商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 扶桑社 |
発売年月日 | 2011/03/02 |
JAN | 9784594063696 |
- 書籍
- 新書
自分の始末
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自分の始末
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商品レビュー
3.4
10件のお客様レビュー
自分の始末の意図するところは、実はたった一つ、できるだけあらゆる面で他人に迷惑をかけずに静かにこの世を終わることである。 気になったことばは以下です。 ・人の世にあることはすべて自分の上にも起こり、人の中にある思いはすべて私の中にもある。 ・日本人のように人を信じすぎると、小...
自分の始末の意図するところは、実はたった一つ、できるだけあらゆる面で他人に迷惑をかけずに静かにこの世を終わることである。 気になったことばは以下です。 ・人の世にあることはすべて自分の上にも起こり、人の中にある思いはすべて私の中にもある。 ・日本人のように人を信じすぎると、小さなことも裏切りと思え、傷つく。しかし私たちのように人を信じないと当たり前のことも幸運の兆しとなる。 ・得たものは、得た瞬間から失う恐れがある。それは現世の厳しい約束ごとである。しかし、ものなど失ってもたかが知れている。人が最も心を痛めるのは、愛する者を失うことだ。 ・「淘汰」とはなにか、不適当の者を排除すること、環境・条件などに適応する物が残存し、そうでないものが死滅する現象をいうのだ。 ・つまり人生で、人間は何度も病気にはかかるだろうが、死ぬのは一回だけなのだし、その一回さえ済めばそれ以上何度も死ななくていいわけだ。 ・人間の最期に必要なのは許しと和解だと言っておられる。 ・何歳で死のうと、人間は死の前に、二つのことを点検しているように思われてならない。一つは、自分がどれだけ深く人を愛し、愛されたかということ。もう一つは、どれだけおもしろい体験をできたか、である。 ・「憎んで生きるのも、愛して生きるのも同じ」と思える。それは、「憎まれて生きるのも、愛されて生きるのも、同じ」ということかとおかしくなる。 ・鍬は力で使っているうちはだめなのであった。すべての人間の行為は、力をむしろ合理的に抜いて、必要な方向と時にだけ集中できる時に有効な結果を生むということも、私は初めて悟ったのであった。 ・聖書には、結婚の披露宴に招かれた時、上席につこうとしてはならない、と書いてある。 あなたより身分の高い人が招かれていて、あなたやその人を招いた人が来て、「この方に席を譲ってください」というかもしれない。そうすると、あなたは恥ずかしい思いをして末席につくことになる。むしろ、招かれたときには、末席に座りなさい。そうすると、あなたを招いた人が来て、「友よもっと上席へ進んでください」というだろう。そのとき、あなたは同席しているすべての人の前で、面目をほどこすことになる。だれでもみずから高ぶる者は下げられ、みずからへりくだる者は上げられるのである。 ・ほんとうの強者は弱点を隠さない。自然に嘆いたり、打ちひしがれたり、もっと幸運な人をうらやんだりできる。 ・沈黙は、思ったほど苦しくはなかった。言葉だけが、人間の意思を伝えるもののように思っていたが、むしろ人間の口から出る会話は、表面的な荒いものだと思えるようになったのである。気配、表情、歩き方、あらゆる小さな動作。すべてが隠されている意味までを能弁に語っていた。 ・一生の思い出というものは、かなりくだらないものでいいのである。 ・昔は、権利があってもしないというのが美徳だった。「遠慮」というすてきな言葉があったでしょう。「才覚」というのもいい言葉で、小さいときから「才覚を持ちなさい」と口やかましく言われたものです。 ・何もかもきれいに跡形もなく消えるのが、死者のこの世に対する最高の折り目正しさだと私は思っている。 目次は、次の通りです。 新書判のためのまえがき まえがき 1 定年後を輝かせる「新たな仕事」 2 「不純」の大いなる効用 3 どうすれば運命を使いこなせるか 4 現実を受け止められないとき、生き悩むとき 5 問題は、「どう生きたか」 6 人生の思いがけない「からくり」を知る 7 遠距離「世間」のすすめ 8 「自分の時間」を管理する知恵 9 ささやかだけれど贅沢な生き方 10 自分なりの「始末のつけ方」 出典著作一覧
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※このレビューにはネタバレを含みます
曽野綾子「自分の始末」、2010.2刊行、2011.3新書化。心に留まった点は(少なかったです): ①料理と旅をすれば精神は錆びつかない ②一日に一つだけ積極的に物事を片づける ③意思を伝えるのは「言葉」の他に、「気配」「表情」「歩き方」「あらゆる小さな動作」・・・。 曽野綾子「自分の始末」、2011.3発行、再読。①定年後を輝かせるには、心掛け一つ。面白がれば、すべてできる。すべて、自分が主体となり、その分だけ自由になる。②体は手入れに比例して長持ちする。③人は赤ん坊から大人になるまではもらうばかり。与えるからこそ大人になり、おいぼれでなく青年であり続ける。もらうことを期待した時、人は老年になる。寝たきり老人でも感謝を忘れなければ、感謝は人に喜びを与えるのだから、やはり壮年なのである。
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人は生まれ出た瞬間から、死に向かっている。 それは今日かもしれないし、明日かもしれない。 「自分の始末」の意図するところは、実はたった一つ、できるだけあらゆる面で他人に迷惑をかけずに静かにこの世を終わることである。私たちは一瞬一瞬を生きるほかはないのだから、その一瞬一瞬をどう処...
人は生まれ出た瞬間から、死に向かっている。 それは今日かもしれないし、明日かもしれない。 「自分の始末」の意図するところは、実はたった一つ、できるだけあらゆる面で他人に迷惑をかけずに静かにこの世を終わることである。私たちは一瞬一瞬を生きるほかはないのだから、その一瞬一瞬をどう処理するか、私はずっと考えて来た。 「死」までの一瞬一瞬をどう生きるか。著者自身の作品の中から抜粋した言葉集。 彼女はカトリックだったのよね。 全体に“神”の存在が…。無宗教の私には、素直に心に入ってこない。
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