商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | ふらんす堂 |
発売年月日 | 2015/10/01 |
JAN | 9784781407814 |
- 書籍
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石川啄木の百首
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石川啄木の百首
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私は高校が盛岡市の高校だったのですが、石川啄木について何も知らなかったのだなあと思い知らされました。 石川啄木は明治19年岩手県南岩手郡日戸村生まれで寺の子どもでした。 本名は「一」(はじめ)。 生まれた翌年に岩手郡渋民村に転居。 十二歳のとき盛岡尋常中学校に十番目で合格。 ...
私は高校が盛岡市の高校だったのですが、石川啄木について何も知らなかったのだなあと思い知らされました。 石川啄木は明治19年岩手県南岩手郡日戸村生まれで寺の子どもでした。 本名は「一」(はじめ)。 生まれた翌年に岩手郡渋民村に転居。 十二歳のとき盛岡尋常中学校に十番目で合格。 金田一京助らの影響を受けて文学のとりことなります。 「明星」に短歌を投稿し掲載されます。 中学四年のとき、カンニングをして処分され中退。 中退後上京し、与謝野鉄幹・晶子に会います。 十六歳のとき、長詩を明星に発表。 啄木の号を用いるようになる。 父が住職を罷免され二十歳の啄木は帰郷。 渋民尋常小学校の教員となる。 小説を書きはじめる。 13歳のとき知り合った堀合節子と結婚。 長女京子が生まれ二十歳で父親になる。 啄木の生涯を特徴づけるのはなによりの早熟性。 またテンポの速さ。 妹光子とともに北海道へ。 明治41年北海道の新聞記者生活に見切りをつけ上京。 翌年2月。 東京朝日新聞社の校正係に。 六月に妻子と母も上京。 二十四歳で歌集を編む。 のちに『一握の砂』となる。 明治44年慢性腹膜炎で入院。 明治45年四月十三日永眠。二十六年と二カ月の生涯。 没後、第二歌集の『悲しき玩具』出版。 以上、小池光さんの解説より抜粋。 『一握の砂』より <いたく錆びしピストル出でぬ 砂山の 砂を指もて掘りてありしに> <いのちなき砂のかなしさよ さらさらと 握れば指のあひだより落つ> <先んじて恋のあまさと かなしさを知りし我なり 先んじて老ゆ> <かにかくに渋民村は恋しかり おもひでの山 おもひでの川> <やはらかに柳をあをめる 北上の岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに> <父のごと秋はいかめし 母のごと秋はなつかし 家持たぬ児に> <さいはての駅に下り立ち 雪あかり 寂しき町にあゆみ入りにき> <京橋の滝山町の 新聞社 灯ともる頃のいそがしさかな> 『悲しき玩具』より <呼吸すれば、 胸の中にて鳴る音あり。 凩よりもさびしきその音> <すっきりと酔いのさめたる心地よさよ 夜中に起きて 墨を磨るかな>
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