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怨歌の誕生 双葉文庫
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怨歌の誕生 双葉文庫

五木寛之(著者)

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怨歌の誕生 双葉文庫

649

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 双葉社
発売年月日 2013/12/13
JAN 9784575516357

怨歌の誕生

¥649

商品レビュー

3.5

2件のお客様レビュー

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2023/09/09
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 五木寛之「怨歌の誕生」、2013.12発行。中編4作品が収録されています。「艶歌」(1966.10発表)、「涙の河をふり返れ」(1967.11発表)、「われはうたへど」(1969.6発表)、「怨歌の誕生」(1970.8発表)。表題は、天才歌手、藤圭子に言及した作品です。

Posted by ブクログ

2023/07/16

2013年発行。4つの作品がまとまっている。日本人の歌である演歌、艶歌、怨歌について。 『艶歌』1966(昭和41)年。『涙の河をふり返れ』1967(昭和42)年。『われはうたへど』1969(昭和44)年。『怨歌の誕生』1970(昭和45)年。  五木寛之は、本の出版年を気にして...

2013年発行。4つの作品がまとまっている。日本人の歌である演歌、艶歌、怨歌について。 『艶歌』1966(昭和41)年。『涙の河をふり返れ』1967(昭和42)年。『われはうたへど』1969(昭和44)年。『怨歌の誕生』1970(昭和45)年。  五木寛之は、本の出版年を気にしている。藤圭子を五木寛之が推しているとされている作品が、『怨歌の誕生』である。藤圭子がデビューしたのが1970年『圭子の夢は夜ひらく』だった。ふーむ。学生運動ん真っ只中に、藤圭子が登場した。その頃は、何を歌っていたのだろうか? 『艶歌』 『旅の終わりに』の前の話。黒木から、津上はCMソングを作る会社から、レコード会社に来ないかと誘われて、演歌を担当する。ディレクターは高円寺竜三。演歌の竜と呼ばれていた。黒木+津上と高円寺との戦い。黒木は「どうすれば売り上げを増加できるか、それだけを考えている」といい、高円寺は「レコードは商品だが、歌はそれだけのものじゃない。良い歌を作るのは、人間の感動だと思うがね。電子計算機で大衆に愛される歌はできないよ」という。その頃のテーマは、現在にも通用する。AIで、作詞、作曲する時代となっている。結果として、たくみな仕掛けで、黒田が勝利する。高円寺はレコード会社をさる。 『涙の河をふりかえれ』  黒木鋭介は、ある歌手を見つけてきた。黒木は大学の講師である私に相談があるというのだ。黒木は、大学で「伊勢道中歌」を研究していた。お伊勢様信仰は、伊勢詣にピーク時は日本全土から490万人が故郷から出たと言われる。江戸時代のおかげまいりはすごかった。しかし、黒木が研究室を追われたのは研究費流用問題で、一人で責任を被って辞めたのだった。  黒木は水沢忍という17歳の歌手に、歌のうまさだけではなく、何かがあるけど、どうやってデビューさせたらいいのか?相談に来る。私は、宗教団体の教祖の娘の存在を教える。娘は詩を作っていた。 それを、うまく黒木は取り入れて、水沢忍はヒットを当てる。あっという間にスターになるが、3年もすると翳りが見えてきた。私は、水沢忍の歌の良さは「不幸の味」にあると指摘する。  黒木は、水沢忍の両親の離婚騒動を巻き起こし、不幸の味をつける。経理が金を盗んで、税金問題で苦しめられる。婚約者だった歌舞伎の俳優が別の女に入れ上げる。次々に不幸の味をばら撒くことで、水沢忍は不動の地位を築くのだった。不幸の時、涙の河をふりかえることでしか、人気を保つことができない。 『われはうたへど』  島木は、作詞を水沢に頼んだ。古めかしい歌詞で、時代にそぐわない。なぜ、もっと明るく前向きの歌を作れないかと聞くと、戦争中に戦争に駆り立てるような歌ばかり作ったので、そういう前向きの応援歌は、戦争が終わって作らないと決めたという。「われはうたへどもやぶれふうせん」と水沢はいうのだった。 『怨歌の誕生』 エッセイが書けないで困っていた。何気なくレコードがあったので、かけたら素晴らしかった。 「歌い手には一生に何度か、ごく一時期だけ歌の背後から、血が滴り落ちるような迫力が感じられることがあるものだ。それは歌の巧拙だけの問題ではなく、一つの時代の交差の仕方だったり、その歌い手個人の状況に関わり合うものである」「凝縮した怨念が、一挙に燃焼した一瞬の閃光であって、芸としてくりかえし再生産しうるものではないからだ。彼女は酷使され、商品として成功し、やがてこのレコードの中にある独特の暗く鋭い輝きを失うことになるのではあるまいか」と藤圭子を評価した。  それが、いつの間にか、五木寛之は藤圭子を推しているということになってしまった。 歌は、世につれと言われるが、歌を流行らせる方法は、実に人を操ることにたけた人間がなすことができるのだ。  今の時代に、歌はどうなっていくのだろうか?歌に興味のない私でも、五木寛之の怨歌論、ジャズ論は実に納得するものが多い。

Posted by ブクログ

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