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石原吉郎セレクション 岩波現代文庫 文芸280
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石原吉郎セレクション 岩波現代文庫 文芸280

石原吉郎(著者), 柴崎聰(編者)

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石原吉郎セレクション 岩波現代文庫 文芸280

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 岩波書店
発売年月日 2016/08/01
JAN 9784006022808

石原吉郎セレクション

¥1,210

商品レビュー

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2020/07/12

石原吉郎氏は、第二次世界大戦終戦直後にソ連に捕らえられ、囚人として壮絶な数年間を過ごした方だ。彼の経験の中でも特筆すべきは、「失語」という現象だと思う。言語化することをやめることで、様々な現象を認知しなくなり、それによって身体が生き延びるというプロセスと理解した。その間は、実は苦...

石原吉郎氏は、第二次世界大戦終戦直後にソ連に捕らえられ、囚人として壮絶な数年間を過ごした方だ。彼の経験の中でも特筆すべきは、「失語」という現象だと思う。言語化することをやめることで、様々な現象を認知しなくなり、それによって身体が生き延びるというプロセスと理解した。その間は、実は苦痛はやり過ごされている。逆に、言葉を取り戻していくプロセスこそが、経験した苦痛を感じる段階なのだとこの本では述べられている。また、「告発の姿勢」と「被害者意識」からの離脱が、石原氏を混迷の外へと導き出す一歩となった、というのが非常に印象的だった。 自分はこれほどまでの過酷な経験をしたことは一切ない。多くの人はこのような経験をしない。だから理解したくても理解しきれない記述は多かった。その理解し得ない感覚の片鱗を見せてくれる石原氏の記述はは非常に貴重だと思う。 以下、本文からの抜粋(自分がメモとしてとっておきたい箇所。完全に自分用。ネタバレです) 苦痛そのものより、苦痛の記憶を取りもどして行く過程の方が、はるかに重く苦しいことを知る人は意外にすくない。欠落したものをはっきり承認し、納得する以外には、この過程をのりこえるどのような手段ものこされてはいなかったのである。(p. 48) 単独者にいやおうなしに対置されるものは集団であり、その集団のなかの一人が集団を否定するというかたちで、単独者の位置を獲得する。(p. 54) ことばは結局は、ただ一人の存在である自分自身を確認するただ一つの手段である (p. 69) ものの価値は、それがうしなわれてみて、はじめてわかる、うしなうということは、いうまでもなく不幸なことです。しかし、その不幸なことによってしか、私たちは、ものごとの存在の重みを知ることができないのです。 私たしはすでに、多くの神に裏切られており、その裏切られ方への私たちの側からの対応の姿こそ、私たちの信仰の位相を決定すると思うからである。なぜなら、神そのものが人間にとって断念であり、断念においてこそ、旧約の神は、私たちに明確に存在するからである。(p. 218) 僕らは、僕らの生をけわしくのぼりつめて行く所で、理不尽に死に出会うのだ。僕らは兇器をにぎったままたおれる。(p. 251)

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2019/01/13

烏兎の庭 第六部 1.20.19 http://www5e.biglobe.ne.jp/~utouto/uto06/doc/YI.html

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2018/09/17

適応とは「生きのこる」ことである。それはまさに相対的な行為であって、他者を凌いで生きる、他者の死を凌いで生きるということにほかならない。この、他者とはついに「凌ぐべきもの」であるという認識は、その後の環境でもういちど承認しなおされ、やがて〈回復期〉の混乱のなかで若い検証を受けるこ...

適応とは「生きのこる」ことである。それはまさに相対的な行為であって、他者を凌いで生きる、他者の死を凌いで生きるということにほかならない。この、他者とはついに「凌ぐべきもの」であるという認識は、その後の環境でもういちど承認しなおされ、やがて〈回復期〉の混乱のなかで若い検証を受けることになるのである。(p29) なんの影に曇らされることもない、いや、ほとんど幸福とさえいえる一日が過ぎたのだ。(ソルジェニツィン『イワン・デニソビッチのいち日』) ・・・・・・人びとは文字どおり自分を喜ばせることを忘れているのであり、あらためてそれを学びなおさなければならないのである。(『夜と霧』フランクル 霜山徳爾訳)

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