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ネットで「つながる」ことの耐えられない軽さ
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 文藝春秋 |
発売年月日 | 2014/01/29 |
JAN | 9784163900100 |
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ネットで「つながる」ことの耐えられない軽さ
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商品レビュー
3.4
25件のお客様レビュー
・タイトルが違えば タイトルさえ違えばより評価されるし、読みたい人に届く本なのでは? ネットで「つながる」ことに焦点を当てた話ではなく、話し言葉⇄書き言葉⇄ネット言葉に焦点を当てた話だから。ネット言葉にも興味があったから楽しく読めたけど、ネットの「つながり」に関して深く言及してほ...
・タイトルが違えば タイトルさえ違えばより評価されるし、読みたい人に届く本なのでは? ネットで「つながる」ことに焦点を当てた話ではなく、話し言葉⇄書き言葉⇄ネット言葉に焦点を当てた話だから。ネット言葉にも興味があったから楽しく読めたけど、ネットの「つながり」に関して深く言及してほしかった。(ちゃんと読めてないだけかも) 筆者の指摘する「つながり」、「軽さ」とは、果たして本当に書き言葉でしか生じ得ないものか。 以下、考えたことの乱文 ・現代との比較 SNSの音声メディア、リモートワーク、オンライン面接。ネット言語での話し言葉が生まれてきた。ネット上では、非言語情報が少ないから、対面での話し言葉とネット上での話し言葉では、求められるものも違うだろう。→ネット言語特有の話し言葉がある。 ・「わかりやすさ」重視 「わかりやすい」ことが先行して、「わかりにくい(=つまらない)」流れがある。これもネットの書き言葉が影響してる。→ネット言語の書き言葉は、深く思考する読み取ることに劣っている可能性がある ・「つながり」の希薄化 新聞のような共通言語・共通の思想がなくなり、人々はネットで自分にとっての共通言語・共通思想を持つ人とつながるようになった。SNSでは自分と同じようなひとたちが必然的に集まる仕組みになっている。この点では、「つながり」が強固されているのでは、と思うがそうともいえない。 SNSには無数のアイコンが存在する。マッチングアプリもそう。同じような人はいくらでもいる、もっといいひとがいる可能性がある、との価値観が蔓延してるように思う。 →自分にとっての他者は交換可能、自分は交換不可能、唯一無二の存在であると考えやすくなる→「つながり」は希薄化? ・教育としての立場 国語教育における読書。思考力とは検索力?英語教育は機会損失? 情報処理能力という言葉が流行っている。学校がなくなる、他の選択肢が増える、というのはこの先の教育業界のトレンドであると思う。(N高やO高、個別教育、キャリア教育) 社会が変わっていく中で、何が教育にふさわしいのかは、まだ誰にもわからないし、考え続ける必要がある。 ・読みやすかった! すごく読みやすい。(読みやすさだけが評価されるべきではないけれど、論の構成?言葉選び?が私にとっては合ってた)
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ずいぶん前に読んだ本 別サイトに感想書いたんだけどそこなくなっちゃって みんながくれたコメントをもう一度見たかったな 読んでみますって言ってくれたあの人、その後読んだのかしらん あの頃はコトバについて深く考えていたよなぁ
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最近、政治家の問題発言がよく話題になる。自民党は対策として「失言防止マニュアル」というものを作成し、党員に注意を喚起しているが、それ以降も政治家による失言は後を絶たない。政治家以外にも、芸能人が差別的な発言をしたり、学生が自身の卒業論文で無断引用したり(「剽窃」という犯罪である...
最近、政治家の問題発言がよく話題になる。自民党は対策として「失言防止マニュアル」というものを作成し、党員に注意を喚起しているが、それ以降も政治家による失言は後を絶たない。政治家以外にも、芸能人が差別的な発言をしたり、学生が自身の卒業論文で無断引用したり(「剽窃」という犯罪である)、近年、言葉を軽視する傾向が強まっているように感じる。 本書はその原因を「書きことばの軽量化」という観点から説明していて、興味深い。 <ネットことばが紙の書きことばと一番異なるのは、ことばを認知するまさにその媒体にあります。 パソコンもケータイもなかったころ、文字を目にするのはもっぱら紙の上でした。本、雑誌、新聞、ビジネス文書、便せん、メモ帳、日記帳、ビラ、チラシ、行政文書などは、文書ごとに、印刷されたり手書きされたりしているモノ(=紙)が異なる。新聞を読み終えると、腰をあげて雑誌を手にしたり、書店に行って本を購入し、どこかに腰を落ち着けて頁を開いたりと、文章を読む行為には、そうした切り替えのための身体活動が必要でした。 しかし現代の液晶ディスプレーでは、マウスのワンクリックやパネルのワンタッチで、文書の表示画面が即座に切りかわります。そのとき頭のなかのことばと思考も切りかわらなければならないはずなのですが、画面のフレームやフォーマットがおなじために、その転換は曖昧になります。メールだと、送ったメッセージも届いた文も、他人が書いた文もその境界線がおぼろげなのです。おまけにコピー&ペーストして、自分の文に他人の文をすべりこませたり、他人のメッセージを自分からのメッセージとしてリツイートするという人もいます。 そのことによって書きことばに歴然として存在した「私のことば」と「他人のことば」という意識が希薄化します。近年、学生の卒業論文に無断引用が目立つため、コピー&ペーストを発見するソフトが論文審査に利用されています。これは論文の盗用や引用が簡単にできるというだけでなく、ことばにおける「個」の境がおぼろげになっているからでもあります。つねにおなじ画面でさまざまなことばに接するうちに、ことばにおける「私」と「他人」という壁が崩れているのです。簡単にいえば、ネット上で出会うことばはすべてみんなのものであり、私のものでもあるという感覚です。 私と他人のことばの壁が曖昧化して、私のことばにたいする所有意識も、やはり曖昧化する。みんなのことばが自分のものに感じられるということは、ひるがえっていえば、自分のことばも自分のものではなくみんなのもの。あるいはネット空間に放りだされたあとは、糸の切れた風船のように見えなくなる存在です。 社会をにぎわせている政治家、官僚、芸能人の無責任な放言、失言の数々は、ことばの所有意識の希薄化によるものです。所有意識の希薄化は同時に責任を放棄することにもつながるのです。>(201~202頁) 近年、会社の連絡手段として、LINE などのSNS を利用しているところもあるが、これは危険な傾向であると評者は考える。特に、LINE の「一度送ったメッセージを後から消せる機能」は、「ことばの所有意識」の希薄化を助長するものであろう。われわれは自分のことばに責任を持つべきだ。
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