商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 笠間書院 |
発売年月日 | 2011/11/15 |
JAN | 9784305706300 |
- 書籍
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永福門院
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永福門院
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鎌倉時代後期〜南北朝時代の女流歌人(伏見院の中宮)。 新古今集以降、和歌は衰退して、つぎに正岡子規まで、みるべきものはなかった、みたいな乱暴な歴史感をあっさりと裏切ってくれるなんともすがすがしい歌の数々。 新古今集の過去に読まれた和歌のかずかずを複雑に襞として内側に内包しつつ...
鎌倉時代後期〜南北朝時代の女流歌人(伏見院の中宮)。 新古今集以降、和歌は衰退して、つぎに正岡子規まで、みるべきものはなかった、みたいな乱暴な歴史感をあっさりと裏切ってくれるなんともすがすがしい歌の数々。 新古今集の過去に読まれた和歌のかずかずを複雑に襞として内側に内包しつつ、今、ある情景や心境を詠むという技巧をつくした世界を味わうと、たしかに一つのアートが完成し、完熟したと思ってしまう。 この先になにがあるのか?ということが考えられなくまで完成度。 が、永福門院は、そういう袋小路など、存在しないほど、あっさりと新鮮な歌を詠む。爽やかな風が吹いてくるような。 歌題としては、風景の描写が多く、素人の私が読んでも、概ね、歌の意味がわかるというか、解説なしでも直接その情景を味わうことができる。 なんだか、最近、読まれた歌のように、まだまだフレッシュな感覚。 過去においてさんざん歌われてきた情景などあまり気にせず、自分が面白いと思ったものを、そのまま歌にしたような感じ。もちろん、歌がそんなに簡単なものではなく、この自然さを表現するのに、相当の力量がいるだろうことは想像に難くない。でも、なんだか、すらっと自然に読まれているようにみえてしまう。 という感じで読んでいて、風景描写から、恋歌にうつると、とたんに歌を読んでも、意味がわからなくなる。。。。といっても、いわゆる新古今集的な難解さではなくなく、心理面の複雑さを繊細に読み込んでいるからだろうな。 終わりのほうでは、世の中が南北朝時代となって、だんだん厳しい環境のなかにあって、自身の死を意識したような作品が紹介されている。 今となっては、遠い歴史のなかの世界なんだけど、そこで生きる一人の人間の感情に触れた感じがした。
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永福門院(1271~1342)は、鎌倉時代後期の持明院統の伏見院の中宮で、京極為兼を和歌の師とする伏見院に導かれ、京極派の中心歌人となり、子の花園院と孫の光厳院の和歌の師ともなった。勅撰和歌集の「玉葉集」「風雅集」にその和歌が多く採られている。 京極為兼は、心に思うことはそのまま...
永福門院(1271~1342)は、鎌倉時代後期の持明院統の伏見院の中宮で、京極為兼を和歌の師とする伏見院に導かれ、京極派の中心歌人となり、子の花園院と孫の光厳院の和歌の師ともなった。勅撰和歌集の「玉葉集」「風雅集」にその和歌が多く採られている。 京極為兼は、心に思うことはそのまま読むことを強調し、自然をも自分の五感で捉えたことを、必ずしも伝統にとらわれない言葉で率直に詠むことを勧める。永福門院は、自然をじっと見つめて、対比や時間経過を表す言葉を駆使し、清新な叙景歌を歌い上げる。恋愛歌でも分析的な歌いぶりだ。近代和歌に通じるものがあって、非常に親しみが持てる。 この本は、代表歌五十首を見開き2ページで解釈、語句・文法、詠まれた背景、参考歌などを丁寧に解説していてとても分かりやすい。歌をいくつか挙げておく。 昔よりいく情けをか映しみるいつもの空にいつも澄む月 さとざとの鳥の初音はきこゆれどまだ月たかき暁の空 山風の吹きわたるかときく程に檜原に雨のかかるなりけり しおりつる風は籬にしづまりて小萩がうへに雨そそくなり 空清く月さしのぼる山の端にとまりて消ゆる雲の一群 夕月日軒ばの影はうつり消えて花の上にぞしばし残れる 夕立の雲も残らず空晴れて簾をのぼる宵の月影 宵過ぎて月まだ遅き山の端の雲に光れる秋の稲妻 花の上にしばし映ろふ夕づく日入るともなしに影消えにけり ま萩ちる庭の秋風身にしみて夕日の影ぞ壁に消えゆく 村鳥の羽音してたつ朝明の汀のあしも雪降りにけり 山あいにおりしづまれる白雲のしばしと見ればはや消えにけり かくしてぞきのふも暮れし山の端の入日のあとに鐘のこゑごゑ
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