- 新品
- 書籍
- 書籍
- 1207-03-06
昭和天皇実録 その表と裏(3) 二・二六事件・日中戦争の時代
1,760円
獲得ポイント16P
在庫なし
発送時期 1~5日以内に発送
商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 毎日新聞出版 |
| 発売年月日 | 2016/02/01 |
| JAN | 9784620323169 |
- 書籍
- 書籍
昭和天皇実録 その表と裏(3)
商品が入荷した店舗:店
店頭で購入可能な商品の入荷情報となります
ご来店の際には売り切れの場合もございます
オンラインストア上の価格と店頭価格は異なります
お電話やお問い合わせフォームでの在庫確認、お客様宅への発送やお取り置き・お取り寄せは行っておりません
値下げ前価格について
本価格は現中古販売価格の「値下げ前価格」となります。
直近約1か月間、値下げ前価格での販売実績があるものだけ表示しております。
昭和天皇実録 その表と裏(3)
¥1,760
在庫なし
商品レビュー
4.3
3件のお客様レビュー
歴史的な背景を深く掘り下げる本作は、昭和天皇とその時代の政治的状況を詳細に描写しています。特に、東條英機が戦争を回避できずに陛下に申し訳なく涙したエピソードは、当時の重圧と責任感を浮き彫りにしています。また、明治初期に導入された天皇制政治システムの機能不全が明確に示されており、昭和天皇が直面した選択肢やその結果について考察を促します。著者の解析を通じて、昭和天皇がどのように軍部に影響され、どのような決断を下したのかを知ることができ、歴史の複雑さを再認識させられます。全体として、歴史を深く考えさせる内容が詰まった一冊です。
※この内容はAIが作成したものであり、ブックオフ公式オンラインストアの見解や意図を示すものではありません。
本書を読むと明治初期に日本に導入された「天皇制政治システム」の機能不全がハッキリと見える。 天皇と宮中勢力は本書で解析するように軍部のコントロールに失敗したのだろう。この時代に昭和天皇にはどのような選択肢があったのか。流されるか、投げ出すか、全てを明らかにするかぐらいしか思いつか...
本書を読むと明治初期に日本に導入された「天皇制政治システム」の機能不全がハッキリと見える。 天皇と宮中勢力は本書で解析するように軍部のコントロールに失敗したのだろう。この時代に昭和天皇にはどのような選択肢があったのか。流されるか、投げ出すか、全てを明らかにするかぐらいしか思いつかないが、昭和天皇は流されたのではないか。結果の重大さを考えると責任は大きいと思われた。 著者による実録のこの解析が正しいかを含めいろいろ歴史を考えさせてくれる本である。 2017年8月読了。
Posted by 
★2016年5月21日読了『昭和天皇実録 その表と裏3 2.26事件・日中戦争の時代』保坂正康著 評価B+ そもそも個人的な興味として、なぜ日本は日中戦争から太平洋戦争へ突入してしまったのか?その原因は何か?なぜ止められなかったのか?そして、今の日本には同様の懸念はないのか?と...
★2016年5月21日読了『昭和天皇実録 その表と裏3 2.26事件・日中戦争の時代』保坂正康著 評価B+ そもそも個人的な興味として、なぜ日本は日中戦争から太平洋戦争へ突入してしまったのか?その原因は何か?なぜ止められなかったのか?そして、今の日本には同様の懸念はないのか?という疑問点がある。その観点で本書を手にとった。(時々はこの観点の本を読んでいこうと思う。) ここで今回理解できたのは、やはり軍部に引きづられ、その暴走を止められない天皇、政治家の不幸と何をどう考えるとあれだけ神格化して崇拝していたはずの軍部が天皇をないがしろできたのかという疑問だった。いくら強硬派とは言え、天皇の意向を無視できないはずだったのに、結局、天皇に接する上層部は天皇の意向は知りつつも、統制できない中堅若手の突き上げが怖くて、押しとどめることが出来なかったという信じられない事実だ。 支那事変処理要綱 昭和15年 11月参謀本部・軍令部強硬派取り纏め この要綱に決められていたことが全て失敗もしくは停止したことで、太平洋戦争に突入。 天皇はこの要綱には相当不満。しかし、近衛文麿首相の無力と松岡外務大臣の勝手な行動 西園寺公望の死亡で軍部強硬派の独走が止められない。 興味深いことに松岡外務大臣は、米国を軽視して、独伊ソ連との協定で南方進出を図る持論が正しいと信じ、また天皇にも信用されていると最後まで自惚れていたらしく、近衛文麿の代わりに首相指名があったら、受けるとまでもらしていたと聞くに至っては、呆れてしまう。 昭和16年9月 5日つまり太平洋戦争戦争への道を決定付ける御前会議の前日、近衛文麿首相と杉山・永野陸海軍参謀総長を呼んで、天皇は最後の説得を試みた。天皇が真正面から異議を申し立てたにもかかわらず、両参謀は見直しなど考えずただその場を乗り切ることだけを考えていたらしい。 結局、軍事指導者達は、面従腹背に徹して、天皇の意思は無視。また天皇を統帥部の下に置き、自分たちの利用しやすい存在と捉えていた可能性もある。 筆者はまた開戦当時の東條首相の妻の証言として、開戦2日前に自宅で、東條首相が涙を流して、天皇の意思に反して、開戦となってしまうと妻に嘆いた事と言うエピソードが語られる。このエピソードは初めて目にしたが、クソ真面目な軍人だった東條らしい話ではある。
Posted by 
2.26事件のあった年、3月12日から、宮内省からの親書や対外関係文書での呼称を皇帝から天皇に統一 天皇は京都学派の進講は不要とした。
Posted by 
