商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 亜紀書房 |
発売年月日 | 2015/09/01 |
JAN | 9784750514574 |
- 書籍
- 書籍
黄金町マリア
商品が入荷した店舗:店
店頭で購入可能な商品の入荷情報となります
ご来店の際には売り切れの場合もございます
お客様宅への発送や電話でのお取り置き・お取り寄せは行っておりません
黄金町マリア
¥2,420
在庫あり
商品レビュー
3
5件のお客様レビュー
現在ではその影が薄れているそうですが、横浜・黄金町といえばこうして春をひさぐ人たちのメッカでした。ここで被写体になっている女性たちは海外から日本に来て黄金町で働いている女性たちでした。貴重な記録です。 事情があって泣く泣く古本屋に売ってそれでも未練があってこうして書いて紹...
現在ではその影が薄れているそうですが、横浜・黄金町といえばこうして春をひさぐ人たちのメッカでした。ここで被写体になっている女性たちは海外から日本に来て黄金町で働いている女性たちでした。貴重な記録です。 事情があって泣く泣く古本屋に売ってそれでも未練があってこうして書いて紹介している本です。 現在はなくなってしまったそうですが、横浜、黄金町は昔から『ちょんの間』で有名な赤線・青線地帯で、2005年に徹底的な摘発があってからはそういうところはなくなってしまったそうでが、この写真集に移っているのは当時、外国から来て黄金町で春をひさいでいた女性たちのことが写真と文章で淡々とつづられています。 確か、南米やヨーロッパから来た女性が多かったような気がします。 『なぜ、僕はこういうところや場所に惹かれるようになったんだろう…?』 時々僕は自問するのですが、日ごろ、ベールに包まれて除くことのできない人間のそういう 『ドロドロとした闇』 の部分に真実があるのではないのか?ということがいつも心のどこかにあるからだ、と思っています。 でも、『闇』に魅入られすぎるとそこから抜け出せなくなるし、『日の光』を浴びることができなくなるので、あまりそういったところには現在は近づかないようにしています。よろしければご一読を…。 ※追記 本書は2015年9月25日、亜紀書房より増補新版として『黄金町マリア――横浜黄金町 路上の娼婦たち』と改題され、再販されました。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
(概要:ネタバレなし) 横浜市中区の大岡川沿いに黄金町(こがねちょう)という地区がある。かつては川の水運を利用する問屋街だったが戦後は麻薬の密売が横行するスラムとなり、いつの間にか売春店(ちょんの間)が並ぶ、いわゆる青線地帯となった。1980年代から日本人娼婦に代わって外国人娼婦が店や街頭に立つようになった。2005年、中田宏市長の市政下で神奈川県警が大規模摘発作戦を展開し、売春店は消滅した。 この本は2001年から2005年にかけて筆者が黄金町の外国人娼婦たちにインタビューした内容をまとめたものである(1章から4章)。警察の摘発によって消滅する前の青線地帯だった黄金町を生々しく活写している。増補新版では売春店の消滅からおよそ10年後の黄金町の様子を追った5章と6章が追加されている。 筆者は客として黄金町に通い、何人もの外国人娼婦に会って話を聞き、その姿を写真を撮った。娼婦たちの多くは、やがて姿を見せなくなった。中には性病で病死した者や警察に摘発されて母国に強制送還された者もいた。筆者は彼女たちの裁判を傍聴したり、葬儀に立ち会ったり、故郷の町に帰った後の生活を追ったりすることで、外国人娼婦たちの人生に迫っていく。 (感想:ネタバレ少なめ) 横浜はペリー提督率いる米国船団の来航によって誕生した街である。外国人居留地が作られ、外国人を相手にする遊郭が作られた。外国人と性風俗は横浜を語る上で欠かせない重要なキーワードだが、その実情は時代とともに変化した。筆者が取材した頃には、横浜は日本人娼婦が外国人の客をとる街ではなく、外国人娼婦が日本人の客をとる街になっていた。 高度経済成長を達成した日本は貧しい国の女たちが金を稼ぐために目指す「黄金の国」となった。いわゆるジャパゆきさん達である。そうして日本に来た女の一部が黄金町(皮肉な名前だ)に流れ着き、ちょんの間で客を取ったり街頭で立ちんぼをしたりした。ある者は日本で売春することを承知で来日し、別の物はブローカーに騙されて来日した(工場で働くと聞いていたのに、日本に着いたらストリップ小屋で踊るよう言われた、とか)。この辺りの事情は従軍慰安婦問題にも通じるところがあるように感じられる。黄金町は黄金の国の縮図である。 その黄金町も今は昔。売春店は消滅し外国人娼婦たちも姿を消した。町は健全化し、しかし金色の輝きを失った。黄金町の拡大図である黄金の国も、バブル経済が破裂して以来、輝きを失って久しい。経済が停滞し少子高齢化が進行する日本は、もはや貧しい国の女が目指す黄金の国ではなくなっているのだろう。 (以下、ネタバレを盛大に含む) なんといっても、この本を読んで最も心に残るのは2章のヌアンサーレ・ワラポンのエピソードだろう。ワラポンはタイ人で、日本に来て売春をしている間にHIVに感染した。筆者が面会した時には顔に肉腫が浮き、エイズ脳症のために日本語はおろかタイ語も満足に話せなかった。それでも筆者がカメラを向けると、震える手で髪を整えようとする女心を見せた。筆者の面会の後ほどなくしてワラポンは息を引き取った。 この章をよく読むと、実はワラポンが黄金町で仕事をしていたとは書かれていない。筆者が黄金町で会ったタイ人娼婦のユリは登場するものの、筆者がワラポンのことを知ったのは「友人の記者」からであるし、ワラポンについて証言しているのは「都内に住むタイ人女性」であるから、おそらくワラポンは、この本の主題である黄金町にはあまり関係がないはずだ。この辺り、筆者の興味が黄金町から外国人娼婦へと移っているように見受けられる。 ワラポンは売春で稼いだ金をタイの故郷の両親に仕送りしていた。外国人娼婦の多くも病気の両親のために、あるいは、子供をより良い私立の学校に通わせるために仕送りをしている。その動機は美しい。だが、その実情は……。 筆者はタイのワラポンの故郷を訪れ、彼女の両親に面会する。両親は木造の東屋で貧しい暮らしを営んでいた。両親は娘が日本で何を仕事にしていたのか、当然承知している。しかし、娘がどんな病で倒れたのかは知らなかった(そもそも、エイズのことを知らなかった)。ワラポンが送った金は、現地では豪邸を建てられるくらい莫大な金額だったはずだ。娘が命を落としてまで稼いだ金を、両親は何に使ったのか。是非、本書を読んで確認してみてほしい。きっと驚くことだろう。私は驚いた。
Posted by
黄金町、外国人の娼婦たちがいた街。夜な夜な盛り場を徘徊することはほとんどなくなったから、今はどうかを知らないが、かつては池袋にも大久保にも外国人の街娼たちはいた。いわゆる立ちんぼだ。 娼婦たちを撮った写真がいい。少しだけ、彼女たちの素顔が見え隠れする。
Posted by