この「こわい」を私たちに植え付けることが、平和のため、戦争を起こさないための、手段なのだろうと納得していた。 本書を読んで、もう少し、違うやりかたもあるのでは?と思った。 読み進めながら、戦争はもっと立体的で、もっと長い文脈のなかで形になっていくんだ、、と、当たり前のことに気づく。地球の向こう側で書かれた、戦時中の、ふつうの女性の6年間の日常。それを日記という形をとおして疑似体験することで、もっと冷静に、「私たちは平和のために何ができるだろう」と考えられた。 >>p.334 世界の運命を決めるのは個々の人間だということ。これが、平和を願うアストリッドの結論でした。(中略)そう、アストリッドは気づいたのです。戦争へと突き進んでいったのは、独裁を許した個々の人間、みんなの責任ではないかと。 その彼女の気持ちは328頁に収められている手紙によく現れています。ボニエル社へ長くつ下のピッピの原稿を送る手紙の中で、アストリッドはピッピのことを「まったく普通の環境に移り住んだ、子どもの形をした小さな超人」だと紹介しています。「超人」というのはニーチェの言葉で、深く考えず画一的かつ受動的に行動をする愚かな大衆ではなく、自らの確立した意思でもって行動する人のことを指します。ピッピはまさに自分で考えて行動する超人なのです。 (「訳者あとがき」より)
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『長くつ下のピッピ』の生みの親で、私生活では二児の母でもあったリンドグレーン氏。 彼女の名前を聞いてまず思い浮かべるのは、子どもや木登りが大好きな元気いっぱいのおばあさん。何年も前に絵本雑誌MOEで見た肖像写真はどれも表情豊かで、幼少期に知り合っていたら、間違いなく懐いていただろ...
『長くつ下のピッピ』の生みの親で、私生活では二児の母でもあったリンドグレーン氏。 彼女の名前を聞いてまず思い浮かべるのは、子どもや木登りが大好きな元気いっぱいのおばあさん。何年も前に絵本雑誌MOEで見た肖像写真はどれも表情豊かで、幼少期に知り合っていたら、間違いなく懐いていただろうなーと思う。 だが本書での彼女は、一貫して文章がこわばっており、のちの児童文学作家像とはなかなか結びつきにくかった。(当時の肖像写真も凛としていてイケメンなんだけど、私のよく知る屈託のない笑顔からは程遠かった) 第二次世界大戦の開戦(1939)から終戦(1945)までを日記に綴っていたというリンドグレーン氏。日記には家族の動向だけでなく、ヨーロッパを中心とした世界各国の戦局が、詳細に書き込まれている。そうした情報は、ラジオや新聞記事・自身の職場(手紙の検閲)から収集したという。 いくら「何が起こるのかをはっきりさせるためだけ」とはいえ、「一市民(それも二児の母)の日記」と呼ぶには、「歴史的価値」という重厚感があり過ぎる。(ヒトラーやムッソリーニを「二人の図々しいガキ」とコケにする等の点に関しては、日記っぽいけど笑) 「これほど悪い状況になったのはつい最近のことだから、人間はもっと悪くなっていくと考えることで、いつも少しは慰められるのだ」(1940. 4. 14) 訳者同様、ヨーロッパの第二次世界大戦は私も見識がなく、経過内容については未だによく覚えていない…汗 しかし、ヨーロッパの中でもスウェーデン国民はほぼ無傷で生活できていたことや、隣国フィンランド(ロシアとの戦いで疲弊していた)を援助する動きがスウェーデン国内で高まっていたこと等、驚きと発見で満ちていた。 特に王室とメディア。 亡命する王族もいる中で、中立姿勢を貫いたスウェーデン国王や、ナチスに毅然と立ち向かったデンマーク国王が、政治家以上に頼もしく映った。何事も国民ファーストで、一度で良いからこんな強い君主に仕えたいと願ったほどである。 スウェーデンのメディアも、私が読んだ限りでは、日本のような偏向報道(※)は見られなかった。現に注意深いリンドグレーン氏も、メディアを疑う様子はなかったし。 (※)それでもウソを見破っている日本人は、当時大勢いたみたいだけど… 開戦時、長男ラッセは13歳、長女カーリンは5歳。 ラッセは思春期だからか、家族から離れることが多く、カーリンとは違い誕生日の記述が皆無だった。他国と比べ貧困や爆撃の心配がないとはいえ、やはり二人の身を案じる氏の親心が、痛いほど伝わってくる。 だが少なくともリンドグレーン家は、記念日を盛大に祝えるくらい生活に余裕があった。 氏はもちろん感謝の気持ちや他国の現状を忘れなかったが、他国に合わせようともしていなかった。まずは自分たちの生活を守る義務があるし、第一、育ち盛りの子どもを二人抱えている。 悲惨な世界に囲まれていても、スウェーデンの美しい初夏や子どもたちの成長ぶりのように、目を見張るべき景色が必ずそばにある。 「ねえ、生きてるって、ほんとうに素晴らしいことだわ」 ピッピのあのセリフが、自然と頭をよぎった。
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