商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 新潮社 |
発売年月日 | 2011/07/29 |
JAN | 9784103106135 |
- 書籍
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逸見小学校
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逸見小学校
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商品レビュー
3.2
6件のお客様レビュー
まだ「夕べの雲」しか読んだことがない作家。2冊目でいきなりデビュー前の未発表稿に進むのもどうかと思うが、せっかく図書館で新しい本を見つけたので借りてみた。 小説家としてのスタイルはこの時点で既に出来上がっている感じだ。太平洋戦争末期に横須賀で配備を待つ予備士官たちの日常を淡々と...
まだ「夕べの雲」しか読んだことがない作家。2冊目でいきなりデビュー前の未発表稿に進むのもどうかと思うが、せっかく図書館で新しい本を見つけたので借りてみた。 小説家としてのスタイルはこの時点で既に出来上がっている感じだ。太平洋戦争末期に横須賀で配備を待つ予備士官たちの日常を淡々と描く。戦地ではないが、もちろん戦争の影が色濃い。 こういう精神状況をくぐった世代と、そうでない世代では、考え方にどんな違いが出るものかと漫然と考えた。 ラストの許婚を訪ねる一幕は、雰囲気がすこし「楡家の人々」のラストを思わせた(こっちの方が書かれたのは早いのだが)。
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逸見は「へみ」と読む。逸見とは横須賀にある街の一つで、京急の逸見駅というのがある。京急沿線の金沢文庫で育ち、最寄りの都会は横浜より横須賀だった妻にとっては、「普通しか止まらない、何の変哲もないところ」である。 逸見小学校と言っても、この作品で描かれている逸見小学校は生徒が全員疎開した後の逸見国民学校であり、出てくるのは兵隊ばかりである。海軍の高射砲部隊が、配属前に息抜きするような兵舎として、逸見国民学校が使われていたことを描いた作品だ。庄野潤三自身が少尉としてこの逸見国民学校で過ごした日々を下敷きに創作された小説である。 私は今まで、あんまり戦争小説を読んだことが無い。例えば大岡昇平の「俘虜記」などを、国語の教科書で断片的に読んだことがあるが、私にとって戦争小説というのはこの全部読んでいないにもかかわらず「俘虜記」であり、それは厳しい内容のものだった。 庄野潤三の「逸見小学校」は、俘虜記のような厳しさは無かった。庄野潤三自身、戦場に赴く前に戦争自体が終わったため、戦場を経験していないそうだし、この「逸見小学校」自体、戦場の話では全然無い。 庄野がこの作中で書いているとおり、本作品の状況は、 先に来た部隊から、こゝでの訓練の方針といふものは、出撃までの約一ヶ月の間に出来るだけ兵隊をのんびりさせてやつて、十分に英気を養ひ、心身ともに力を充溢させると云ふ点にあつたやうである。 と言う、一見すると戦時を思わせる感じがしないものである。 庄野潤三の「逸見小学校」が掲載されることは、新聞の広告等でも出ていたのだが、そこには、戦時とは思えないほんわかした内容、的な説明がされていた。さらに、鷺只雄(1936年生まれ)と言う人が書いた解説のようなものにも、何となくそんな感じで書かれている。 そんな訳で私もそのような期待をしながら読んだのであるが、戦争時代を知らない私にとっては、この小説はやっぱり戦争小説だった。 確かに、「俘虜記」のように、水牛の飲んでいた黒く濁った水を飲み、舌に針が刺さったような苦みに耐えかねて水を吐き出すと言った、厳しい場面は全く無い。ウイスキーをしこたま飲んで、二日酔いで隊長が出発を遅らすなどと言う緊張感の無い描写がなされているなど、今まで厳しい戦時ものを見てきた私にも意外な場面はあった。 それでも、豊かで恵まれた時代を過ごして来た私には、考えられないような暗い描写が多くあったし、そもそも底流が暗い。 上述鷺只雄と言う人は、戦前生まれで、小学校の時に終戦を迎え、厳しい戦後に成長した人である。そんな人にとって、この「逸見小学校」は、戦争中でも精神的に余裕のある生活を出来た一面があったと言う感じを抱いたのだろうか。 だが、社会的に何不自由ない「先進国」で育った私には、この「逸見小学校」で描かれた情景は、どこを切っても我々の時代では有り得ない苦労と悲しみに満ちているように感じられた。
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庄野潤三死後の未発表作品。自身の軍隊生活を省みての作品と思われる。途中、原稿が3枚ほど見つからず、原稿1枚無しとう悲しい記述だった。
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