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それでも彼を死刑にしますか 網走からペルーへ 永山則夫の遙かなる旅
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それでも彼を死刑にしますか 網走からペルーへ 永山則夫の遙かなる旅

大谷恭子【著】

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それでも彼を死刑にしますか 網走からペルーへ 永山則夫の遙かなる旅

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 現代企画室
発売年月日 2010/08/01
JAN 9784773810141

それでも彼を死刑にしますか

¥1,760

商品レビュー

4

3件のお客様レビュー

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2016/02/13

永山裁判の様子が興味深かったです。なんとも、奥歯に物の挟まったような。ペルーとの関わり、子ども基金など。

Posted by ブクログ

2012/11/22

死刑制度を考える上で必ず引き合いに出される「永山事件」に携わった弁護士により書かれた本。 永山則夫(以下、永山)の生い立ち、引き起こした事件、学習意欲と償いの意思、そして処刑への過程の記述と同時に、筆者が感じた本裁判での疑問点が綴られている。 永山の生涯は、筆者が言うように確かに...

死刑制度を考える上で必ず引き合いに出される「永山事件」に携わった弁護士により書かれた本。 永山則夫(以下、永山)の生い立ち、引き起こした事件、学習意欲と償いの意思、そして処刑への過程の記述と同時に、筆者が感じた本裁判での疑問点が綴られている。 永山の生涯は、筆者が言うように確かに恵まれないものだったと思う。貧しい家庭に生まれ、親に捨てられ、「金の卵」として真面目に働けども中卒のためにからかわれ、精神的に追い詰められてしまったのも想像に難くない。 そのような状態から、投獄中に猛勉強をして、自分のような貧しい人間が凶行を引き起こさない社会を作りたいと思う程の改心、文学的才能の開花(印税は遺族の方々・ペルーの恵まれない子供たちへ送られた)など、目覚しい成長を遂げたのも素晴らしいと思う。 しかし、前書きで死刑廃止論者である団藤重光が綴っているように、筆者には「文筆の才能がある」。 永山の生育歴、当時の社会制度の不備があったとはいえ、四人の命を奪ったという事実を何度か軽視してしまいそうになってしまったほどだ(具体的に、第六章を呼んでいる最中の心情を書き表すと「これだけ自分の罪を理解し、償おうという意思を持ち合わせているのに、どうして最高裁は理解してくれないのか」と、感じた)。 遺族が永山に多少なりとも理解を示しているとはいえ、一審で死刑判決が下っているのに、無期懲役になったという前例を作ることにためらいがあったのかも知れませんが・・・。 筆者からは、荒れていた永山から果たして本心を聞き出して正確な調書を作れたのか、処刑時に暴行を受けていなかったのかといった不可解な点も示されており、これは今日の司法にも残っている大きな問題と見るべきだと思われた。 あとがきで筆者は「死刑判決を下す裁判員は目の前にいる被告人を自分たちの仲間であり社会の一員であることを、決して認めないであろう。また、犯罪と社会との関係を軽んじ、犯罪は自分も属するこの社会が産み抱したことを認めることに抵抗感を感じるだろう。なぜならそれは自分自身の問題でもあるのだから。市民が死刑に関与するということは市民自身による市民社会からの追放であり抹殺である。職業的裁判官はあくまで国家権力を体現して死刑判決を言い渡すが、市民は市民として仲間を死に追いやる。この違いは必ずや市民の人権感覚を格段に貶める。ひとたび高みにあって死刑と判決することを経験した市民は、今よりももっと意識の深いところで、弱者を排除・抹殺することを是とはしまいか。死刑制度は根源的なところで共生社会と抵触し、これを否定しているのである。」 と、裁判員制度の実施に伴い、市民が死刑を求刑することの恐ろしさを伝えている。これは死刑制度に賛成・反対する人が共に考えなければいけないと思う。 ずいぶんと長いレビューになってしまいましたが、早い話が「死刑制度に関心がある人にとって、この本は一読の価値はある」という事になります。

Posted by ブクログ

2010/11/29

永山則夫の死刑が執行された1997年の8月、私は当時の職場で、全国紙、地方紙、英字紙をあわせて7紙から業務にかかわる記事をクリッピングする仕事を担当していた。死刑執行を伝える記事の大きさを今もおぼえている(その一部は原紙やコピーでとっておいた気がするが、どこにあるのか今まったくわ...

永山則夫の死刑が執行された1997年の8月、私は当時の職場で、全国紙、地方紙、英字紙をあわせて7紙から業務にかかわる記事をクリッピングする仕事を担当していた。死刑執行を伝える記事の大きさを今もおぼえている(その一部は原紙やコピーでとっておいた気がするが、どこにあるのか今まったくわからない)。 昨年テレビで放送された「死刑囚永山則夫 獄中28年間の対話」の再放送を録画したものを借りて見たのは夏だったか。永山が獄中結婚した和美さんの語りを聞いて、私のもっていた永山則夫像が少し厚みを増した気がした。 永山の弁護人を務めていた大谷恭子さんの旧著『死刑事件弁護人』が、改訂新版となって出たことも聞いていて、読んでみようと思っていた。図書館にリクエストしていたのが、もう寒くなってから届く。 本の大半は裁判の経緯、とくに高裁の無期判決が最高裁で差し戻され、死刑確定に至った事情を書いている。そして、永山の遺志──自分のような者をうまないように、社会の最下層で働く子どもたちを貧困と無知から解放し、仲間意識を育てること──が永山則夫子ども基金となって、ペルーで実をむすんでいることが書かれている。 大谷さんが綴る裁判の経緯を読み、なかでも、殺人を犯した者として永山自身が訴えていた死刑廃止論、"仲間"殺しを繰り返してはならないという話は、私には発見だった。 ▼犯罪は仲間殺しであり、これに死をもって報いれば憎悪しか生まない。憎悪の連鎖を断ちきるためには、国家こそがどんなことがあっても人は殺さないとの規範を示すべきである。憎悪の連鎖を断ちきり、仲間意識を再生させることが国家の責務であると。(p.218) 二審で死刑から無期判決に減じた高裁の判決は「犯罪を犯した者も共に生きる仲間であり、特に少年の犯罪にあっては社会が共に責任を負うべきであるとの立場」をはっきり示したものだったと大谷さんは書く。 ▼死刑判決を下す裁判員は目の前にいる被告人たちを自分たちの仲間であり社会の一員であることを、決して認めないであろう。また、犯罪と社会の関係を軽んじ、犯罪は自分も属するこの社会が産み出したことを認めることに抵抗感を感じるだろう。なぜならそれは自分自身の問題でもあるのだから。 市民が死刑に関与するということは市民自身の手による市民社会からの追放であり抹殺である。職業的裁判官はあくまで国家権力を体現して死刑判決を言い渡すが、市民は市民として仲間を死に追いやる。…ひとたび高みにあって死刑と判決することを経験した市民は、今よりももっと意識の深いところで、弱者を排除・抹殺することを是とはしまいか。(p.219) 大谷さんが、「市民が死刑判決を下す」制度でもある裁判員制度を憂う気持ちが分かる気がした。裁かれる被告人たちも「自分たちの仲間であり社会の一員である」という認識を、裁判員という制度はずたずたに切り裂くのではないか、と思った。 私が河出文庫の『無知の涙』や『木橋』を読んだのは、20年くらい前。ほとんど字も書けなかった人が、これだけの本を読み、これだけ膨大な文章を書けるようになるには、どれほどの時間と努力があっただろうと考える。まだ読んでいない永山の小説も読んでみたいと思う。 「人間を造る書物に愛を! 思考の道具を大切に!」(p.93) 永山則夫によるルンプロ仲間文庫の本の裏には、永山が考えたこの言葉が書かれていたという。

Posted by ブクログ

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