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小説の読み方、書き方、訳し方 河出文庫
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小説の読み方、書き方、訳し方 河出文庫

柴田元幸, 高橋源一郎【著】

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小説の読み方、書き方、訳し方 河出文庫

814

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 河出書房新社
発売年月日 2013/04/06
JAN 9784309412153

小説の読み方、書き方、訳し方

¥814

商品レビュー

4

11件のお客様レビュー

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2023/11/26

もっといろんな本を読みたいと思った。 文がコードで書かれている、という考えはたくさんの本を読んだ人だからこそ出てくる発想だな。 読み、書き、翻訳が、固体、気体、液体であるという考え方も面白かった。 これだけいろいろなことがわかって本を読んでいくのは、余計なことを考えちゃうって...

もっといろんな本を読みたいと思った。 文がコードで書かれている、という考えはたくさんの本を読んだ人だからこそ出てくる発想だな。 読み、書き、翻訳が、固体、気体、液体であるという考え方も面白かった。 これだけいろいろなことがわかって本を読んでいくのは、余計なことを考えちゃうっていうのもあるけど、分類分けとか楽しそうだなって思った。 海外のこの作家と日本のこの作家は似てる、とか。 読んだことない作品がたくさん出てくるけど、二人の会話をもっと聞いてたい。 出てきた作品を読んでみたい。

Posted by ブクログ

2022/05/17

柴田元幸さんの翻訳のお仕事に触れたのは、オースターのニューヨーク三部作とミルハウザーをひとつ、といったくらいです。印象としては、「透明な触媒」としての翻訳、です。翻訳者の癖というか、翻訳者自体の声や匂い色、もっというと人となりって、どうしても翻訳された作品からかすかにではあっても...

柴田元幸さんの翻訳のお仕事に触れたのは、オースターのニューヨーク三部作とミルハウザーをひとつ、といったくらいです。印象としては、「透明な触媒」としての翻訳、です。翻訳者の癖というか、翻訳者自体の声や匂い色、もっというと人となりって、どうしても翻訳された作品からかすかにではあっても感じられがちだと僕は思っていて。それが柴田さんの翻訳だと、翻訳者は薄いフィルターとしてだけあって、外国人の作者のほうを大きく、そして近く感じるんです。翻訳者の存在が、無色無臭っぽい。 柴田さんは翻訳を、原文が自分の中を通り抜けていく通過時間がゼロに近ければ近いほどいい、という考え方を本書で明らかにします。なるほど、体現なさっているなあとしっかり感じさせられるのでした。そして、村上春樹さんとお仕事仲間です。このあたりは、同志、と表現しても良いのかもしれません。 いっぽう、僕にとって高橋源一郎さんのイメージは「競馬に詳しい人で、どうやら作家だ」というところからスタートしています。高校生の頃に日本テレビの深夜番組に出てらっしゃって、その頃の僕は現代作家にうとかったですし、ネットもなかったですから、彼がどういう人なのか知る由がなかった。なので、先入観として、作家の仕事は二の次の人なのかなあと見えてしまっていました。それが、だんだん年月の経過とともに、競馬に詳しい人、というよりも、作家、としての色合いのほうが僕の目には濃くなっていきました。 本書を読むと、序章こそ言わんとしているものがよく伝わってきませんでしたが(序章は、文庫へ版を変えたときに最終章の位置から移したものなので、全体を踏まえて抽象的に述べられている言葉だからはっきり飲み込みづらかったのかもしれません)、エンジンがかかってからは明晰な眼力で「小説」を透徹して見ていることに、読んでいてびりびりくるくらいです。小説のコードに従う従わないか、コードを全否定するのは原理主義であり自爆テロみたいなもの(理想主義で、なおかつ完璧主義なのを原理主義というのですね)、近代文学において強い敵と戦うのが文学のテーマだったがある時期から戦う相手である「権威」が無くなってしまった、自他の分別をはっきりした非対称性の文学とその反対の対称性の文学(対称性の文学のほうが現代日本の文壇で勢いが増してきたのですが、そもそもアメリカ文学のほうでは対称性の性格が強い文学が主流)、リーダーフレンドリーの良さと悪さ……などなど。 しかしながら、これほど厳しい美的感覚で「小説」をとらえてしまうと、自己規制や禁止条項だらけになってきて、書けるものの範囲が狭まりそうです。高橋さんの論理は筋が通っているし、ひとつの立場として見事な高さにまで築き上げられている(そこにはかなりの労力がかけられているでしょう)。だからこそ、オーソリティを持った意見として受け取りやすい。そして、そう無条件に受け入れてしまうと、高橋さんと同じ苦しみを背負ってしまうことになります。 だから、読者は(そして書き手でもあるならば)彼のような見事な論理と美意識も、単にひとつの視座にすぎない、と踏まえたほうがいいと思うのです。本書で語られた、ほとんど隙のない文学論も、文学へ一方向か二方向から強い照明を当てたに過ぎないと言えるかもしれない。上手な光の当て方であっても、自分は自分として、また違った光を文学へ当てて眺めていいのではないでしょうか。高橋さんは、綿矢りささんの短編に非常に感銘を受けたと述べていますが、その感想は、これまでの彼の視座からは見えなかったものが世に出てきたことへの驚きを多く含んでいました。 つまりは、彼を驚かすためには、彼の視座を忠実にトレースしててはいけない。というか、書き手は自分なりに自由であっていい部分はあるので、反論の言葉が見つからないといって、飲み込まなくてよいのです。 といった前提で読む、高橋さんによる大江健三郎論がおもしろい。「言語のセンスがとても変わっている」のは、僕もはじめて読んだときに、文章を追えなくてなんだこれはと思ったから、つよく頷いたものでした。大きい狂気を抱えている人、というのもなるほどと。理知的な人というようなイメージで見られがちですが、高橋さんによれば、無意識のほうがずっと強い人だということでした。 僕はまだ、高橋源一郎さんの小説作品に触れたことがありません。でも、好奇心はつよく持っていますから、そのうち何か手に取ると思います。柴田元幸さんの翻訳作品ではブコウスキーの『パルプ』が積読なので、こちらも楽しみなところなのでした。

Posted by ブクログ

2020/08/28

琉球大学附属図書館OPAC http://opac.lib.u-ryukyu.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BB12259270

Posted by ブクログ

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