商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 二玄社 |
発売年月日 | 2012/06/22 |
JAN | 9784544030464 |
- 書籍
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光太郎・智恵子 うつくしきもの
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光太郎・智恵子 うつくしきもの
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商品レビュー
4.5
2件のお客様レビュー
(2013.11.20読了)(2013.11.10借入) 副題「「三陸廻り」から「みちのく便り」まで」 高村光太郎は彫刻家でしょうか、詩人でしょうか? どちらでもあるのでしょうけれど、彫刻作品にはあまり熱が入らなかったのでしょうか、余り作品が残っていません。父親の光雲から仕事を回...
(2013.11.20読了)(2013.11.10借入) 副題「「三陸廻り」から「みちのく便り」まで」 高村光太郎は彫刻家でしょうか、詩人でしょうか? どちらでもあるのでしょうけれど、彫刻作品にはあまり熱が入らなかったのでしょうか、余り作品が残っていません。父親の光雲から仕事を回してもらっていたようではあるのですが。 この本には、紀行文「三陸廻り」と岩手での生活を綴った「みちのく便り」が収録されています。「三陸廻り」は、「時事新報」に10回にわたり掲載されたものです。時期は、1931年10月3日から27日です。旅行の時期は、8月中旬から9月初旬です。 石巻⇒金華山⇒女川⇒気仙沼⇒釜石⇒宮古、と廻っています。 わたしの住んでいる大船渡は、気仙沼と釜石の間にあるので、船で移動の途中に船から眺めているだけです。しかも夜に! 光太郎が旅した三陸海岸は、その後、1933年3月と2011年3月に大津波に襲われています。この本は、二度の津波に襲われる前の三陸の様子を伝えるために発行されたようです。 「みちのく便り」は、歌誌『すばる』に4回にわたって掲載されたものです。 時期は、1950年2月から1951年5月です。この頃光太郎は、岩手県に住んでいました。 光太郎は、岩手県に縁のある人です。 この本に収録された作品には、北川太一さんによる、解説がついています。光太郎に関する解説もついていますので、光太郎の人生および作品に関心のある方にお勧めです。 【目次】 はしがき 北川太一 「三陸廻り」 高村光太郎 「三陸廻り」から「みちのく便り」まで 北川太一 「みちのく便り」 高村光太郎 「みちのく便り」その後 北川太一 あとがき 北川太一 ●石巻(12頁) 日和山から見下ろした石巻と湊町と仲の瀬とはぎっしりつまってまるで空地の無い建てこみ方だ。家と倉庫と鰹節工場と造船所と魚市場と檣柱と旗と煙突と、魚類の吐く息と鋼鉄の鳴る音と。 ●気仙沼の大火(66頁) 気仙沼町はしばしば大火に襲われましたが、大正四年二月五日、乾燥期と折からの季節風にあおられて警察署、役場、郵便局、公立病院、寺院などの中枢部を含む街の三分の二にあたる一〇六四戸が焼け、近くは昭和四年二月二十三日のこれも強風にあおられて消失戸数九〇二戸、被災者四九二三人を数えました。 (東日本大震災でも、気仙沼は、火事に見舞われています。) ●船の魅力(70頁) 私は今でも船のある処は時間の許す限り船に乗る。船と海との魅力は遼遠な時空の故郷にあこがれる私の生物的本能かもしれない。曾て海からはい上がって来た私の祖先の血のささやきかも知れない。船の魅力は又闇をわけて進む夜の航海に極まる。其は魂をゆする。 ●紙絵(137頁) これらの切抜絵はすべて智恵子の詩であり、叙情であり、機知であり、生活記録であり、此世への愛の表明である。此を私に見せるときの智恵子の恥ずかしそうなうれしそうな顔が忘れられない。 ●観音像(203頁) ぼくには智恵子が、いちばんありがたかった。その気持ちをこめて、智恵子の顔とからだを持った観音像を一ぺんこしらえてみたいと思っています。ほとんどはだかの原始的な観音像になるでしょう。 ☆関連図書(既読) 「智恵子抄」高村光太郎著、龍星閣、1941.08.20 「智恵子抄その後」高村光太郎著、龍星閣、1950.11.20 「智恵子抄」高村光太郎著、新潮文庫、1956.07.15 「高村光太郎詩集」高村光太郎著・伊藤信吉編、新潮文庫、1950.11.20 「高村光太郎詩集」高村光太郎著、岩波文庫、1955.03.25 「レモン哀歌」高村光太郎著、集英社文庫、1991.01.25 「智恵子紙絵」高村智恵子作・高村規写真、ちくま文庫、1993.12.06 「高村光太郎」福田清人・堀江信男著、清水書院、1966.10.25 「小説智恵子抄」佐藤春夫著、角川文庫、1962.02.20 「逆光の知恵子抄」黒澤亜里子著、学陽書房・女性文庫、1997.03.20 (2013年11月20日・記) (「BOOK」データベースより)amazon 石巻・金華山・女川・気仙沼・釜石・宮古―その三陸を巡る旅は、智恵子との終の棲家を求める旅でもあった。そして二人の「東北」への憧憬は、今を生きる私たちへのメッセージへと昇華する。
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光太郎、昭和6年の「三陸廻り」紀行文のなんとたおやかな気品あふれる文章を味わう。そして今や失われた三陸沿岸の往時の風情の懐かしい(知らないのに・・)ことか。 智恵子を失った後の、東北に独居する光太郎の「みちのく便り」は、愛する智恵子を心の中で「元素」と呼び、孤高を貫き己の芸術に邁進した人間像があぶりだされる。 「もし此世が楽園のような社会であって・・・私はきっと日本東北沿岸地方のどこか水の出る島に友達と棲むであろう、そこで少し耕して畠つものをとり、少し漁って海つものをとり、多くを海に浮かび、時に遠い山に登り、そして彫刻と絵画にいそしむだろう」 往時の世情の中で真実を見抜きながら、自己を鍛え抜き芸術に昇華させた人、あらためて感動。
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