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平成の天皇制とは何か 制度と個人のはざまで
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 岩波書店 |
発売年月日 | 2017/07/28 |
JAN | 9784000247238 |
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平成の天皇制とは何か
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平成の天皇制とは何か
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現在の上皇・上皇后両陛下(明仁天皇・美智子皇后)が作り上げてきた「平成流」象徴天皇制の実体や在り方を9人の論者(歴史学者、政治学者、憲法学者など)が分析・検証し、「代替わり」後の象徴天皇制の行方を論じる。 立場の異なる様々な論者の「平成流」象徴天皇制論に触れることができ、これまで...
現在の上皇・上皇后両陛下(明仁天皇・美智子皇后)が作り上げてきた「平成流」象徴天皇制の実体や在り方を9人の論者(歴史学者、政治学者、憲法学者など)が分析・検証し、「代替わり」後の象徴天皇制の行方を論じる。 立場の異なる様々な論者の「平成流」象徴天皇制論に触れることができ、これまでとこれからの天皇制度を考える上で有益な内容だった。 個人的には、明仁天皇・美智子皇后が作り上げてきた「平成流」は象徴天皇制の在り方として望ましかったと思うし、不遜な言い方をすれば、お二人はかなりうまくやってこられたのだということを改めて感じた。本書でも指摘されているとおり憲法上はかなり危ういというか、矛盾があるというのはそのとおりだとは思うが、憲法に「象徴」とあるから自動的に国民から象徴として受け入れられるわけではなく、たゆまぬ象徴としての努力故に国民は象徴として受け入れ、国民統合の機能が果たされているのだと思う。 後半の座談会でも指摘されていたが、「結局今の象徴天皇制は、明仁天皇と美智子皇后という超人的な二人に支えられているところがある」ので、今上天皇やその後の天皇がそのまま引き継いでいくというのは難しいと思うが、天皇制度の安定的継承のためにも、「平成流」は象徴天皇制の在り方の一つの参照軸となるものだと思う。
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2016年8月の「退位宣言」とも取れる明仁の「おことば」を踏まえ、象徴天皇制研究の現在を考える論集。 しばしば「平成流」と称される独自のスタイルは皇太子時代からの連続性において捉えるべきこと、そのスタイルの構築にあたっては美智子の影響が大きかったであろうことは、ほぼ通説的な共...
2016年8月の「退位宣言」とも取れる明仁の「おことば」を踏まえ、象徴天皇制研究の現在を考える論集。 しばしば「平成流」と称される独自のスタイルは皇太子時代からの連続性において捉えるべきこと、そのスタイルの構築にあたっては美智子の影響が大きかったであろうことは、ほぼ通説的な共通理解となっている。 だが、率直に感じたことは、1990年代以降の天皇制論議の停滞である。1989年の「代替わり」の際は、戦争責任問題の問い返しと合わせ、天皇論・天皇制論も、儀礼的な側面も含めた本質的な問題提起が多く出ていたように記憶する。しかし、この論集で最も強度の高い論考が吉田裕論文と渡辺治論文であることが端的に物語っているように、とくに2000年代以降の議論の深まりがおよそ感じられない。この程度の論者が「専門家」として通用しているのか、といううそ寒い思いさえ感じられる。 それだけ「象徴天皇制」が空気のように浸透し、問題と見なされないようになってしまったのか――。原武史言うところの「国体」の内面化という観察が正しい、ということなのだろうか?
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天皇明仁の「生前譲位」を軸に、平成期の天皇制の歴史的変化を追究した論文集。所収論稿は以下の通り。 瀬畑源「明仁天皇論」 河西秀哉「美智子皇后論」 冨永望「柔らかな『統合』の形」 船橋正真「『皇室外交』とは何か」 吉田裕「『平成流』平和主義の歴史的・政治的文脈」 山口輝臣「宮中...
天皇明仁の「生前譲位」を軸に、平成期の天皇制の歴史的変化を追究した論文集。所収論稿は以下の通り。 瀬畑源「明仁天皇論」 河西秀哉「美智子皇后論」 冨永望「柔らかな『統合』の形」 船橋正真「『皇室外交』とは何か」 吉田裕「『平成流』平和主義の歴史的・政治的文脈」 山口輝臣「宮中祭祀と『平成流』」 森暢平「メディア天皇制論」 渡辺治「近年の天皇論議の歪みと皇室典範の再検討」 西村裕一「『象徴』とは何か」 吉田裕、瀬畑源、河西秀哉「〈座談会〉『平成』の終焉と天皇制の行方」 個人的に注目したのは、まず冨永論文。これは天皇明仁への内奏・進講、及び皇后を含む行幸啓の実情を数量的に明らかにしているのだが、特に昭和期にはなかった事務次官の進講や、災害時の自衛隊・警察幹部の進講の増加が注意を惹く。行幸啓では、意外にも企業への行幸が多い。進講や行幸啓には天皇の個人的意思が反映しやすく、見ようによっては昭和天皇以上に能動的に「政治」への関与を拡張させたと言え、巷間のイメージを覆す事実として重要であろう。 次に吉田論文。ここでは明仁の戦争と歴史に関する「おことば」を系統的に分析し、巷間言われているほど「加害責任」に言及してはおらず、特に外国人戦没者への言及は2006年が初出で、首相の談話・発言(加害責任の初出は1993年の細川内閣)に比べても相当遅延していることを明らかにしている。また、PKOやテロ特措法による海外派遣任務を行った自衛隊への「接見」を繰り返しており、国論に亀裂のある問題にもかかわらず実質的に政府の安全保障政策に支持を与える機能を果たしていることを問題にしている。本書の他の論稿は全体的に明仁個人の個性・能動性を強調する傾向があるが、本論文は逆に天皇がその当時の政治的状況に規定される「限界」を示している。 山口論文は、「生前譲位」をめぐる賛否の対立を「公的行為」と宮中祭祀のどちらを重視するのかという論点として把握し、天皇明仁にあっては両者は相互補完・不可分のものであって、天皇と国民の間に大きな齟齬があることを明らかにしている。「宮中祭祀と象徴的行為は、ともに制度的な裏付けがほとんどなく」「次の天皇が止めたければ、そうしても法的な問題はおこらない」(p.144)という指摘は、明仁のビデオメッセージでの主張の非合理性と時限性を端的に明示している。 最も異彩を放つのは、「護憲」派・「リベラル」派の安易な明仁支持・同情論を批判し、明治憲法以来の歴史的文脈と現行憲法制定過程・運用過程の実証的分析から、天皇の「公的行為」拡大の危険性・違憲性を追及する渡辺論文だが、分析は正しいのに結論がおかしい。憲法の一般原則と矛盾する皇室典範の全面改正(退位の自由、皇籍離脱の自由、女性の皇位継承権の容認)を主張し、それが将来の天皇制廃止の前提となると強弁するが、特に女帝容認は天皇制の延命・安定化に寄与するものであることは、諸外国の君主制の例を見れば一目瞭然である(本書でも吉田裕は巻末の座談会で、天皇制廃止のためにむしろ「男系論者」に頑張って欲しいという趣旨の皮肉を述べている)。「公的行為」「象徴的行為」として被災地に行くのはだめだが、「私的」には勝手に行けばよいという主張のナンセンスさは、首相が「私人」として靖国神社を参拝することと比較すればこれも一目瞭然だろう。結局、憲法を厳密に解釈して「国事行為」のみを行う存在として天皇を位置付けるならば、御所に閉じ込めて自動人形的な「機関」とするほかなく、「人権」「自由」を問題にするのならば、典範改正でお茶を濁すのではなく、堂々と憲法改正による天皇制廃止しかない。本書を読む前は渡辺の論稿を最も期待していたのだが、蓋を開けてみたら最もがっかりさせられた次第である。
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