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わたしの物語 創造するラテンアメリカ2
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 松籟社 |
発売年月日 | 2012/07/27 |
JAN | 9784879843074 |
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わたしの物語
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わたしの物語
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商品レビュー
3.6
11件のお客様レビュー
小説ってどこまで自由なんだ。読後、ヘンなもの読んじゃったなあとニヤニヤが消えない作品だ。 (わたしの物語、というのは、「わたしがどのように修道女になったか」 という物語ですが〉 という書き出しを目にすれば、 「語り手が修道女になるまでの物語なんだな」 と思うわけだが、しかしっ!...
小説ってどこまで自由なんだ。読後、ヘンなもの読んじゃったなあとニヤニヤが消えない作品だ。 (わたしの物語、というのは、「わたしがどのように修道女になったか」 という物語ですが〉 という書き出しを目にすれば、 「語り手が修道女になるまでの物語なんだな」 と思うわけだが、しかしっ! 予断をことごとく打ち砕かれて、 膝カックンな気分になる箇所多々。 笑いどころ満載の知的な冗談小説として愉しんでほしい。
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最初から最後まで衝撃的・予想外な作品だった… なんというか、私などが感想を書くのは手に余る。そう思わされるような、新境地を見たというか、いい意味でやばい作品だ。 原題をそのまま訳すと「わたしがどのように修道女になったか」になるのだが、邦訳にあたりさらにシンプルに「わたしの物語」...
最初から最後まで衝撃的・予想外な作品だった… なんというか、私などが感想を書くのは手に余る。そう思わされるような、新境地を見たというか、いい意味でやばい作品だ。 原題をそのまま訳すと「わたしがどのように修道女になったか」になるのだが、邦訳にあたりさらにシンプルに「わたしの物語」と題を訳したとのこと(訳者あとがきより)。 主人公のわたしを、周りは小僧・息子などと読んでいることから少年だと思われるが、わたしはわたしのことを「少女」と思っている…という認識でOK?誤字じゃないよね?と、頭ん中???になりながら読み進めた。 物語は「わたし」ことセサル・アイラ(!)が六歳のころ、アルゼンチンのロサリオという町で、初めて父親にアイスクリームを食べさせてもらう話から始まる。 このアイスクリームの話単体でも、まさかの展開になり、心中でえええっ!?と叫びながら読み進めた。 アイスクリームのくだりが終わってからは、さらに意味不明な文章・展開となる。 物語全体的に、述懐しているかのような語り口なので、振り返って語っている「わたし」は現在一体何歳でどんな人物になっているのか気になりながら読んだのだが…… 意味不明と感じながら、でもどこかわかると思ってしまう、興味がそそられ読み進められたのはなぜだろうと思う。 この辺についてはもう、実際に本書を読んで実際にその感覚を味わっていただきたい。 さて、ラストはまさに衝撃なのだが、「わたしの物語、というのは、「わたしがどのように修道女になったか」という物語ですが、…」から始まるこの物語、最初に断っておくと「わたし」が「修道女」になることなく終わる(おそらく男の子だしね…)。 じゃあこの序文と原題はどういう意味を持つのか? 訳者があとがきで分析してくれているので、興味のある方は本文読了後、あとがきまで是非読まれたし。 というか読了後、私はこの作品をどう咀嚼すればいいのか分からず、縋るようにあとがきを読んだ…笑 訳者による「かたすかし」という本作への評は、なるほど確かにと思わされる。 でもなんだか癖になる作風なので、作者の他の書籍が邦訳されているのならぜひ読みたいところ。 というかこの本について他の方の感想も読みあさりたいところです。
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久しぶりにやばい本に出会った。私史上、川上未映子さんの「わたくし率 イン 歯ー、または世界」に次ぐ衝撃作。いや、「わたくし率〜」を読んだときに感じたのは、衝撃というより圧倒的な意味不明感だった。意味不明すぎて完全に迷子になって、最終的に何が起きたかといえば、作者の意図とか作品の...
久しぶりにやばい本に出会った。私史上、川上未映子さんの「わたくし率 イン 歯ー、または世界」に次ぐ衝撃作。いや、「わたくし率〜」を読んだときに感じたのは、衝撃というより圧倒的な意味不明感だった。意味不明すぎて完全に迷子になって、最終的に何が起きたかといえば、作者の意図とか作品のテーマとかいったものを理解する努力をまるっきり放棄してしまった。一方でこちらは、物語の進んでいく先がポンポンと方向転換するものだから、作者の思惑にまんまと振り回された。でも、後述するけれど、理解する手立てはあるから、目を白黒させながらもなんとか読了できた。一回読んだくらいでは、とてもじゃないが吸収し切れない。しばらく経ったらまた手に取ってしまいそう。なんだろう、この奔放な作風はちょっと癖になるのだ。 前半の掛け合いは「コントか?」と思い、中盤ではどんどん加速する支離滅裂さにオロオロしながら主人公の人格やジェンダーの不確定さに推理力を働かせ、そしてラストはもう唖然。目が点。とにかくタイトルと内容との無関連感が尋常ではない。解説で訳者の方が「かたすかし」という単語を用いてこの作品を表現していたけれど、まさにその通り。原作のタイトルは ”Cómo me hice monja” で、英訳版のタイトルはほぼ直訳で “How I Became A Nun” 。日本語版のこの本も、「わたしの物語、というのは、『わたしどのように修道女になったか』という物語ですが」という書き出しで始まる。なのに主人公はいつまで経っても修道女にはならない。なる気配すらない。そもそもなれないのだ。じゃあなぜこのタイトル。謎でしかない。 中盤、びっくりして思わず二度見してしまった箇所をちょっと抜粋。 --- 「それでも、その年、わたしには友だちがひとりできました。男の子です。隣の子です。わたしはその子とよくいっしょに遊びました。ありきたりの意味での友達です……もっとです。何しろわたしもありきたりな意味(「ありきたり」という言葉のありきたりな意味)でのありきたりな少女になっていったのですから。いいえ。そこまでではありません。わたしがアルトゥーロ・カレーラと友だちになったお話は、他に例を見ないようなものだったのですから。」 (p.115) --- いやいやどっちやねんという。散々熱弁しておいて突然「そこまではありません」とは。この突き放し感である。 作品を通して、数々のナンセンスが堂々とまかり通ってしまう理由について考えを巡らせると、ひとつの結論に至った。主人公の年齢は六歳。腐ったアイスクリームを食わされたせいで入院を余儀なくされ、その結果小学校入学が三ヶ月遅れ(新入生にとっての三ヶ月は致命的だだ!)、友達もいなければ読み書きもままならない。腐ったアイスクリームを無理矢理食わせた張本人であるオワコンな父親と、メンヘラでモンスターペアレントな母親。少女の存在を無視することをクラス全員に強要する担任教師、低俗な言葉を連呼する同級生たち(とはいえ小学一年生とはえてしてそういう言葉を連呼したがる生き物なのだろうから、罪はない)。そういう人々に囲まれた六歳の少女の目には、世界はこんなふうに混沌としたものとして映らざるを得なかったたと考えれば、合点はいく。そしてその前提にいったんいきついてしまえば、それ以降はそもそもナンセンスだともあまり感じなくなる。 いろいろ衝撃だったけれど、たくさん本を読み過ぎてちょっとマンネリしてきたなあと感じている人にとっては、最高のウェイクアップコールになるに違いない作品だと感じた。最後に、頭のおかしい担任教師と生徒たちの狂気が顕著な一部分を抜粋して終わる。お疲れ様でした。 --- 「『はい、先生』と言いましょう』」 「はい、先生!」 「もっと大きな声で!」 「はあああい、せーんせーいいいい!」 「『せい、はんはああい』と言いましょう」 「しい、せんはあい!」 「もっと大声で!」 「いいいいんはああせええええええん!」 「もおおっとおおおおおおごえで!」 「せええええはあああああんんんんんんいいいいいい!」 「よおおくできました。よおおおおおおくうううできました。(以下略)」 (p.73-74) ---
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