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小堀遠州 綺麗さびの茶会
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小堀遠州 綺麗さびの茶会

深谷信子【著】

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小堀遠州 綺麗さびの茶会

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 大修館書店
発売年月日 2013/10/10
JAN 9784469222296

小堀遠州 綺麗さびの茶会

¥3,080

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2024/01/13

記録に残る遠州の茶会から、当時の茶の湯と遠州の歴史に迫っていく本。1599年21歳の時の記録からで、この時には点法道具と花入は今焼など国産のものを使っており、利休、織部の系譜を受け継いでいた。次に織部横死から10年後の1626年の24回の茶会で、これはその前年に伏見奉行所の披露茶...

記録に残る遠州の茶会から、当時の茶の湯と遠州の歴史に迫っていく本。1599年21歳の時の記録からで、この時には点法道具と花入は今焼など国産のものを使っており、利休、織部の系譜を受け継いでいた。次に織部横死から10年後の1626年の24回の茶会で、これはその前年に伏見奉行所の披露茶会というのが定説だったが、不在の参加者が多く、この定説を否定した。そして二条城行幸時であったとし、過密なスケジュールの合間に実施されているので幕府の指示もあったのではと推測。客も大御所筆頭年寄の土井利勝、尾張家の徳川義直、関白も務めた近衛信尋といった人物が招かれていた。ここで大名茶のあり方を模索していた客たちに「遠州の茶」を披露しゴーサインをもらったとしている。それで自信を得た遠州は、行事が終わって落ち着いてからの口切茶会では、香合、茶入、水指、水滴に一段と好みを強調し、かねて構想していた茶を披露したとしている。1634年家光上洛時に上方八人衆に抜擢される。1626年といい、30万もの軍勢が京都に集まり、天皇が行幸する一大行事を捌いた手腕が凄い。島原天草一揆後や寛永飢饉での政策立案でも、奉行としての能力が買われていた。1645年まで4年間江戸に留まった遠州江戸四年詰の際、50回も茶会を開催、将軍にも献茶しており、将軍茶道師範ともいえる立場だった。雪舟の絵をはじめて茶席に用いたのは遠州だった。のちに中興名物といわれる名品が活用された。侘の数寄屋と、日本の芸術で飾る鎖の間を用いた。鎖の間は室町期の書院飾りに倣うが、王朝美や新唐物等の新しい要素を取り入れた遠州独特の数寄空間とした。 遠州というと作事奉行としての活躍は知られているが、行政面での手腕も評価している。茶会は客組もおさえており、当時の人間関係や茶会の目的も明らかにしている。

Posted by ブクログ

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