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寝台特急 黄色い矢 作品集「青い火影」2 群像社ライブラリー
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寝台特急 黄色い矢 作品集「青い火影」2 群像社ライブラリー

ヴィクトルペレーヴィン【著】, 中村唯史, 岩本和久【訳】

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寝台特急 黄色い矢 作品集「青い火影」2 群像社ライブラリー

1,980

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 群像社
発売年月日 2010/12/24
JAN 9784903619248

寝台特急 黄色い矢

¥1,980

商品レビュー

3.8

4件のお客様レビュー

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2018/02/25

たぶん、現代国家としてのソ連あるいはロシアの内側がすごく投影されているんだと思います。私はそのあたりはかなり無知なので、作品の中の何がロシアのどんなあり方を表しているのかは、想像するしかない。ただ、その壁を越えてしみてくる人間の孤独感のようなものがあります。あと、そこに生きる人の...

たぶん、現代国家としてのソ連あるいはロシアの内側がすごく投影されているんだと思います。私はそのあたりはかなり無知なので、作品の中の何がロシアのどんなあり方を表しているのかは、想像するしかない。ただ、その壁を越えてしみてくる人間の孤独感のようなものがあります。あと、そこに生きる人の中に、国の来し方やありようがどれだけ根ざしているかということ。国がもがいて人々につける引っかき傷とか、人々に巻きつくとぐろみたいなものに、その国の人の心は何世代にもわたってとらえられて、なかなか離れることができない。「新興国」と括られる国々の作品を読むと、その国のもがきが最近のことだからなのか、より強くそれを感じる気がしました。

Posted by ブクログ

2013/01/08

 ひどく奇怪で幻想的なロシア産の中短編集。  夢を読んでいるように捉えどころがなく、表題作の黄色い矢に至っては解説を読んでなお半分ほども理解できませんでした。  でも、おそらくソ連崩壊という大きなイベントとそれに伴う価値観の揺らぎ。  そういったモノを踏まえて読むか、あるいはスケ...

 ひどく奇怪で幻想的なロシア産の中短編集。  夢を読んでいるように捉えどころがなく、表題作の黄色い矢に至っては解説を読んでなお半分ほども理解できませんでした。  でも、おそらくソ連崩壊という大きなイベントとそれに伴う価値観の揺らぎ。  そういったモノを踏まえて読むか、あるいはスケールを落として自身の影を意識しながら読めばまた違った意味を読み取れるのかもしれず。  夢は夢として、そこに何を見るかは見る者の知識あるいは想像力に問われるという事なんですかね。

Posted by ブクログ

2011/12/17

『幼年時代が幸福なのは、思い出すときにそう思うからだ』-『幼年時代の存在論』 不幸な人生を語る小説が作家の置かれた状況を反映しているかのようである場合、作家の業というものがつくづく因業なものなのだな、と思う。抑圧は現実の世界にあり、それを感じて圧された力の分だけ何かを外へ向けて...

『幼年時代が幸福なのは、思い出すときにそう思うからだ』-『幼年時代の存在論』 不幸な人生を語る小説が作家の置かれた状況を反映しているかのようである場合、作家の業というものがつくづく因業なものなのだな、と思う。抑圧は現実の世界にあり、それを感じて圧された力の分だけ何かを外へ向けて解放したいと思うのは誰しにも起こる。しかしそれを単純な作用反作用の原理のように解放できない(例えば新橋の居酒屋でしばしば行われるガス抜きとは単に仕事上受けた圧力を別な弁で開放して内圧を保つ行為に過ぎない)人というのが存在していて、そえがまさに作家という生き物なのだな、と思うのである。悲惨な状況すら楽しんでいる心がそこにはある。 これらの短篇は何を語るというのだろう。そう疑問に思ってしまうと逃れらえないジレンマに捕らえられてしまう。疑問を持たずに、さらさらと読んでしまえればこれらの作品は面白い。しかし、単に軽く心が揺さぶられるのを楽しんでしまうのは、軌道の上からは決して外れることがなく、激しい上下動を繰り返したとしても安全装置が働き決して放り出されることはないと思いながら乗り物に揺られるのと同じ心地である。それでは乗り物に本来求められていた筈の自由はどこへ行ってしまったのだろうか、と疑問に思うばかりとなる。激しく急カーブを切った時、車体が慣性力を封じ込めることができるか否かの不安と戦わずにその回転を楽しむことなぞ本来はできないはずなのだ。妙なところでかつての自動二輪乗りの血が騒ぎだす。 この小説を発表することに作家はどれだけのリスクを掛けていたのだろうか。文中ナボコフの名が登場し、揶揄する様な文章が表れるけれど、ナボコフの賭したものを思えばこの作家は何かを非難することなどできないのではないか、と妙に憤ってみたりもする。 結局のところこの悲惨な人生にとことん疲れ切ってしまうのならば、それを客観的に文章に起こすという行為の持つ偽善性は決して拭い去ることはできないだろう。その言明は、もちろん作家のみに向かって放たれるべきものではなく、本を読みその感想を綴っている人々すべてに向かって放たれなければならないだろう。それは承知である。自分とてまさにその類に属するものである。 全ては過去へ流れていく。不幸も、また。しかし、流れていくことを幸せと思うか、失われていくことそのこと自体を失われていくものよりも愛おしいと思うか否か。自分はどうやら、失われていくことそのものを潔しとしないもののようである。そのことばかりが本を読みながら意識されるのだった。

Posted by ブクログ

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