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決定版 太平洋戦争(7) 比島決戦 フィリピンをめぐる陸海空の死闘 歴史群像シリーズ
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決定版 太平洋戦争(7) 比島決戦 フィリピンをめぐる陸海空の死闘 歴史群像シリーズ

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決定版 太平洋戦争(7) 比島決戦 フィリピンをめぐる陸海空の死闘 歴史群像シリーズ

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商品詳細

内容紹介 //付属品~写真週報(三五二号)、フィリピン精密地図付
販売会社/発売会社 学研パブリッシング
発売年月日 2010/05/29
JAN 9784056059540

決定版 太平洋戦争(7)

¥1,980

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2013/12/01

太平洋戦争終盤の山場の一つとなった フィリピン戦。直前のサイパン戦で打撃を被ったとはいえ、この時点ではまだ戦闘機があり大型艦艇がありそして陸軍の主力師団もあり、日本は まだ近代戦を戦う戦闘力を残していた。 フィリピンを失えば南方資源の輸送ルートを失う日本とI shall ret...

太平洋戦争終盤の山場の一つとなった フィリピン戦。直前のサイパン戦で打撃を被ったとはいえ、この時点ではまだ戦闘機があり大型艦艇がありそして陸軍の主力師団もあり、日本は まだ近代戦を戦う戦闘力を残していた。 フィリピンを失えば南方資源の輸送ルートを失う日本とI shall returnの預言どおりにフィリピンを取り戻したいマッカーサー。両者の思いは一致し故に太平洋戦争最大規模の犠牲者が出た訳だが、バランスを欠きたりとはいえ戦力がある以上、作戦を立てることができた。東条を更迭し、陸海軍を作戦上統合し、国力を傾けて臨んだフィリピン戦。筆者たちはここで、「決戦」というキーワード、いやマジックワードに着目している。 古来より、寡兵をもって大軍を破った例は枚挙にいとまがない。如何にしてハンニバルのような、織田信長のような鮮やかな戦い方ができないものかと作戦指導者たちは知恵を絞ったに違いない。そして出来上がったのが海戦史上例のない大規模で広範囲で巧緻な搖動撃滅作戦。海軍においては火力の集中こそが重要であり、劣勢ではあっても火力を集めれば成果を挙げられる可能性がある。この点、レイテ沖海戦を乾坤一擲の最後の決戦とした海軍指導部の考え方は、わからなくもない。 なけなしの空母で米軍機動部隊を北方に誘引し、フィリピン諸島に近づく機動部隊があれば神風特攻隊が奇襲攻撃し、戦艦部隊は上陸輸送船団を叩くとした極めて巧緻な作戦。作戦企図は成功し、敵主力の機動部隊は北方に去った。しかし最終盤に露わになったのは作戦目的の不徹底という、日本海軍の悪弊である。叩くべきは敵空母か輸送船団かという対立は、ミッドウェー戦時の上陸作戦か敵空母かの構図と酷似している。敵空母を叩く力をサイパン戦で失ったから輸送船団を叩いて敵の上陸を防ぐ、というのが作戦目的だったはずだが、台湾沖でもサマール島沖でも部隊は敵空母との決戦を追い求め、作戦目的は達成されなかった。 そして陸軍。筆者たちは決戦思想の源流をドイツ陸軍に求めつつ、しかしながら第一次対戦で現出したのは大会戦でなく持久戦であった、としている。コンクリートの普及で敵火力に耐えうる野戦築城が可能になり、日露戦争でも旅順要塞の分厚いコンクリートが乃木稀介の日本軍を苦しめた。第二次大戦では要塞線を突破するために戦車が多用されたが、寡兵をもって大軍を破る式の会戦は実現していない。ソ連軍はドイツ軍の攻勢を廃墟のスターリングラードで食い止めたが、ドイツと同規模の戦車を投入していたから反撃に転じることができたと考えられる。 話を戻して、日本陸軍はフィリピン「決戦」のために満州から関東軍を引き抜きルソン島ほかに輸送した。そして上陸した部隊に飛行場の建設を求め、自らの陣地を構築する余裕を与えなかった。結果として飛行場は整備できず、最初に米軍が上陸したレイテ島には応援部隊を逐次投入し、レイテでもルソンでも米軍の火力の前に敗北した。欧州のような大陸戦とは違い、島嶼防衛戦においては陣地の堅固さが重要であり、これはペリリュー島や硫黄島で実証されている。しかし日本陸軍は防衛戦や籠城戦ではなく、機動的な決戦を志向していたのだろう。ここでは、日露戦争以来の死をも厭わない日本歩兵の勇敢さを過信する余り、歩兵攻撃では米軍の火線を突破できないという謙虚な現状分析が抜け落ちている。ルソン島に兵力を集めながらレイテ島に逐次投入した先見性の無さだけでなく、空虚な決戦志向が満州の防衛線を破綻させたことを批判的に分析すべきだろう。 こうして、個人的に言えば、私の父方の祖父はルソン島で戦死し、母方の祖父母は幼い母たちを連れて満州から引き揚げることになった。奇襲効果を失った特攻作戦はフィリピン戦後も続き、この愚劣な作戦の犠牲になった方も多い。フィリピン戦にあたり決戦7割、継戦3割と戦争指導部は考えていたようだが、膨大な戦死者を出し南方資源輸送ルートを失っても、政府は3割で惰性のように戦争を続けた。そして最後の一年で失われた膨大な命。犠牲が大きかったが故に極端な感情論に陥った部分もあったのだろうが、このように内外に厳しい局面で政策立案者は如何に考えるべきか、現代の世界の政治家達に答えを求めたら、どんな回答が返ってくるのだろうか。

Posted by ブクログ

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