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キリスト教と戦争 「愛と平和」を説きつつ戦う論理 中公新書2360
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 中央公論新社 |
発売年月日 | 2016/01/23 |
JAN | 9784121023605 |
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キリスト教と戦争
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キリスト教と戦争
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カトリックやプロテスタントを問わず、キリスト教徒は「愛と平和」を説きながらこれまでさまざまな形で戦争や暴力に加担してきた。しかしだからと言って彼らの行動が矛盾だらけであるとか、自己欺瞞だという批判は必ずしも正当ではない。なぜなら、キリスト教徒は時と場合によって暴力や武力行使を是...
カトリックやプロテスタントを問わず、キリスト教徒は「愛と平和」を説きながらこれまでさまざまな形で戦争や暴力に加担してきた。しかしだからと言って彼らの行動が矛盾だらけであるとか、自己欺瞞だという批判は必ずしも正当ではない。なぜなら、キリスト教徒は時と場合によって暴力や武力行使を是認することができるからだ。教義となんら矛盾することなく。 そもそも、聖書に「右の頰を打たれたら左の頰をも向けよ」と書かれているからと言って、キリスト教徒が皆、絶対平和主義者であり非暴力主義者だろうと考えるのは認識が甘い。「宗教」に対しても「戦争」に対しても認識が甘い。 著者はその理由を理路整然とした筆致で、批判的になるでもなく、かといって擁護するでもなく、ある種の突き放した視点を保ちながら検証していく。 たとえば新約聖書には、具体的な「戦争」について直接の言及が無い。つまり「正当防衛」の是非については何も書かれていないのである。そのため暴力を肯定するか否定するかは各々の個人的な見解に寄るところが大きく、聖書のなかから”恣意的”に記述を選び、それでもって「キリスト教ではこう考えています」と主張することが可能なのだという。これは欺瞞や矛盾とは違く、教義に乗っ取ったうえでの「判断」となる。現実の社会がグラデーションであるならば思想や解釈に相違が生じるのは当然のことであり、どのラインで相手に「赦し」を与えるかもまた違ってくるのだ。 その先にあるのはキリスト教の究極の概念である「愛」についてである。 信仰の目指すものが「平和」である以上、調和の取れた状態を説得力をもって描くためには、宗教はむしろ混乱や不調和とそれを封じ込める能力を時として必要とする。「戦争」は「宗教的伝統に則った儀式」と同じく「人生のきわめて奥深い側面を例証し、説明する参加型のドラマ」でもあるのだ。 つまり信仰は、円滑な人間関係を保証するわけではない。結局認めなくてはいけないのだろう。人間は人間である以上、どんな信仰をもっていようがいまいが、過ちを犯すことがあるという実に単純な真理を。 キリスト教の教義について深く考察が重ねられており、これまで疑問に感じていた内容に一定の答えを見出せた気がする。引いては宗教について、そして倫理について考えるうえで、ただ理解できないものとして、あるいは自分とは無関係のことだとすることなく向き合える根本的な見方を提示してくれる本だった。
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キリスト教と聞くと「隣人を愛せよ」「誰かがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」と言った言葉、「赦し」などを思い浮かべ、絶対平和主義的な考え方の上に成り立っている様に思える。旧約聖書にも十戒には「殺してはならない」とある。だが実際のキリスト教とは戦争も行うし、旧約聖書の...
キリスト教と聞くと「隣人を愛せよ」「誰かがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」と言った言葉、「赦し」などを思い浮かべ、絶対平和主義的な考え方の上に成り立っている様に思える。旧約聖書にも十戒には「殺してはならない」とある。だが実際のキリスト教とは戦争も行うし、旧約聖書の中では殺戮するシーンも多く登場する。日本は太平洋戦争で国民の多くがキリスト教徒であるアメリカと戦火を交え、互いに殺し合った過去もある。一見すると矛盾している様にも思えるが、実際のところ、キリスト教の教義の中では、敵対する他者を殲滅する行為は許されている。キリスト教の教理をわかりやすく説明した要約ないし解説であるカテキズムにおいても、はっきり明確に、向かってくる敵を殺害する事は構わないとされている。確かに歴史を振り返れば残虐性が際立った十字軍などは分かり易い例だろう。 キリスト教の教典は「旧約聖書」と「新約聖書」からなるが、その中でもはっきり矛盾する様な記述もある様だが、キリスト教徒の筆者曰く、何かを宗教的に説明する際には、部分的に2つの聖書から都合の良い記述を引用するのは、ごく普通の事の様だ。 本書はそうしたキリスト教と戦争の関わり合いを、過去の成り立ちや歴史上の重要なキリスト教の人物を挙げて分かり易く解説している。 戦争映画にもしばしば登場する従軍神父の話や、著名な指揮官が聖書から引いた言葉で軍の指揮を上げたような逸話、キリスト教徒の中でも宗派の違いによる考え方など実にわかり易く記載されている。私などは単純に平和を愛すると言いながら戦争ばかりしているアメリカを思い浮かべて、短絡的に矛盾してるとしか考えていなかったが、本書を読むことがで、そうした戦場に赴く人々の事を理解できる気がする。 タイトルからして興味をそそるものだが、内容は実に多岐に渡りキリスト教の知識を入れることができ、期待通りの面白さであった。
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科学を世界の証拠とする社会に産まれた者として、信者の内面には何か、非科学を説明する理論を持っているのではと考え、キリスト教と戦争という一見矛盾を孕むタイトルからその理論への糸口を見つけたように感じた。 結果として、やはりキリスト教の中にはそのようなものは無かった(良し悪しは置いといて)。 共感より納得を好む性格上、不思議に思えていたのだが、現代社会を俯瞰で見ると少し分かる気がする。 科学の言うことは絶対とし、学校の先生や研究者の言うことを疑いなく信じる科学社会と、識字率が低く聖書が読めない為、聖職者の言うことが絶対だと信じていたキリスト教社会。テクノロジーの差はあれど本質的には何か変わっているのだろうか。 科学は絶対と教育され生きてきたが、果たして我々はその科学を説明できるのであろうか。 AIなどによりクリエイティブの敷居が低くなっており、仕事が奪われるやら実写か生成画像なのかで盛り上がっているが、信仰の対象もこの様なノリで生成される恐れもあるのではないかと考えてしまう。 それが良いことなのか悪いことなのかは、ちょっとよくわかんねぇや。
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