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この子は俺の未来だ パプアニューギニア&ケニア“つながり"の 文化人類学
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 佼成出版社 |
発売年月日 | 2014/07/09 |
JAN | 9784333026593 |
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この子は俺の未来だ
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この子は俺の未来だ
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『この子は俺の未来だ』という映画のセリフのようなタイトル。パプアニューギニアとケニアの子育て文化や子ども観をテーマにした本です。 手に取ったときは「タイトル、カッケー」と思ったのですが、この言葉の真意が分かったときには、思わずズッこけそうになった(笑)「そういう意味かい!」と。...
『この子は俺の未来だ』という映画のセリフのようなタイトル。パプアニューギニアとケニアの子育て文化や子ども観をテーマにした本です。 手に取ったときは「タイトル、カッケー」と思ったのですが、この言葉の真意が分かったときには、思わずズッこけそうになった(笑)「そういう意味かい!」と。でも、この言葉の受け取り方こそが、この二つの国と、日本の子ども観の違いを、これ以上ないくらい表しているのかも。 近代日本から、現代にかけて日本の子ども観ら三歳児信仰のような、子どもは親が大切に育てるものであったり、 あるいは身内や家族、血のつながりの意識が強く強調されるものだと思うのですが、パプアニューギニア・ケニアは伝統的社会的というか、そのあたりが結構緩やかな印象。 日本でも昭和や戦前なんかは、親だけでなく地域がコミュニティになって子どもを育てる、あるいは見守る、という意識は強かったと思うけど、それがより顕著なのが、パプアニューギニアなのかもしれない。 例えばパプアニューギニアは、父や母が何人もいる社会だそう。これは生みの親である両親だけでなく、両親の兄弟、つまり叔父や叔母も父や母であり、その子どもはキョウダイにあたるそう。 そして、子どもはそんな複数の父、母の元を渡り歩きます。場合によっては日本でいうところの実の両親よりも、叔父、叔母の父・母との方が親密になることもあるそうです。 今の日本から見ると違和感の強い文化ですが、メリットしては、子ども自身が自分の生き方や、考え方、環境によって親を選べたり、居候させてもらったり、あるいは親族間での子どもを預けるのも簡単だそう。 さらにはシングルマザーの中には、子どもを自分の姉妹や叔母に預け、自分は人生の再スタートを切るなんて例もあったりするようで。 こう見ると、日本人からすると薄情な気もしますが、パプア・ニューギニアはまったく発想が違うのだろうなあ。一応、ルール的には母親の下にはいることになるし…… そんなパプアニューギニアは相互扶助の考えが深いそう。複数の父・母と子どもだけにとどまらず、同じ少数言語を話すもの同士、異なる少数言語でも同じ土地、同郷のもの同士での扶助の文化もあります。 そしてその根底にあるのは文化人類学的に言うと「互酬性」という考え方。 「互酬性」は簡単に言えば、助けてもらったら助け返す。なにか貰ったら、お礼に何かを返す、ということなのだけど、 これはいわゆるお金と商品のやり取りのような即時的なものだけではなく、将来的なお礼を期待する「一般的互酬性」があり、パプアニューギニアの文化もそれが色濃く反映されています。 つまり子育ても子どもからのお礼を期待しているわけで、だから「この子は俺の未来」なわけです。そしてそれが産んだ子ども以外の子どもを複数の父・母が面倒を見る理由なわけで、そこには一種の打算があったりします。 ケニアで印象的だったのは、名前の付け方と割礼の話。 ケニアのメル族の子どもへの名付けにはルールがあります。それは祖父母にちなんだ名前をつけること。それは祖父母自身の名前のこともあれば、祖父母の性格や振る舞い、仕事に応じたものもあるそうです。 例えば祖父母が農業に従事していた女の子なら「カレミ」。男の子なら「キレミ」。誰にでも優しく笑顔な祖父母なら「ンカザ」というふうに、複数の名前の候補を選んでおき、その中から近所の子どもが選ぶそう。 そして、祖父母から孫に名前が引き継がれることから、メル族では祖父母と孫のつながりが特に強く、そして何よりも子どもを持つことが大事とされます。名前が引き継がれることで、自分の存在が歴史から忘却されず残り続けるという考え方らしいです。 割礼とは少年が大人になるための儀式で、ペニスの皮の一部を切り落とすもの。このとき割礼を受けた少年は、親とも会わせてもらえず、三週間隔離されます。その間の世話人やその補助人の世話を受けるのですが、彼らとは疑似的な親子関係を築くそうです。 ここでも生みの親以外の強固な家族関係が生まれ、またこの隔離された期間に、メル族の様々なルールや社会のことを教わり、結果的に大人(戦士)としての自信や、同属意識を強めるそう。 確かにこのような特殊な体験を通せば、イヤでも絆は生まれそうだけど、自分はご勘弁願いたい…… タイトルに文化人類学という言葉が使われていて、用語もいくつかでてくるものの、おおむねルポ調であったり、インタビューだったりと読みやすかった。欧米の文化はなんとなく馴染みがあるけど、この二国の文化はまた新鮮で、興味深く読めました。
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