商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 筑摩書房 |
発売年月日 | 2011/01/10 |
JAN | 9784480065889 |
- 書籍
- 新書
親鸞
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親鸞
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商品レビュー
3.5
4件のお客様レビュー
「信心」(まことのこころ)を中心に、親鸞の生涯と思想をわかりやすく解説している本です。 本書では、親鸞の「信心」を唯識思想によって解釈した曾我量深の考えにしたがって解説がおこなわれています。唯識思想では、「迷い」の原因である「識」(心)について精緻な理論が展開されています。そこ...
「信心」(まことのこころ)を中心に、親鸞の生涯と思想をわかりやすく解説している本です。 本書では、親鸞の「信心」を唯識思想によって解釈した曾我量深の考えにしたがって解説がおこなわれています。唯識思想では、「迷い」の原因である「識」(心)について精緻な理論が展開されています。そこでは、法界から流れ出る教えを聞くことで「識」が「智慧」に転じる「聞薫習」が説かれます。そして著者は、阿弥陀仏の本願を「聞く」ことがまさに凡夫にとって「信心」を開発することにほかならないというのが、親鸞の教えだったと解しています。 さらに、「信心」を獲得することで、自分の心のなかに生じてくる善悪を引き受けながら阿弥陀仏の事業に参加することが念仏者の生きがいになると述べられ、二種廻向論へのつながりが示されます。そして、必ずしも教団の形をとることのない、「信心」の「ともがら」の間に生まれる「宗教的倫理」の可能性にまで、説きおよんでいます。 そのほか、84歳になって親鸞が直面しなければならなかった善鸞蘭義絶事件や末法観についても、比較的ていねいに解説がされています。
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南無阿弥陀仏と称えることにより、人は、浄土に迎えてもらえるというシンプルな教義の浄土教。 親鸞が善き人として教えを請うた法然との出会い、その後の宗教生活を綴った作品である。 作者があとがきに書いているように、親鸞に関する伝記ではない。 親鸞が手にした「信心」(まことのこころ...
南無阿弥陀仏と称えることにより、人は、浄土に迎えてもらえるというシンプルな教義の浄土教。 親鸞が善き人として教えを請うた法然との出会い、その後の宗教生活を綴った作品である。 作者があとがきに書いているように、親鸞に関する伝記ではない。 親鸞が手にした「信心」(まことのこころ)の世界を、作者も追体験したいと書かれた作品である。 浄土宗、浄土真宗という既成概念にとらわれることなく読める内容と生っている。 「南無阿弥陀仏」に秘められた重みを知らされた作品でありました。
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(2011/1/25読了)私の今の疑問。凡夫が救われるには阿弥陀の他力によるしかないという。そうだけど、そもそも何で「救われる」必要があるのか。救われたいと思ってない自分がいる。そこはスルーされて、『暮らしの基準を阿弥陀仏の慈悲に求めるという生き方』(P209)とまとめられてしま...
(2011/1/25読了)私の今の疑問。凡夫が救われるには阿弥陀の他力によるしかないという。そうだけど、そもそも何で「救われる」必要があるのか。救われたいと思ってない自分がいる。そこはスルーされて、『暮らしの基準を阿弥陀仏の慈悲に求めるという生き方』(P209)とまとめられてしまう・・・救われたいと思っていることが暗黙の前提になっていて、スッキリしない。「道徳」も「神仏による救い」もどっちも信じてない現代人はどうしたらいいのか。
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