商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 河出書房新社 |
発売年月日 | 2012/03/05 |
JAN | 9784309411354 |
- 書籍
- 文庫
宮武外骨伝
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宮武外骨伝
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商品レビュー
4.3
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讃岐国阿野郡は権力の腐敗を言論で追及し、言論弾圧を受けたジャーナリストの宮武外骨(みやたけとぼね)の出身地である。外骨は風刺雑誌「頓智協會雑誌」を創刊した。明治二二年(一八八九年)、頓智協會雑誌に戯画「頓智研法発布式研法」を掲載し、大日本帝国憲法発布をパロディ化した。「第一條、大...
讃岐国阿野郡は権力の腐敗を言論で追及し、言論弾圧を受けたジャーナリストの宮武外骨(みやたけとぼね)の出身地である。外骨は風刺雑誌「頓智協會雑誌」を創刊した。明治二二年(一八八九年)、頓智協會雑誌に戯画「頓智研法発布式研法」を掲載し、大日本帝国憲法発布をパロディ化した。「第一條、大頓知協会ハ讃岐平民ノ外骨之ヲ統括ス」とする。外骨は天皇が薩長藩閥の傀儡に過ぎないと見抜いていた。 しかし、これが不敬罪に問われて、三年八か月も投獄された。明治政府にとって痛いところを突いていたことを示すものである。その後も言論弾圧を受けたが、官僚の腐敗を批判し、権力批判を続けた。警察署長の不正などの警察不祥事や悪徳商法も告発した。
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----- 吉野孝雄『宮武外骨伝』河出文庫 権力と戦った“操觚者”の稀有なる魂の軌跡 本書の主人公・宮武外骨(がいこつ)ほど型破りな人間はそうそう存在しない。反骨のジャーナリスト、著述家、明治文化・風俗史・新聞雑誌研究家……。巨人を形容するには、どれも不足となってしまう。 では何と呼ぶべきか。外骨の自認通り「操觚者(そうこしゃ)」と表現しよう。操觚者とは古来、文筆を生業(なりわい)として生きる者のことである。明治前期のジャーナリストは操觚者と名乗ったというが、それは、あらゆる手段で籠絡(ろうらく)しようとする権力に対して命がけで攻撃し続ける人間の異名でもある。 外骨の武器はユーモアとウイットでえある。『滑稽(こっけい)新聞』『面白半分』など百編を超える雑誌や書籍で権力の老獪(ろうかい)さをあばき出す。筆禍(ひっか)による罰金・発禁は二十九回、入獄は四回、のべ四年間に及んだ。 「自分は旗印として平民主義を掲げるのではなく、平民主義を生きるのだ。頓智(とんち)と諧謔(かいぎゃく)で人間の平等を主張するのだ。それが操觚者としての自分の生き方だ」 明治維新は四民平等を唱えたが、その旗印はだいぶ色褪(いろあ)せてきた。平民主義を唱えた先達(せんだつ)が次々と懐柔(かいじゅう)されていくなかで、外骨だけは人間を非人間として扱う権力の魔性とは徹底して「生き方」として戦い続けた。その軌跡は「虚偽を排し形式を打破し、露骨正直天真爛漫(らんまん)、無遠慮に大胆に猛烈に其(その)虚を訐(あば)き実を写し以(もっ)て現代社会の指導者たり革命者たらん」生きざまである。 外骨が標的にしたのは、虚偽を容認する人間の憶病な心である。魂と社会の変革は別々のものではない。そこに目を向けよ! そして、何をどう「笑い飛ばすのか」。これは極めて現代の課題でもあろう。最も信頼できる評伝の新装新版の文庫収録を寿ぎたい。 --拙文「吉野孝雄『宮武外骨伝』河出文庫 権力と戦った“操觚者”の稀有なる魂の軌跡」、『第三文明』2012年9月、92頁。 ----- http://d.hatena.ne.jp/ujikenorio/20120803
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・吉野孝雄「宮武外骨伝」(河 出文庫)は旧著「宮武外骨」の改題新装改訂版である。「あとがき」に、「初版以来の文脈をかえ ることなく、その後判明した若干の誤記を改め、最小限度の興味深い新事実を加筆するだけにとどめることにした。」(404頁)とある。小 幅改定で、研究書ではなく、あく...
・吉野孝雄「宮武外骨伝」(河 出文庫)は旧著「宮武外骨」の改題新装改訂版である。「あとがき」に、「初版以来の文脈をかえ ることなく、その後判明した若干の誤記を改め、最小限度の興味深い新事実を加筆するだけにとどめることにした。」(404頁)とある。小 幅改定で、研究書ではなく、あくまでも伝記であるとする。序章、終章の間に8章、本文計10章からなる。序章は昭和9年の筆禍雪冤祝賀 会、第一章は筆禍の原因となつた頓智協会と明治22年の「頓智協会雑誌」について記すが、以下は出生から死去までの編年体である。これを 読むとさすが外骨と思ふ。どこを読んでも退屈しない。いくつになつてもおもしろい。奇人、反骨の人といふのは月並み、吉野作造が評した 「外骨君は稀代の偽悪者だよ」(323頁)といふ言にうなづかれるところが月並みではない人だと思ふ。 ・私が初めて外骨を知つたのは有光書房版の「わいせつ廃語辞彙・わいせつ風俗史」であつた。何も知らずにこれだけ買つた。辞書として買つ た。他意はない。ただ、変はつた号の人だとは思つた。その後、外骨は明治新聞雑誌文庫を作つた人だと教へられた。正直、驚いた。猥褻の語 と東大のと冠される文庫が結びつかなかつたのである。アカデミズムに猥褻は似合はない。世の常識か社会通念か、いづれにせよ凡人の感じる ところではあらう。外骨はこの辺りを軽々と飛び越える。縦横無尽に駆け巡る。花鳥風月の浮世絵であらうが春画であらうが気にしない。浮世 絵の世界は、あるいはさういふ世界かもしれない。しかし、政治はさうはいかない。さうして、やつと私は外骨がすごい人だと知つた。さう、 すごいのである。並みの言葉では評しえないものを持つ。いくつもの修飾語を重ねれば評しうるのであらうが、それではまだるい。「頓智協会雑誌」28号の明治憲法発布のパロディー、最初の筆禍である。「骸骨が研法を下賜するの図」(43頁)や「研法発布囈語」(44~50 頁)はよくできてゐる。ここの本文は二段組みで、上に研法、下に憲法がある。そのいぢり方が分かる。ほとんど単純に他の語に置き換へてゐ るだけであるが、これとてもそれなりの素養がなくではできぬことである。明治人のすごさを私は外骨からも感じる。漢文の素養である。鷗外 にしろ漱石にしろ、すべての基礎は漢文にあつた。外骨は郷里に近い高松でも、初めて東京に遊学した時も漢学塾に学んだ。地主の息子に英学 は似合はない(92頁)といふわけであるが、そんな消極的な理由で修めた漢学がここで生きる。研法第三条「会主ハ尊重ニシテ侮ルベカラ ズ」などといふのは一見何の工夫もなささうだが、やはりかなり考へられてゐるのだと思ふ。かういふのはパロディー、もぢりだから、制約が あつて却つてその素養は分かりにくい。他の引用からは、文体は様々であつても、その漢学の素養の程が知れる。実際のところ、外骨の素養が どの程度のものか、これは私には分からない。それでも現代日本人、例へば私自身と比べれば、その差は明らかである。私にはとてもあんな語 彙を駆使した文章は書けない。今となつては古いだけだと言はれかねない文章であるが、明治人の文章は一つの典型として覚えておくべきもの だと思ふ。しかも外骨は「稀代の偽悪者」である。それなのに、いやそれゆゑに東大に明治新聞雑誌文庫を作つてしまつた。天性の新聞、雑誌 を愛する心、これをジャーナリスト魂と言ふべきか。それが操觚といふ本書のキーワードにつながる。操觚はサウコ、文筆に従事することであ る。書かずにはゐられない。本書は外骨が操觚者であることをやめられなかつたと確認できる伝記である。おもしろい。
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