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「八月十五日」は終戦記念日ではなかった ベスト新書
932円
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | ベストセラーズ |
発売年月日 | 2010/08/20 |
JAN | 9784584122938 |
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「八月十五日」は終戦記念日ではなかった
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「八月十五日」は終戦記念日ではなかった
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チェック項目18箇所。昭和28年8月15日以前の軍部の記録では「三國声明」と記されている。8月3日の傍受通信では、「米国は8月6日、広島に原爆を投下する」と一日3回の警告をしていた。長崎が被爆した日、米軍はLST(上陸用輸送艦)で長崎に上陸していた、爆心地から1、5キロにあった収容所へ米軍のLSTで侵入し、捕虜を救出していた米軍の部隊があったのである。実は8月10日午前2時30分、天皇は御前会議で「ポツダム宣言を受諾する」との聖断を下し、日本の敗戦は決定していた。8月14日の夜、焼け残った家を次々と買い占めに訪れた、「焼けなかった健在のお宅を売ってくれ」業者から言われた市民は、どうせ本土決戦となり、灰燼に帰してしまう家だと思うと、「よかとです」と次々と売り払った、翌日正午の玉音放送で、福岡市内の家を売り払った人々は、あぜんとして我が身を後悔し、不運を呪ったのはいうまでもない。長崎では憲兵隊員がトラックに分乗して、「本日のラジオ放送はデマ放送なり。敵の策略に乗せられるな。軍はますます戦備を堅めつつあり」と報じて走り回った、これを聞いた市民は、万歳を連呼したり、拍手して喜び合った、その一方で、ラジオの玉音放送と憲兵隊の宣伝と、どちらが正しいのか疑心暗鬼の状態になる者も多かった。「私はちょっと英語ができたから、上官から『君のような人間が日本を救うのだ』と説得されて、米軍との折衝に当たったら、待遇はいいし、給料も日本の軍人の倍だし」これも日本人の戦後の生き方の形でもある。米軍は8月30日の上陸早々、横須賀市内で婦女暴行を頻発させていた、この日、婦女暴行を含み神奈川県下で起きた事件は、315件にのぼる、これは警察に通報された数なので、占領軍に怯えた市民の泣き寝入りは含まれない。日本の占領が巧妙だったのは、日本研究の賜物である、そのため、日本に占領期があり、間接統治されていたことも忘れられがちになった。昭和20年度の「終戦処理費」は123億円となった、すべて日銀仮払いの国民の借金である。昭和20年の秋は、明治時代以来の凶作だった、戦争で使用された大量の爆弾の煙が成層圏まで舞い上がり、日射しを減らして凶作となる、海上での艦船の沈没は海面を油膜で覆い、海水の蒸発を遅らせ、ゆっくり蒸発した海水は、たっぷりたまってから巨大な台風となる、まさに終戦の秋がそうだった。「LALA(ララ)」とはアジアの生活困窮者を救済しようとする「アジア救済連盟」の略称である、しかも、日本への救援物資は、終戦の翌年、日系1世のアメリカ人が提唱して、民間団体の寄付で送ってきた。日本国内で空襲を経験しなかった県が3つある、奈良県と鳥取県、石川県である、それ以上に絶対に句集を受ける心配のなかった場所もある。箱根に滞在していた外交人、1360名……箱根が「非戦闘地区」であることを駐日大使館あたりから耳にしていたにちがいない、一方で、その事実を知っていた日本人は、政府と陸海軍と警察の関係者だけである。RAA(リクレーション・アンド・アミューズメント・アソシエーション)……「慰安と娯楽協会」、「新生社会事業観光部」の看板をつけていたが、騙された女学生たちは、RAAの慰安所で、人道愛に肉体を燃え尽きるまで働かされた。昭和13年に「防空法」が制定されて、空襲があった時は老若男女を問わず、消火活動をしなければならなくなった、空襲から逃げると犯罪で、罰金500円である、この金額は将官の年俸に近い。学童疎開とは「都民の防空義務の足手まといを去ること」と「次世代の戦力培養」が真相であった。各学童の疎開費用200円と毎月20円以上の生活費は、親の負担だった、家庭には深刻な出費だった。終戦後3ヶ月で警視庁管内のスリは、713件あった、検挙された者のなかには、中央官庁の役人、中堅サラリーマン、初老の職工も主婦も含まれており、逮捕者のほとんどは大人だった。
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