商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 慶應義塾大学出版会 |
発売年月日 | 2014/07/19 |
JAN | 9784766421408 |
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ディズニーランド化する社会で希望はいかに語りうるか
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ディズニーランド化する社会で希望はいかに語りうるか
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商品レビュー
3.5
2件のお客様レビュー
哲学書って難解な言い回しをしなければいけない決まりでもあるのだろうか。キャッチーなタイトルで、内容も身近なことを言っている気がするのに、表現が自己陶酔的に難解なせいで頭に入ってこない。読者の知的水準が低いと切り捨ててしまえばそれまでだが、それこそ(少なくとも一般向け書籍においては...
哲学書って難解な言い回しをしなければいけない決まりでもあるのだろうか。キャッチーなタイトルで、内容も身近なことを言っている気がするのに、表現が自己陶酔的に難解なせいで頭に入ってこない。読者の知的水準が低いと切り捨ててしまえばそれまでだが、それこそ(少なくとも一般向け書籍においては)哲学会の文化的鎧を脱ぎ捨てて、unlearnしないと希望は語れないのでは。
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比較的キャッチーなタイトルの本書だが、ディズニーをネタにしつつ、「ディズニーランド化した社会=外部を持たない自己充足的な世界」とおき、テクノロジーに浸りきった今日の日常、において、希望という外部を指し示すことのできる条件とは何か、をベンヤミンやヴィドゲンシュタインに主に依拠しつつ...
比較的キャッチーなタイトルの本書だが、ディズニーをネタにしつつ、「ディズニーランド化した社会=外部を持たない自己充足的な世界」とおき、テクノロジーに浸りきった今日の日常、において、希望という外部を指し示すことのできる条件とは何か、をベンヤミンやヴィドゲンシュタインに主に依拠しつつ探っていく。 結論としてはテクノロジーに同期する、テクノロジーと遊戯する、そこに契機がある、とする。テクノロジーに深く浸ることで、元々の目的・意味を棚上げされ、みずからの身にまとった文化的な諸々を脱ぎ捨てられ、忘れ去る契機の気配がある。それは「学び捨てる」という概念につながる。規定されたわたし、なるものを学び捨て、わたしを還元し、わたし自身の現状の根っこをまで開いてみせる。 ぼんやりわかる、でもまだ実感にならない。また読もう。
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