- 新品
- 書籍
- 新書
移民たちの「満州」 満蒙開拓団の虚と実 平凡社新書782
924円
獲得ポイント8P
在庫なし
発送時期 1~5日以内に発送
商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 平凡社 |
発売年月日 | 2015/07/17 |
JAN | 9784582857825 |
- 書籍
- 新書
移民たちの「満州」
商品が入荷した店舗:店
店頭で購入可能な商品の入荷情報となります
ご来店の際には売り切れの場合もございます
オンラインストア上の価格と店頭価格は異なります
お電話やお問い合わせフォームでの在庫確認、お客様宅への発送やお取り置き・お取り寄せは行っておりません
移民たちの「満州」
¥924
在庫なし
商品レビュー
4.5
4件のお客様レビュー
昭和恐慌による農村の疲弊、南北アメリカ大陸への日本人移民の 規制強化が日清・日露戦争で手にした満蒙特殊権益と結びつき、 後々の悲劇となる満蒙開拓が国策として推進された。 実は時の日本政府も軍部も、満蒙開拓には消極的だった。歴史に 「もし」は禁忌だが、国の財布を握っていた...
昭和恐慌による農村の疲弊、南北アメリカ大陸への日本人移民の 規制強化が日清・日露戦争で手にした満蒙特殊権益と結びつき、 後々の悲劇となる満蒙開拓が国策として推進された。 実は時の日本政府も軍部も、満蒙開拓には消極的だった。歴史に 「もし」は禁忌だが、国の財布を握っていた高橋是清財務大臣が 2.26事件で殺害されなければ、満蒙開拓はもっと小規模なものに なっていたのではないかとも思いが拭えない。 実際、開拓という言葉から受ける印象とは異なり、満蒙の場合は 既に耕地として活用されていた土地から中国人や朝鮮人の農民を 僅かばかりの金で取り上げ、そこへ日本人を入植させただけだ。 恨みを買って当然じゃないかと思う。 一部の農本主義者は貧困に陥った農村経済の救済の為、農家の 次男、三男を入植させるのだと主張したが、実際には貧困に 喘ぐどころか十分な農作物の収穫もあり、安定した収入のある 農家を入植させた例も多い。 加えて、満蒙開拓は地方自治体が主体となっての公募のはずが、 名指しで移民を勧められた人たちもいる。 戦争末期、ソ連の満蒙侵攻が始まれば移民たちを守るはずだった 関東軍の上層部や満鉄幹部、官僚たちはとっとと逃げ出し、現地で 関東軍に徴兵された男性たちはシベリアに抑留され、残された女性 や子供たちの日本帰国を目指しての逃避行は悲惨を極める。 「戦争だったから」で済ませてはいけない。満蒙開拓は国策だった のだ。それなのに、誰も責任を負わず多くの命が失われて行った。 国策は棄民とイコールのなのではないか。それは、戦後も続いて いる。 満蒙からの帰国者の為という名目で、日本国内でも入植が行われた。 千葉県成田市の三里塚、青森県六ケ所村もそうだ。この国内入植も 国策だ。それなのに、三里塚も六ケ所村も苦労して開墾した土地を 国によって取り上げられているではないか。 本書は多くの資料・証言から、満蒙開拓の現実を浮き彫りにした 良書である。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
満蒙開拓団といえば、関東軍が真っ先に引き上げた後の民間人の引き揚げの苦労。老人と女性と子供だけで飢え、寒さ、病、そして略奪と日本人を狙った襲撃。 また、壮年男子のほとんどがシベリアに連行され抑留されたという。 要するに終戦以降の出来事くらいしか知らなかった。 なぜ、大勢の日本人が満州に行くことになったのか。 最初は国策だった。 疲弊した農村。 それが5.15事件や2.26事件を生んだ。 狭い耕地に大勢の農民。 どんなに働いても貧困から抜け出すことができない。 それならば、大陸の広大な土地を耕し、自作農として生きていけばいい。 国は、すでに満州人、中国人が住んでいる土地を買い叩いて追い出し、日本人の受け入れ準備をする。 これではすでに開拓ではない。移民だ。 が、応じる日本人は少なかった。 そりゃそうだ。 どうせ苦労するのなら、先祖代々守りぬいた土地のほうがいい。 次には地方自治体が動く。 国策を錦の御旗に、天皇の御為に、貧しい農家を説得する。 国からの財政補助、飛び地としての領土という旨味がそこにはあった。 しかしそれでも、多くは動かなかった、 それが戦争末期に大挙して満洲へ行くことになる。 それはなぜか。 “当時の人たちの感覚からすれば、渡満は一つの選択肢だった。満州には空襲もなければ、本土決戦の不安もなかった。日ソ中立条約があり、無敵の関東軍がいる。そんな安全神話を信じ切っていた。” この悲劇はなぜ大きな声で語り継がれないのか。 そこには、この戦争で日本人は加害者であったという負い目がある。 シベリア抑留者は明らかに捕虜であったのに、なぜ抑留者というのか。 捕虜であれば、強制労働に対する給与の支払いなどの最低限の権利が保障されるのに、なぜ敢えて抑留者であるのか。 「生きて虜囚の辱めを受けず」という呪縛から抜けられなかった。 あくまでも面子だけにこだわった呼び方なのだ。 時代というものにどうしようもなく流されていった先は、地獄だった。 何も知らずにつれて行かれた子どもたちの多くは、日本に戻ってくることはできなかった。 戻ってきた人たちの心にも、大きな傷が残った。 それを忘れてはいけない。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
フォトリーディング&高速リーディング。高速を4回繰り返して(最後は熟読も含め)読了とする。あと一回下記の付箋箇所のために高速するので計5回。 移民が国策であり、地方自治体にも利権であったことが知れた。しかし強制力はそれほどなく、戦後「国策」と主張することで責任転嫁しているのではないかと思った。 帰国した人々の体験談は重いものであるにもかかわらず、ほぼすべての人々が満州の豊かさをなつかしく思うあたり、戦後世代である私のイメージを覆された思いがした。悲惨な体験はむしろ逃避行と抑留生活。敗戦が満州国のイメージを暗くしているが、満州に希望のイメージがあった。 開拓民は現地民を使用した農場経営をした。殆ど悔恨はしなかったようだ。関東軍が買いたたいた土地を、日本人に分配したので、敗戦と同時に恨みが噴出した形になった。 以下に、最後の高速リーディングで付箋を貼った個所を要約する: 数が多いので省略。
Posted by