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最澄と空海 日本仏教思想の誕生 角川ソフィア文庫
968円
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | KADOKAWA |
発売年月日 | 2016/05/01 |
JAN | 9784044000820 |
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最澄と空海
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商品レビュー
3.5
3件のお客様レビュー
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
・インドではバラモン正当派とそれへの対抗勢力がおよそ600~1000年サイクルで抗争を繰り返してきた。BC2500年~BC1500年のインダス文明期。BC1500年~BC500年のブラフマーニズム期。BC500年~600年の仏教・ジャイナ教期。600年~1200年のヒンドゥー教期。1200年~1850年のイスラム支配期。そして1850年~ヒンドゥー教復興期。 ・紀元前後で仏教内に革新的運動。大乗仏教は旧来の保守的な仏教を小乗だとして批判した。 ・仏教が一連の体系として日本に輸入されたあと、仏教は国家の統制を受けながら育った。767年には道鏡が太政大臣禅師・法王となる。道鏡の失脚後、770年に即位した光仁天皇は仏教を粛正。781年に即位した桓武天皇も仏教粛正策を踏襲した。809年に即位した嵯峨天皇は空海との結びつきを強め、真言密教を保護した。 ・天台、法華、密教はヒンドゥー的唯名論の立場をとるのに対し、三論や法相はインド仏教的唯名論の立場をとる。最澄が奈良仏教と繰り広げた背景には、この立場の対立がある。 ・キリスト教正当派は神が人間に世界を利用する権利を与えると考える。それに対して、密教やヒンドゥー教は三者が非常に近く、時には融合することさえある。
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日本における仏教の歴史が大きく変わる時(いや、この本によると、二人が変えたのかもしれません…)、 居合わせた二人の大使…出生から成長、掴んだ地位によって置かれた立場、それによって選ばざるを得なかった生きざまの違いを比較することによって、新たな世界が見えてきます。最澄と空海の...
日本における仏教の歴史が大きく変わる時(いや、この本によると、二人が変えたのかもしれません…)、 居合わせた二人の大使…出生から成長、掴んだ地位によって置かれた立場、それによって選ばざるを得なかった生きざまの違いを比較することによって、新たな世界が見えてきます。最澄と空海の時代に降り立った私は、更にブッダの時代に遡ったりしながら、仏教の潮流を観ようとしています。 インドから中国、そして日本へと伝わった仏教の源流から、途絶えながらも、解釈され、成長してきた仏教について、更に深く知りたくなってしまいました。 私が得た情報から推察される最澄は、どちらかというと勤勉で秀才タイプの人だったのではないか?という印象です。一方で、空海は、もちろん人並み外れた努力をされたのでしょうけれども、発想力に溢れ自分の解釈を信じる天才タイプの人だったのではないでしょうか? 二人が天皇の支援のもと、影響力を獲得していったプロセスは、とても興味深いテーマです。ご紹介くださった司馬遼太郎さんの『空海の風景』も、是非、手に入れて探求したいと思います。 実は、私が、空海に関心を持ったのは、10月2-3日と高野山に行ってきたことが切っ掛けでした。その時は、殆ど知識のない状態で、金剛峰寺や奥の院に訪問したのですが、少しずつ、知識を得ることによって、もう一度、いや何度でも、行ってみたい場所になりました(^▽^)/ 空海「三教指帰」によると、最澄は、天台の教学に対する各宗の批判に答える際、大日経疏の著者である一行と、真言宗付法の第六祖で金剛頂経系統の伝訳者である不空という、真言宗で大切にしている二名を俎上にのせ批判してしまったそうです。 このように、ゴータマ・ブッダによって開かれた仏教が、時の流れを越えて、インドから中国、そして日本へと、途絶えながらも伝播し、開花した過程から学ぶためには、最澄と空海という二人の大使の生涯を知ることが必要です。
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インド思想史の専門家である著者が、インド仏教との比較をまじえながら、最澄と空海の思想について論じた本です。 著者には、『密教の思想』(吉川弘文堂)や『ヨーガの哲学』(講談社現代新書)などの著作があり、空海についての叙述がメインになるかと思っていたのですが、天台教学にかんする解説...
インド思想史の専門家である著者が、インド仏教との比較をまじえながら、最澄と空海の思想について論じた本です。 著者には、『密教の思想』(吉川弘文堂)や『ヨーガの哲学』(講談社現代新書)などの著作があり、空海についての叙述がメインになるかと思っていたのですが、天台教学にかんする解説が、かなり切り詰めたスペースでありながらも簡潔にして要を得た整理になっており、個人的には学ぶところが多かったように感じています。ただし、本書の議論の下敷きになっているのは、著者の理解するところのインド仏教における存在論であり、天台教学に内在的な立場からの分析にはなっていない点には注意が必要でしょう。とはいうものの、空・仮・中の三諦の円融について、観法の実践のなかで論理が無視されていると批判がなされているところなど、考えるべき問題が提起されていると感じました。 他方空海にかんしては、インド哲学との比較にもとづく議論が自在に展開されていることを期待していたのですが、いくぶんあっさりした紹介にとどまっているような印象もあります。あるいは、著者としてはこれまでの著作のなかですでに論じた事柄も多いために、こうした叙述になっているのかもしれませんが。 「諸法実相」や「即身成仏」の思想に現象世界の肯定という日本仏教の特徴を見いだし、その意義と限界を指摘している点は、『日本仏教の思想』(講談社現代新書)とおなじ結論ですが、その具体的な現われを平安仏教を代表する最澄と空海の二人の思想にそくして立ち入って論じられているところに、本書の意義があるように思います。
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