商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 講談社 |
| 発売年月日 | 2012/08/18 |
| JAN | 9784062881685 |
- 書籍
- 新書
社会を変えるには
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社会を変えるには
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商品レビュー
4
128件のお客様レビュー
前半の相当量を社会を変えることを考えるために必要な知識・知見の概説に充てており、その意図は理解できるが、それでも新書としてはかなりの分量。また個々の思想紹介は超訳的なものもあり、ここまで網羅的でなくても良かったのではないかとは感じた。 また終盤にかけて、批判の矛先が保守側の「自助...
前半の相当量を社会を変えることを考えるために必要な知識・知見の概説に充てており、その意図は理解できるが、それでも新書としてはかなりの分量。また個々の思想紹介は超訳的なものもあり、ここまで網羅的でなくても良かったのではないかとは感じた。 また終盤にかけて、批判の矛先が保守側の「自助努力」「回帰」に偏り、リベラル側にはほぼ言及がないまま「対話」「基本保障」といった処方箋に着地する構成にはやや違和感。根本的な情報格差が埋まらないまま参画や対話を推進することで、体制側に判断の負荷だけが偏っていく点、更には運動を推進する側も認知負荷が増大し、誠実さを維持し続けることが難しくなる点への言及が薄いのも気になった。 最終的な結論は「関心のあるものにまず関わる」という運動論に収斂しており、目的設定の適正性や、参加後に生じる情報格差・責任の重さといった論点には踏み込まない。これは著者も本書を「読者を動かすための運動」の一環として捉え、あえてここまでにしているフシもあるのかも。著者自身も末尾で述べているように、他の主張や言説と比較検討されるべき一冊である。
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ちょっと覗いただけで、まだ読んでいない。 本書よりも先に、浅羽通明氏の『「反戦・脱原発リベラル」はなぜ敗北するのか』(ちくま新書、2016)と小熊英二氏の『日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学』(講談社現代新書、2019)を読んでおくほうがよいと感じる。特に浅羽氏の『「...
ちょっと覗いただけで、まだ読んでいない。 本書よりも先に、浅羽通明氏の『「反戦・脱原発リベラル」はなぜ敗北するのか』(ちくま新書、2016)と小熊英二氏の『日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学』(講談社現代新書、2019)を読んでおくほうがよいと感じる。特に浅羽氏の『「反戦・脱原発リベラル」はなぜ敗北するのか』を先に読んでおきたい。 余談だが、最近、倉持麟太郎氏の『リベラルの敵はリベラルにあり』(ちくま新書、2020)という本があるのを知った。その本の宣伝コピーに<「フェイク」リベラルの語る「ハリボテ」立憲民主主義ではもう闘えない。保守をも包摂するリベラルの再生こそが、現実政治の突破口だ!>とある。「保守をも包摂するリベラル」とは面白そうである。昨今、「リベラル保守」は、「リベラル左翼」と同様、神通力を失いつつある。「保守をも包摂するリベラル」が衰退しつつある「リベラル保守」を再生してくれるから、「リベラル保守」の石破茂氏が「健全な民主主義のための努力が、ここにある」と大いに期待しているわけだ。 しかし、「保守をも包摂するリベラル」は、新しい衣装に変っても、結局、実体は旧来のカネまみれの「ムジナの保守」に収斂していくような気がする。「悪貨は良貨を駆逐する」の喩えよろしく、良質な「リベラル保守」が駆逐されることは、現在の石破茂氏が置かれている境遇を見ればわかる。 とにかく、我等がジャパンは安易・安逸・快楽を求めてひたすら漂流しているようだから、いずれ「ゆでガエルのように、気がついたら皆くたばっていた」という冗談にもならない事態が待っているような気がする。そういう妄想を癒すためにも、『リベラルの敵はリベラルにあり』は一読の価値があるかもしれないな。後は読んでからのお楽しみだ。 お終い
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社会を変えるなら、変えたいなら、行動しよう、という本だと思う。いかんせん難しくて、ついていくのが大変だった。 先日、「ヘルシンキ生活の練習は続く」でフィンランドでは普通にデモが起こり、気軽に参加するという話を読みながら、自分はデモのような社会活動に一歩引いてるよなぁと思っていた...
社会を変えるなら、変えたいなら、行動しよう、という本だと思う。いかんせん難しくて、ついていくのが大変だった。 先日、「ヘルシンキ生活の練習は続く」でフィンランドでは普通にデモが起こり、気軽に参加するという話を読みながら、自分はデモのような社会活動に一歩引いてるよなぁと思っていた。 この本の中で、昭和の社会活動、特にあさま山荘事件などで、社会運動は危ないというイメージがついてしまったという。まさにそのイメージが残っているのかもしれない。 以下メモ ・戦後日本の社会運動における特徴 ①強烈な絶対平和志向(すべての戦争否定) ②マルクス主義(レーニン主義)の影響 戦後、漠然とした戦前回帰への反対や戦争をしたくない気持ちが共産党や社会党の支援につながった ③倫理主義 自分は知識人、特権階級だから、特権を捨てて労働者に奉仕しなければならない。自己改革のための社会運動 民主主義と国家を愛することは両立するのに、日本では両立してなかった。愛国心=戦争回帰になってしまった。 1970年代~80年代の日本 社会運動が少なかった。 労働者が忙しく、社会から「余裕」がなくなる。 発展途上国型の混沌が整理され消えていき、一方で先進国型の市民参加が育つほどの自由がなかった。 ・古代ギリシャの民主主義 直接民主主義 みんなで議論、盛り上がる、だから「納得」 単なる投票による多数決ではない なぜ盛り上がると、納得するのか 「みんな」が参加した気持ちになる 「みんな」が決めた気がする 盛り上がりが「みんな」を作る ・中世 視点の変化 遠近法 それまでの絵は、遠くも近くも、時系列も同じ画面に描いていた。(神の視座) 近いものを大きく、遠いものを小さく、自分を中心に世界を再編成する視点の発明。 ・近代科学→近代政治思想 自由で平等な個人が理性的な契約で国家を作る ・民主主義 「みんな」で権力を作る。集団が大きくなれば、「代議制」になる ・自由主義 権力から自由になる →自由主義と代議制民主主義を組み合わせるには無理がある みんなで決めないと納得できない ・昔は、共同体が強かったけれど、今は、個々にばらばら。だから、皆が共有している問題意識を足場に行動を起こす 問題意識:誰もが自由になってきた、誰も自分の言うことを聞いてくれない、自分はないがしろにされている(格差)
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