商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | みすず書房 |
発売年月日 | 2014/01/11 |
JAN | 9784622078005 |
- 書籍
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殺人ザルはいかにして経済に目覚めたか?
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殺人ザルはいかにして経済に目覚めたか?
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日本に生まれたならば、道を歩いているだけで全財産を奪われたり、家に食べ物がないからと言って飢える心配をする機会はほぼないだろう。 それは、事故や病死による急死のリスクが0%ではないことを、誰もが理解しつつも気にしていないこととは少し違う。良くも悪くも、社会を信じているということだ...
日本に生まれたならば、道を歩いているだけで全財産を奪われたり、家に食べ物がないからと言って飢える心配をする機会はほぼないだろう。 それは、事故や病死による急死のリスクが0%ではないことを、誰もが理解しつつも気にしていないこととは少し違う。良くも悪くも、社会を信じているということだ。 食べ物を持っていなければ、あるところから奪うのが動物であり、実際に初期の人間はそうだった。 しかし、現代においては、殺してでも奪い取ることを良しとせず、それを律し、暴力が日常ではない社会を構築するに至った。 それは進化と同じく、奪い合う社会が滅び、協力しあう社会だけが生き延びた結果なのかもしれないが、 「時に殺し合うこともある」ということすら法の範囲として内包することで、人間社会は緩やかに信じ合い、協力を促し、分業を発達させ、加速度的な繁栄を続けている。 だが同時に、信じるということは知らなくて良いということでもある。 現代社会が「情報で溢れている」と表現されることがあるが、「知らないこと、知らなくても良いことで溢れている」とも言い換えられる。 隣人がどんな人か知らなくとも、出会い頭に強盗されることを恐れて武装したりしなくても良い。 物流の仕組みを理解していなくとも、餓死することを恐れて食料を溜め込まくても良い。 コンビニ店員が知らない人でも、偽物を売りつけられる心配をしなくても良い。 そのような信頼が、現代の巨大都市、国家、社会を成立させている。 新しい社会は新しい問題も山程生んだが、サルの社会と人間の社会のどちらが良いのかなんて、誰にも判断できることではない。人類は目指したところに進んで到達したわけではなく、偶然たどり着いたのみなのだから。 壮大な社会実験は、いつか全滅するその時まで続くだろう。
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一言で言って深い。 非常に読み応えのあるタフな本。 中盤は少し進化論的な内容の繰り返しに枝葉をつけるような感じの退屈なところもあるが、全体通して意外性のある考察が面白かった。 私には1度で本書の内容を理解できるような学はないので、機を見ては読み返そうと思う。
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見知らぬ同士が出会えば殺し合っていた類人猿が、何百万年に渡る人類史のほんの一万年の間で、なぜ全く見知らぬ相手に対して仕事や貯蓄、そして命でさえ預けられるようになったのかを解き明かしたのが本書である。 筆者であるポール・シーブライトによると、互いに殺し合う類人類から全く見知らぬ同...
見知らぬ同士が出会えば殺し合っていた類人猿が、何百万年に渡る人類史のほんの一万年の間で、なぜ全く見知らぬ相手に対して仕事や貯蓄、そして命でさえ預けられるようになったのかを解き明かしたのが本書である。 筆者であるポール・シーブライトによると、互いに殺し合う類人類から全く見知らぬ同士を信用するホモ・サピエンス・サピエンスに人類が進化するには、「協力の費用と便益を合理的に計算する能力」と、親切には親切で、裏切りには復讐で報いようとする意志である「強い返報性」であったとする。この合理的計算能力と強い返報性は、どちらもヒトの進化には必要であった。こうした能力が全く見知らぬ人への「信頼」を生み出し、そこから見知らぬヒト同士の「協力」や「分業」へとつながった。信頼は、脳の中に組み込まれた「自然な本能」ではなく進化によって構築されてきたとシーブライトは論じている。 分業が始まると、ヒトは己の仕事に没頭する「視野狭窄」に陥る。本書の第一部で書かれているシャツの例のように、視野狭窄のお陰で現代人はさまざまな商品を手に入れられる。なぜならば、各人が視野狭窄に陥ることで、シャツが手に入るまでの膨大な生産過程を管理者なしに勝手に作りあげて、その後は「市場」が自動的に需給を調節してしまうからである。現代社会はそのような視野狭窄を必要としているのだ。 人類が獲得した視野狭窄には、メリットもあればデメリットもある。視野狭窄により分業への没頭から、ユダヤ人虐殺に何の責任も感じていない、ニューベルク裁判で裁かれたナチス高官たちを生み出したりもした。また世界金融危機を引き起こしたのも、ヒトの視野狭窄による「信頼性」の崩壊だとしている。 また、ヒトは「分業」により「協力」を生みだしたが、協力にもやっかいな問題がある。それは「同類マッチング」と呼ばれるものだ。同類マッチングとは、それぞれの個人の生産性が当人自身の才能や努力だけでなく、一緒に働く人々の才能や努力によって左右されてしまうことだ。同類マッチングによれば、才能がある者は才能がある者と組み、才能のない者は才能のない者と組んでしまう。その結果として、ますます生産性に差がついてしまうという現象である。これも視野狭窄と同じように分業が生み出したマイナス面であると言えよう。 第二部と第三部では、分業から協力から派生した信頼性について、都市や銀行制度、戦争、水、家族と企業、国家とグローバリゼーションといった様々なトピックが扱われている。最終章のグローバリゼーションを扱った章では、環境破壊により問題は山積みであるが、「グローバリゼーションとそれが齎す問題は目新しいものではなく、少なくともここ一万年ほどの社会的発展の延長でしか無い」として、問題が解決できないわけではないと若干希望を持たせる結論となっている。本書の内容は盛りたくさんであるが、内容が多岐に渡るために散漫な印象はある。正直、読み通すのにかなり苦労した本だ。しかしながら、進化心理学、人類史と経済学との関連性を知るには読んで良かったと思う。今の経済学に飽き足らない、経済学万能にはちょっと違和感があるなあと思う人にはおすすめの本だ。
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