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映画とは何か(上) 岩波文庫578
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映画とは何か(上) 岩波文庫578

アンドレ・バザン(著者), 野崎歓(訳者)

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映画とは何か(上) 岩波文庫578

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 岩波書店
発売年月日 2015/02/19
JAN 9784003357811

映画とは何か(上)

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商品レビュー

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2024/11/23

写真家・土門拳の「絶対非演出」という言葉をご存じの方も多いでしょう。被写体を操作せず、現実をありのままに写し取る――。1950年代、日本を代表する写真家がそう主張したとき、はるか西の地フランスでも、ある映画評論家が驚くほど似た思想を展開していました。アンドレ・バザンです。 『映...

写真家・土門拳の「絶対非演出」という言葉をご存じの方も多いでしょう。被写体を操作せず、現実をありのままに写し取る――。1950年代、日本を代表する写真家がそう主張したとき、はるか西の地フランスでも、ある映画評論家が驚くほど似た思想を展開していました。アンドレ・バザンです。 『映画とは何か』は、まさにその時期に書かれた映画論の古典です。バザンは、ハリウッド的な派手な演出や技巧的な編集を否定し、カメラが捉えた現実そのものの中に真実があると説きました。これは、写真の「演出を排す」と唱えた土門拳の思想と、不思議なほど響き合います。 しかし、二人の「現実」への向き合い方には、微妙な違いもありました。土門は「主体の内面から湧き出る眼差し」を重視し、写真家の魂の叫びとしてのリアリズムを追求しました。『筑豊のこどもたち』や『広島』といった作品には、戦後日本の現実を凝視しようとする、痛切な意志が込められています。 一方バザンは、より冷静に、しかし同時に詩的に映画を論じます。彼が注目したのは、映画という媒体そのものが持つ「現実を記録する力」でした。例えば、イタリア・ネオリアリズモの作品群を高く評価し、素人俳優の何気ない仕草や街の雰囲気まで含めて撮影することで、より深い真実に近づけると考えたのです。 今日、私たちはスマートフォンで気軽に写真や動画を撮影し、加工アプリで「理想の一枚」を作り出す時代を生きています。そんな時代だからこそ、土門とバザン、この二人の表現者が追い求めた「真実の瞬間」について、あらためて考えてみる価値があるのではないでしょうか。 『映画とは何か』は、単なる映画理論の本ではありません。それは土門拳の写真論とともに、「カメラを通して私たちは何を見るのか」という、より本質的な問いを投げかけているのです。インスタグラムに溢れる加工写真や、AIで作られた偽画像が話題となる現代。二人の先達の思索は、新たな光を放ち始めているように思えます。

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2021/02/10

ジャン・ルノワールとロベール・ブレッソンが大好きなのが伝わってくる。マルセル・パニョルが滅茶苦茶ディスられてる。 例に挙げる作品がどれも古いから半分くらい知らなかったけど、それでも面白かった。ピカソは見てたから解説が面白かった。ドイツ零年と田舎司祭の日記が観たいな。 小説と映画、...

ジャン・ルノワールとロベール・ブレッソンが大好きなのが伝わってくる。マルセル・パニョルが滅茶苦茶ディスられてる。 例に挙げる作品がどれも古いから半分くらい知らなかったけど、それでも面白かった。ピカソは見てたから解説が面白かった。ドイツ零年と田舎司祭の日記が観たいな。 小説と映画、演劇と映画、3つのモンタージュ、サイレントとトーキーの関係性、などなど幅が広いし説得力があるので凄く面白い。たくさん線を引いたからまた読み返そう。

Posted by ブクログ

2020/02/01

(01) 1950年前後,特にヌーベルバーグ前夜ともいえる50年代の論評群を中心に構成されている. 『コンチキ』などの探検映画,ジャック・タチ,アルベール・ラモリス,ロベール・ブレッソン,演劇の題材を翻案した映画,マルセル・パニョル,オーソン・ウェルズ,ロジェ・レーナルト,ゴッホ...

(01) 1950年前後,特にヌーベルバーグ前夜ともいえる50年代の論評群を中心に構成されている. 『コンチキ』などの探検映画,ジャック・タチ,アルベール・ラモリス,ロベール・ブレッソン,演劇の題材を翻案した映画,マルセル・パニョル,オーソン・ウェルズ,ロジェ・レーナルト,ゴッホやピカソを扱った絵画映画,(超)西部劇のジョン・フォードからバッド・ベティカー,ロッセリーニやデ・シーカ(*02)そしてフェリーニーのイタリアのネオリアリズモといった具合に当時の新作を論じ,グリフィスの1910年代,エイゼンシュタインの20年代の過去の手法等の点検を行っている. 隣接する芸術の分野として,小説,演劇,写真,絵画との関係を探り,新興芸術でもあった映画とその可能性を擁護している.映画分野については,サイレントとトーキー,俳優と非俳優,ドキュメンタリーとドラマ,象徴と現実,背景と運動,フレーム内とフレーム外,歴史と現在,モンタージュとパンといった対立項や共犯的な方法を巧みに扱いながら,「映画とは何か」についての,さしあたっての回答をさまざまに示してもいる. 政治や社会,歴史へと溢れようとする映画の外延(外縁)における現象もとらえており,観客とカメラの関係にとどまらず,検閲という制度や夢という無意識にも言及し,映画という現象が人類の知のあり方に変容を迫っている事態をも告げている. (02) デ・シーカについては,『自転車泥棒』,『ミラノの奇蹟』,『ウンベルト・D』といったネオリアリズモの仕事について好意的に触れ,デ・シーカが振る舞った愛情と詩についての見解が注目される.また,エロティシズムについての一文も,公開されていた処刑の歴史にも触れながら,映画にある欲望の手触りについての表現を試みており,興味深い.また,背景的に配された自然がどのように演技と演出に参加してくるのかについても考察しており,映画が,俳優と俳優,俳優と作家,俳優と観客の関係を結ぶものでありつつ,その運動は,自然と社会を結びつけていたことも知る. 当時のサルトルの思想の影響を読むことも可能であるが,ベルグソンについての言及もある.映画においては特に,持続という問題系が今後も製作と批評の鍵になるだろう.

Posted by ブクログ